青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.1217
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Re: 埼玉県北本市 大島です
副管理人さん 2008/03/03 (月) 21:51
>管理人さん、有難うございました。
>色々と勉強になりました。
>ウィキペディアの源為朝に北本市の大島氏の事が載っておりました。
>
>足立郡宮内村(現在の北本市宮内)の大島氏は、新編風土記に「大膳亮久家なるものあり。本国伊豆を領して大島に住し、永正 大永の頃、小田原北条に属して武州に住し戦功ありて、永禄七年甲子の感状を賜う。その外 槍二筋を持ち伝えり。且その頃は鴻巣領宮内村に居住せり」とある。為朝の庶子の太郎丸と二郎丸の双子は、北条時政にその旨を訴え、源頼朝により太郎丸は大島の領主、二郎丸は八丈島の領主に任じられた。二郎丸は出家し、承元2年(1008年)に八丈島に弥陀寺を創建した。(現在の宗福寺)太郎丸は元服をして大島太郎為家(のち為政と改名)したという。戦国大名太田氏の家臣団・鴻巣七騎の1人大島大膳亮久家がおり、小田原の役後帰農して今に連綿と系譜が続いている。家紋は丸に剣片喰(けんかたばみ) 。
>
>家紋は剣片喰となって降りますが、笹竜胆が本家で北本市でも2.3軒しかないようです。
>剣片喰の大島家は、たくさん有り分家だと思います。
>
>北本市史をみたところ、北本の大島氏は新田氏の支流だとの記載もあり、何が本当か
>わかりません。
>
>これから、調査していきたいと思っております。
大島さん 今晩は。
北本市の史の新田氏の支流説は何処の時代の資料を元としたかによります。
室町期初期以後の史料は余り当てになりません。これは歴史を研究している者の常識です。
自市史を良く見せる為によい情報を出します。
新田氏は清和源氏足利氏の家来筋の支流ですが、分家は兎も角も、本筋かは疑問です。家紋が綜紋を使っていませんので支流の支流でしょう。足利期以降の系譜や家紋は余り当てになりません。

昔は「国抜け」と言い国以外に許可無く出ることは出来ません。無許可で出ると一族郎党死罪です。
大島氏分家の新田氏の支流は考え難いものです。この大島氏は未勘の氏か搾取偏纂の可能性が。
今の感覚で考えると間違いを起します。

多分、居るとすると、この大島氏は立身出世して武士に成った者が大島の縁ある者か遠縁のものが名乗ったと思われます。

剣片喰の家紋の多い地域は新田では有りません。青木氏の家紋掲示板に記載していますので参照して下さい。主に四国阿波と美濃付近です。
昔は「氏家制度の社会ですので血縁は均等な家柄の血縁と成ります。

大島氏本家は1家は、鎌倉期の史料より証明されているものですので、確実です。
ただし、大島氏本家筋1家1流ですので数は限られます。
笹竜胆の綜紋の大島氏は多くはないと考えます。
(本来は正腹で直系で無いので綜紋の笹竜胆紋使用はではないし、総宗本家の許可を得ていないので疑問 家紋掟では未勘氏の丸付き紋の笹竜胆紋が正しい)
全国で5-10軒程度でしょう。後は、あやかり族と思います。

江戸中期以降は殆どは女系になっても「家紋掟」により家紋を変えることをしていませんので信用できません。
本家大島氏は源氏本流とは違いますが、亜流の妾腹(戦地妻と言います)ですが、為朝の直流です。

調査に際して、注意される事は、史料が全て正しいと言う事では有りません。前レポートで書きました室町期末期からのものは、3つの混乱期の系譜家紋詐称偏纂が殆どですので。

市史や県史や系譜書は先ずこの3期の搾取偏纂をしたものを元にしています。本青木氏のレポートにもありますが、徳川を始めとして全てに近い氏はこの搾取偏纂です。
特に清和源氏を名乗る氏の殆どは未勘の氏と成ります。
この点を留意してお調べください。

先ず史料を頭から信じると何がなんだかわからなく成ります。

それでは。

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