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No.1320
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富岡さんのお尋ねの件・・・(上州富岡氏)
副管理人さん 2008/08/24 (日) 19:54
戦国サイトから富岡さんの投稿をこちらに移しました。

以下がご質問です。

はじめまして、ブログではお世話になっております。
さて、私の先祖は真田町の横尾城の城主であったようです。村上氏に従い上田原の戦いに参陣し当主は討ち死にし、上州へ子息が逃れてきたとの話が伝承されています。横尾氏の家紋を調べますと、子息が逃れてきた地が富岡市丹生という場所ですが、この地域の横尾の家紋は五瓜に唐花ですが、私の家は逆三角が三つ上から大きく、中央、一番下が最も小さい三角で「下がり藤菱」とか言っていた記憶があります。私の家は本家といわれ、代々続いておりますが家紋が全く異なるのはどうしてなのか疑問に思いメ−ルしました。



今日は。富岡さん。始めまして。
福管理人です。
これからも宜しくお願いします。

さて、お尋ねの件ですが、「下がり藤菱」と「五瓜に唐花紋」との違いですね。
その前に、「下がり藤紋」の事に付いてご説明いたします。
「下がり藤紋」は藤原氏の綜紋です。
藤原氏は四家ありまして、式家、京家、南家、北家とあり、最も栄えたのが「北家」です。
この北家が綜紋としました。しかし、「下がり」と云う意味を嫌い上りに変更しました。
ところが、北家でも最も栄えたのが、藤原秀郷一門です。鎌足より8代目です。
この秀郷が、この「下がり藤紋」を頑固に維持しました。
この内、秀郷351氏(家紋数)の内、この綜紋を家紋としたのはたった9氏です。秀郷主要5氏(青木氏、永嶋氏、長沼氏、進藤氏、長谷川氏)があり、この他に佐藤氏など4氏がこの綜紋を維持しています。
「下がり藤」の綜紋は宗家(本家)が維持する義務があります。男系跡目が出来なくなっても上記の9氏の中から養子を取り家紋を変更させないようにする義務があります。絶対に護ります。
もし、難しくなった場合、上記の下がり藤紋の9氏の末裔縁者から跡目を入れて変紋をしなくても良い様にします。それでも難しい場合は9氏の血縁縁者(他氏)から跡目を入れると、他氏の家紋(血液)を持つ一部が入ります。その時、この9氏の宗家は下がり藤紋の中央にその家紋を入れて、綜紋を維持します。
つまり、「下がり藤に・・紋」と成ります。
そこで、お家の「逆三角が三つ上から大きく、中央、一番下が最も小さい三角」が入る訳ですが、ところが、この紋は日本全国8000の家紋がある中では見つかりません。
そこで、よく似た菱を3つ重ねた「三階菱」と云う家紋があります。(疑問1)
このことを先ずお調べください。
次に、「下がり藤紋」の綜紋を仕えるのが9氏の宗家末裔ですが、お家はこの中にありません。(疑問2)
主君の真田氏は有名な藤原秀郷の一門末裔です。しかし、その家臣が藤原秀郷の綜紋です。逆転しています。(疑問3)
横尾氏が「五瓜の唐花」であるとのことですが、これは正しい家紋です。真田氏は甲斐武田氏の家臣と成りましたが、武田氏は「武田菱紋」と「唐花紋」も使っています。
武田領にいた横尾氏は五瓜族と武田氏の支流との血縁族です。ですから「五瓜に唐花紋」に成ります。本家であれば、この家紋を護っていた筈です。
ところが、富岡姓に苗字が変わっています。普通本家であれば家紋と同様に変えません。本家が変えてしまっては本家ではなくなります。本家はこの義務を持っています。
分家が変えないのに本家が氏名と家紋とも変わっていることは疑問です。(疑問4)

たとえ信長に追われて一族で逃亡しますが、逃亡しても余程のことが無い限りこの辺は変わらないものです。
先ず、ご本家であれば、次のことが確認出来る筈ですので、お調べください。
宗派は何、菩提寺は何処、寺の過去帳の有無、仏壇の形式、家の過去帳、伝統古物、など

宗派は藤原秀郷一門の真田氏と同じ宗派である筈です。
有る限定された藤原氏一門が入門している宗派があります。
何宗ですか。

菩提寺は、城主であるので、横尾氏一族一統が祭祀されている寺があります。本家ですのでこの横尾氏菩提寺があり、そこに祭祀されている筈です。

当然に、寺には横尾氏の過去帳がある筈です。この有無です。
この過去帳にはお家のご先祖の名前が書かれています。そのご先祖が横尾城の前のご先祖が確認出来る筈です。

仏壇は城主で本家あるので、仏壇の有無と宗派の形式の仏壇であるかと言う事の確認。

当然、お家には家の過去帳があり、先祖代々位牌(個人位牌ではなく)の中に戒名と俗名を書いた木札がある筈です。そのご先祖の古い人が横尾城の時期に一致しますか。

ご本家であれば、少なくとも何らかの古物伝統のステイタスになる品物を保持している筈です。何かありますか。周囲に分家の横尾氏が存在する限り何か本家として持っている筈です。

疑問1−4と確認6でありますが、この確認で大方の事は明確に成ります。

実は、この様な藤原一門の有名な氏にはこの名前を搾取偏纂し口伝を造りした氏が大変多いのです。「第3の氏」と言いまして、第1期の室町末期、第2期の江戸初期、第3期の明治初期の3期混乱期に起こっています。第1期は戦国、第2期は旗本御家人の家紋化、第3期は庶民の苗字令の時です。
この3期には土地の名士の氏名などを名乗りました。
この第3氏には、上記した疑問と確認に矛盾が生まれます。
藤原一門はこの辺をはっきりさせている氏ですので違いが出てきます。
ですから、上記の点を確認してください。

お答えは、”本家であれば、家紋と氏名は江戸末期までは原則変わらない”という事に成ります。


尚、この青木サイトには、藤原秀郷一門のことが詳しくレポートされていますので、ゆっくりとお読みください。

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