青木氏のルーツ & 雑学研究室

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◆-台湾に渡った青木家Re: 台湾に渡った青木家
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No.1260
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台湾に渡った青木家
takako okamotoさん 2008/05/22 (木) 18:48 [ メール ]
こんにちは。明治時代に台湾台北市で砂糖業を営んでいた青木氏のルーツを探しています。どなたか教えてください。解っている名前は台北師範学校卒業の青木花子、青木正徳、など5人くらいの兄弟がいてその父母が砂糖業を営んでいた。その一代前は総統府の初代街長だった。青木花子の生まれは米子市。高円の宮久子様のおば様?ともなかよかったとか。。。その青木のルーツが知りたいのです。
No.1261
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Re: 台湾に渡った青木家
副管理人さん 2008/05/22 (木) 21:38
>こんにちは。明治時代に台湾台北市で砂糖業を営んでいた青木氏のルーツを探しています。どなたか教えてください。解っている名前は台北師範学校卒業の青木花子、青木正徳、など5人くらいの兄弟がいてその父母が砂糖業を営んでいた。その一代前は総統府の初代街長だった。青木花子の生まれは米子市。高円の宮久子様のおば様?ともなかよかったとか。。。その青木のルーツが知りたいのです。
台湾に渡った青木家の青木さん。始めまして。
青木サイトによくお越し頂きました。これからも宜しくお願いします。

さて、お尋ねの件ですが、情報が余りにも個人的なものですし、時代性が新しすぎて、判断がつきません。
判りますれば、明治以前の江戸時代かそれ以前の情報があれば、よろしいのですが。
大変、失礼ですが、お役に立ちたいと思いますが、探偵社では有りませんので、是非、青木花子さんか青木正徳のご先祖の生まれ故郷、家紋、宗派、菩提寺、ルーツを証明する物などが有りましたら教えてください。出来るだけ古い情報をお願いします。

ルーツは江戸中期以前の情報が必要です。明治以降はルーツを確定する社会体制では有りませんので、ルーツは出ません。

台湾総督の情報を把握されている人はかなりの高齢で難しいのではと思います。パソコンも使えるかも疑問です。
ただ、米子市はずーと古いご先祖の故郷でしょうか。古い情報が得られましたら、まず、左メニューの家紋掲示板、地名データ、研究室のレポートで概ねに把握ください。

鳥取県の米子市では、「青木」と言う地名があり、青木神社も有ります。ここの青木さんではと思いますが。この青木氏では、ルーツが判ります。

家紋からも、地名からも宗派からも菩提寺からも、概ねわかりますので、その後にご質問ください。
その間、暫く、お家のことを知っている青木さんをお待ちしましょう。
No.1262
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Re: 台湾に渡った青木家
takako okamotoさん 2008/05/23 (金) 10:04 [ メール ]
返信ありがとうございました。早速の処理に驚きと喜び、このサイトの大ファンになりそうです!
台湾に両親と共にに渡った青木花子はその後池上花子となりましたが、青木花子時代は聞いた話だと、菩提寺は神道で伊勢神宮だったと思います。家紋の話もきいたことがあるのですが、小さいころだったので記憶が甦りません。これ以前のことがなかなかつかめないのですが、米子市については米子市米子にまだ「大きな屋敷が残っていた」と12年ほど前に聞きました。ほんとに爵位のあった人の子孫なのか、あるいは天皇家にもつながるのか、歴史的に非常に興味があり、投稿しました。 台湾総統府時代の一代前の初代街長というおじいさんのことはもしかしたら青木姓ではないかもしれませんが「…トクウエモン」という名を聞いたことがあります。「青木」又は「ゴトウ?」と結びつくか。。。。兄弟は福島に一人「青木次郎兄さん」がいたはずです。
早速当サイトで検索できる地名の米子市の青木、青木神社を見てみました。これと伊勢神宮とつながりがあるでしょうか? 青木花子を生んだ両親、その先祖はいったいだれ? 
なんだか情報がいろいろで、本当のことがつかめずだからこそこのサイトの意味があるのだと思うのです。
私自身は現在海外におり、結婚した相手も「青木」とは無関係ですが、日本人として、遠く昔の歴史のロマンに触れ思いを馳せたいと思うのは同じでは。。。?
No.1263
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Re: 台湾に渡った青木家
副管理人さん 2008/05/23 (金) 21:26
>返信ありがとうございました。早速の処理に驚きと喜び、このサイトの大ファンになりそうです!
>台湾に両親と共にに渡った青木花子はその後池上花子となりましたが、青木花子時代は聞いた話だと、菩提寺は神道で伊勢神宮だったと思います。家紋の話もきいたことがあるのですが、小さいころだったので記憶が甦りません。これ以前のことがなかなかつかめないのですが、米子市については米子市米子にまだ「大きな屋敷が残っていた」と12年ほど前に聞きました。ほんとに爵位のあった人の子孫なのか、あるいは天皇家にもつながるのか、歴史的に非常に興味があり、投稿しました。 台湾総統府時代の一代前の初代街長というおじいさんのことはもしかしたら青木姓ではないかもしれませんが「…トクウエモン」という名を聞いたことがあります。「青木」又は「ゴトウ?」と結びつくか。。。。兄弟は福島に一人「青木次郎兄さん」がいたはずです。
>早速当サイトで検索できる地名の米子市の青木、青木神社を見てみました。これと伊勢神宮とつながりがあるでしょうか? 青木花子を生んだ両親、その先祖はいったいだれ? 
>なんだか情報がいろいろで、本当のことがつかめずだからこそこのサイトの意味があるのだと思うのです。
>私自身は現在海外におり、結婚した相手も「青木」とは無関係ですが、日本人として、遠く昔の歴史のロマンに触れ思いを馳せたいと思うのは同じでは。。。?
>
>
>岡本さん 今日は。
ご返事ありがとう御座いました。

故国故郷を離れて、台湾でのお住まいとの事ですが、故国の事を知りたいと思う事はよく判ります。
頑張ってください。

さて、このお便りからも古い情報が有りませんので、兎も角、米子の青木氏の事に付いてご説明します。青木花子さんのご両親と成りますと、明治の方と思われます。ここに大きいお邸を持っていたとすると、その財力から考察すると、この時代からすると、一代限りでは無い事の可能性が高いと観られます。
としますと、江戸時代からと成ります。そうしますと、江戸時代では自由に一族が移動する事は「国抜け」としてきつく禁じられていました。つまり、人口が自由移動すると、その藩の人口が減り偏る事になり藩は維持できません。
先ず、米子に長年居たとする事にしますと、江戸時代は武士であったか、商人であったかと言う事に成ります。砂糖商を営んでいたとされていますので、農民ではなかったと成ります。
武士ではなかった事も、家紋が100年程度で判らなくなっている事、宗派、菩提寺が判らない等は武士ではなかった事を意味します。普通は判っている筈ですし、本家、縁者も米子にいる筈ですが判らないほどに成っているのは武士ではなかった事になるでしょう。武士ではこの辺は厳格に護っているものです。
経緯から検証すると、明治、江戸末期ごろは商人であったと成ります。
この前提で、ここには皇族賜姓青木氏の足利系青木氏(本家筋)が信濃(長野)から移動して若狭湾の日本海の陸沿いに沿って鳥取付近に定住した。
その場所は、八東郡(八頭郡)付近と島根鳥取との国境(米子)との2ヶ所です。鳥取の東西に青木村を形成して定住していた。

もう一つは、島根に赴任した藤原秀郷流青木氏の一部が島根出雲付近に定着した。
同じ一族で讃岐(香川)の藤原秀郷流青木氏が安芸、美作(広島)に移り末裔を広げた。
この藤原秀郷流青木氏が平安時代に朝廷の命で赴任して一部分家が土地の豪族との血縁で定住した一族末裔です。(土地に子孫を遺すのは藤原秀郷一門の戦略でした。赴任地24国に全て遺す)
この藤原秀郷流青木氏は藤原鎌足の8代目の子孫:詳細は「藤原秀郷一門の生き方1-13」のレポート参照)

青木氏は皇族賜姓青木氏5家5流24氏と藤原秀郷流青木氏主要9氏116氏の2つの流から出ています。(研究室の右メニューから皇族賜姓族関係のレポート参照)

これ以外に、室町後期、江戸初期、明治初期の3期に発祥した「第3の青木氏」があります。

上記の経緯検証から、商人と成りますと、この第3の青木氏の可能性があります。

青木氏は大化改新から伊勢青木氏、近江青木氏、美濃青木氏、信濃青木氏、甲斐青木氏の5代の天皇の第6位皇子が臣下して親衛隊となり賜姓を受けて5国の守護王となった。
この皇族賜姓青木氏は、美濃、信濃、甲斐の国の土地の豪族と血縁して、近江の佐々木系青木氏、美濃の土岐氏系青木氏、信濃の足利氏系青木氏、甲斐の武田氏系青木氏が生まれました。

ところが、この信濃の足利氏で跡目相続で揉め事が起こりました。
足利氏の本家と分家とが主導権争いをしたのです。
この足利氏の分家に藤原秀郷一門が介入して、この分家を本家にする様に上記の藤原秀郷一門が動いたのです。争いの結果、結局、足利家の本家筋が負けました。止む無く、この本家筋は美濃の国から一族を引き連れて日本海側に沿って苦しい逃避行を行います。この時、この足利氏系青木氏の一部も同行します。
そして、遂に、やっと鳥取までたどり着きます。そこで分散してしまいます。それが上記した鳥取の東西に分散した一族なのです。藤原秀郷一門の勢力が余り届かない米子付近と八頭郡に留まったのです。
この米子の青木と言う地名と、青木神社はこの末裔の村と神社です。

実は、この平安時代では、独自の村と神社を保持できるのは、皇族賜姓族青木氏の特別の権利です。
嵯峨天皇の時に詔で定められました。従って、この美濃の皇族賜姓族の足利氏系青木氏にはその権利があり、ここに独自の青木村と青木神社を造ったのです。
また、この時、青木氏を皇族以外の者が名乗る事を禁じました。(4氏ある)
藤原秀郷流青木氏も皇族賜姓青木氏と母方で繋がっていますので、青木村と青木神社を作る権利がありますので各地の藤原秀郷流青木氏が造っています。

そこで、この「第3の青木氏」とは、この皇族賜姓青木氏に因んで、明治初期3年の苗字令で苗字、家紋、系譜、ルーツの持たない庶民が、寺や神社に金品を渡して青木氏の系譜を搾取してもらい届けました。(明治以前は寺神社が戸籍簿の役目をしていた)この時、金品を払える商人などが、あやかって、皇族の青木氏を名乗りました。この「第3の青木氏」は伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐、武蔵、下野、栃木等の青木氏がすんでいる土地で起こりました。
ところがこの青木氏には宗派、家紋などに矛盾が出ます。又、一族のつながりが余りありませんし、古い先祖の戸籍が有りません。寺には過去帳と言うものがあり、これが戸籍簿に成っていたのです。
従って、過去帳に乗せられる特別な者を除いて大変な為に戸籍系譜が普通は無かったのです。

100年程度しか経っていないのに、家紋、縁者、宗派、菩提寺などが不明に成っていることはこの族の可能性が有ります。ルーツが明治までしか確認出来ないのはこの青木氏と観られるわけです。

この賜姓青木氏は浄土宗ですですが、神道との事ですが、皇族賜姓青木氏の足利氏系青木氏は家紋は「二引き両紋」です。宗派は浄土宗です。神社は青木神社です。賜姓族と藤原秀郷流青木氏は浄土宗です。浄土宗はこの二つの青木氏ら一部の一族しか入信できませんでした。
もし、この賜姓青木氏か藤原秀郷流青木氏であれば、米子の浄土宗の寺に戸籍簿として残っている筈ですし、米子の青木神社にも氏子簿がありますので、確認されるとよいと思います。
神道というのは、この賜姓青木氏は自前の浄土宗寺を持ち、自前の青木神社を持っていましたので、神道なのです。
伊勢神宮は天皇家の神宮であり、個人の氏子を待っていませんので、念の為に。

宮家とのつながりを言われていますが、当時では宮家と繋がるにはそれ相当の身分家柄でなくては交際は出来ません。5家5流の賜姓青木氏や藤原系の公家程度で無くてはなりません。
もしそうであると、情報が不明と云う事はおかしい事です。商品の納入などでの付き合いはあるとしても。宮家とのつながりがあるとすると米子の青木神社にはお家の履歴がある筈です。
寺がなく、実は「神道」というのはルーツが無い事を意味しますので、「第3青木氏」のパターンなのです。

賜姓青木氏では有れば、家紋が不明かないというのは、疑問ですが、賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏の家紋が家紋掲示板にありますのでご覧下さい。青木ブログにもご覧下さい。

兎も角、米子の青木神社で確認されるとはっきりします。ご先祖、縁者も出て来る事でしょう。

詳しい事は研究室の右メニューでゆっくりとお読みください。御理解されると思います。

ご質問があれば、ご遠慮なくお便りください。
No.1264
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Re: 台湾に渡った青木家
takako okamotoさん 2008/05/26 (月) 10:26 [ メール ]
副管理人さん、おはようございます。丁寧なお手引きありがとうございました。!非常に興味深くまた私の知り得ない日本の歴史に深く触れることができ感慨深く読ませていただきました。
そうですねー。引続き他の青木家の人々のアクセスも見ていればきっとそのうち「ええーあなた様が。。」なんて縁者がでてきそうなそんな期待をよせてこれからもアクセスさせていただこうと思います。まずは御礼まで。

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