青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.1299
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Re: 備前青木氏のルーツを探しています
副管理人さん 2008/07/10 (木) 11:13
菩提寺が真庭郡久世町にあるとの事ですが、岡山にはもともとはここは浄土宗法然の生誕地で、中国33霊場の第1番札所で、「生誕寺」というお寺があるところですね。
藤原秀郷流青木氏は浄土宗か浄土真宗です。ここには古い浄土宗のお寺も幾つかあるようですが、天台宗との事ですが。この宗派の違いもお調べになるとよいのではないでしょうか。

真庭には、新庄というところが有名ですね。昔聞いた事があるのですが、木山寺と言うお寺もありましたが。

菩提寺のここは戦災にあっているのでしょうかね。もし、無ければ過去帳は存在し、お家のご先祖の方の名が残っているはずです。この時、その方の官職名がついていますのでそれを確認ください。
例えは、青木氏であれば、左衛門尉・・とあるはずです。尉が佐に成っている場合もあります。又、左が右と成っている場合があります。民部尉も同様です。

青木氏は天智天皇から第6位皇子が臣下し賜姓を受けて親衛隊として天皇を守護する軍としてその役目をしてきました。藤原氏の青木氏も同じです。ですので、宮廷を護る衛兵のつく官職名が末代までなれる事に成っています。(一代限りの官職名も江戸中期から生まれました)
藤原秀郷流青木氏であれば、上位衛兵の官職が付けられています。

氏家制度が確立していた江戸中期までは、武家の変名は原則的には無いと言う事に成りますが、考えられるのは、婚姻関係による変名、3期の混乱期の室町末期と江戸初期、特に青木氏に関しては詔があり、武士は青木氏にする事は根拠が無い限り世間から観て難しいでしょう。
青木外でも、前2期の時を除いてない事に成ります。

自分が変えても親族一族が変わらないとおかしい事に成ります。家紋や宗派も伝統の象徴ですので変える事は少ないですね。
氏家制度が確立していた江戸中期までは先ず無い事でしょう。
変更する事ができるのは3期の混乱期に身内が無く単独出世した場合に限ります。

氏と家紋と宗派は氏家制度の中では連動していますので、少ないですね。

もともとは、武士でも、上級武士で無い限り、家紋と氏は無かったのです。
氏、家紋、宗派を持つ様に成ったのは、江戸初期からです。最も氏と家紋が増えた時期です。
徳川幕府は3期の戦国時代の混乱期を修正する為に、氏家制度の規律を取り戻す手段として出世の条件として重んじました。この時、宗派の内、浄土宗の信仰の督励を2度出しました。
上級武士に限りこの浄土宗の寺を各地に建てて入信を勧めたのです。
それまでは、特定の高位の氏の宗派でした。従って、特定の地域にしかないのがこの宗派の特長です。
そして、それを寺が管理する体制を強化しました。従って、上級の武士以外は寺については菩提寺はもとより過去帳すら有りませんでした。
殆ど、中級以下の武士と一般の庶民は菩提寺や過去帳の慣習は有りませんでした。江戸長期以降の特に明治初期以降のことです。
上級武士以外は、墓も、現在のような立派なものでなく、川原者の言葉があるくらいに、大抵は川原の側に川原の石を積み上げて作るのが慣習でした。上級武士でも、「土に帰る」を前提に川原にある泥岩の墓石でした。
大理石のように立派に成ったのは明治初期以降です。

ですから菩提寺と過去帳の有無は検証の一つの条件に成ります。

この様な観点からもお調べに成る事が必要です。現代感覚では迷路と成ります。
それに、江戸期の書物を検証する場合は、特に史実を無視した偏纂に注意ください。

では、又ご質問等有りましたら、お便りください。

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