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◆-三階松紋についてRe: 三階松紋について

No.1337
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三階松紋について
根本さん 2008/09/02 (火) 14:59 [ メール ]
初めまして!
私は知人である高知県在住の西尾氏から相談を受け、当西尾家と家紋について調べております。
同家は土佐藩の下級武士である事が土佐山内家宝物資料館に収蔵されている文書に記載されているとの事で、家紋は「丸に三つ重ね松」に荒枝付きの形です。

三階松は讃州藤氏である福家・香西・羽床・新庄・本庄の諸氏において用いられており、「丸に荒枝付き左(右)三階松」は家紋辞典に記載されておりますが、同家の紋は松が真っ直ぐに重なっている所謂「丸に三つ重ね松」の上と中の松にのみ荒枝が付いている形であり、家紋辞典には記載されておりませんでした。

同家は除籍謄本の寛永年間からの記載と、現存する享保年間からの墓石から「忠」の通字が認められます。近隣の地域におきましては高松藩家老に西尾氏がおり、下館藩から松平頼重公と共に高松に入部したとありますが、忠の通字は認められません。(家紋は不明です。)

一方、横須賀藩西尾氏には忠の通字が認められる事から、この庶流である可能性が考えられますが、この西尾氏の定紋は「丸に折れ松葉」であり、一般的には「櫛松」を用いております。
また横須賀藩第3代藩主である西尾 忠需は讃岐丸亀藩主・京極高或の次男であり養子として迎えられておりますが、前述の讃州藤氏の諸氏の家紋は三階松であり、これら諸氏は京極氏の家臣である事から、その影響もあるのかと考えております。
上記の家紋についてご存知の方がいらっしゃいましたらご教示下さいませ。
No.1338
 引用付き返信 | 返信 | 削除 | 管理

Re: 三階松紋について
副管理人さん 2008/09/02 (火) 20:02
>初めまして!
>私は知人である高知県在住の西尾氏から相談を受け、当西尾家と家紋について調べております。
>同家は土佐藩の下級武士である事が土佐山内家宝物資料館に収蔵されている文書に記載されているとの事で、家紋は「丸に三つ重ね松」に荒枝付きの形です。
>
>三階松は讃州藤氏である福家・香西・羽床・新庄・本庄の諸氏において用いられており、「丸に荒枝付き左(右)三階松」は家紋辞典に記載されておりますが、同家の紋は松が真っ直ぐに重なっている所謂「丸に三つ重ね松」の上と中の松にのみ荒枝が付いている形であり、家紋辞典には記載されておりませんでした。
>
>同家は除籍謄本の寛永年間からの記載と、現存する享保年間からの墓石から「忠」の通字が認められます。近隣の地域におきましては高松藩家老に西尾氏がおり、下館藩から松平頼重公と共に高松に入部したとありますが、忠の通字は認められません。(家紋は不明です。)
>
>一方、横須賀藩西尾氏には忠の通字が認められる事から、この庶流である可能性が考えられますが、この西尾氏の定紋は「丸に折れ松葉」であり、一般的には「櫛松」を用いております。
>また横須賀藩第3代藩主である西尾 忠需は讃岐丸亀藩主・京極高或の次男であり養子として迎えられておりますが、前述の讃州藤氏の諸氏の家紋は三階松であり、これら諸氏は京極氏の家臣である事から、その影響もあるのかと考えております。
>上記の家紋についてご存知の方がいらっしゃいましたらご教示下さいませ。
>
>
根元さん 今日は。はじめまして。

本青木サイトにお越しいただきまして、ありがとう御座います。

さて、本サイトは、青木氏に関する研究をしていますので、他氏のことは判りません。

折角ですので、家紋の考え方に付いてのみ参考までに。

この家紋は、三つ笠松紋類ですね。
問題視されている荒枝付きと丸付き紋の件を解決すれば、良いのではと思いますが。

西尾氏は3つの家紋を使い分けていますが、ご指摘の通り、「丸に折れ松葉」「櫛松」「松葉」ですね。

先ず、丸付き紋には。、家紋掟により、約6つ程度の条件があります。
最も多い条件として、氏家制度の中、男系跡目を筋目としていますので、男系ができなかっ場合の処置で丸付き紋にする。つまり、女系に成りつつある場合、そして、ついには2代続きの場合は養子先の家紋と成ります。
本妻子でない場合、本家が認めなければ、丸付き紋になる場合などもあります。
多分大方はこの二つのどちらかですね。

次ぎに荒枝付きですが、これもほぼ同じ理由から本家、分家、分流、分派、支流の違いを見極める為につける手法が在ります。小さいところを一部変更して表すのです。
三つ笠紋(三つ松紋)は三つ笠紋族の本家筋の家紋ですから、5つの流の表示の場合はこの様な方法を使います。これ等は宗家本家が決めて家紋を引き継ぎますので氏に依って異なります。

この三つ笠紋は天野氏です。

次ぎは、西尾氏の3紋が何故、天野氏の家紋類に変更したかの疑問です。

氏家制度の中、家紋掟にて、西尾氏の分家筋が男系跡目が叶わず、娘に天野氏から養子を取りましたが、又も男子の嫡子に恵まれず、2代続きの女系となり、養子先の家紋と成ります。
この時、男子に恵まれた場合は、一時養子先の家紋を使用するか丸付きにするか、細工をするかして変紋して凌ぎますが、基の家紋に戻ります。

つまり、この場合は、女系となり、男子側の養子先の家紋と成ってしまった事に成ります。
そこで、荒枝ですが、本家紋外の上記の流による印をつけた事に成ります。

例えば、武田氏は菱紋ですが、武田一族はこの様な結果から、本家分家などの違いで家紋を少し変えています。

ですから一部が違うからといって他氏とは限らないのです。この様な場合は家紋文献でもそこまで細かく載せることは有りません。
読者側でその家紋の知識を持っていないとわからないことに成ります。

一族紋類と云う事を知る必要があります。
西尾氏が全て、「丸に折れ松葉」「櫛松」「松葉」とは限りません。
本家、分家、分流、分派、支流に依って家紋は変化します。

もっと云えば、三つ笠紋から更に、長い間には跡目の事が起こりますので、別の家紋と成ってしまうわけです。

本サイトの青木氏の藤原秀郷流青木氏は元は「下がり藤紋」が綜紋ですが、何と116氏の家紋にも拡がっているのです。

ただ、本家宗家は家紋を維持する義務がありますので、なんとしてもいろいろな方法を使い変紋が起こらないようにしなくては成りません。

西尾氏宗家本家は上記3つの家紋を維持していると思いますが。いつも西尾氏は本家外は殆ど変わっている筈です。近親結婚しない限り。

そのお家は途中で男系跡目が途切れたという事でしょう。殆どの氏は途切れる。

もう一つは、第3氏の西尾氏です。
氏家紋の持たない庶民の者が立身出世して、周囲の西尾氏の姓を採り名乗った氏です。
この様な時期が3期ありまして、室町末期、江戸初期、明治初期の3期です。
特に明治の苗字令と督促令の2回に氏姓のない者が多くがこの周囲の姓を名乗ったのです。
ある日突然、村や群が同じ氏になったと言う事が頻発しました

氏名と家紋を知る場合はこの様な知識が必要です。氏家制度の社会習慣を。
紋には、綜紋、副紋などの多くの紋があります。

結論 西尾氏だから、いつも、「丸に折れ松葉」「櫛松」「松葉」とは限らない。
既に、3つの家紋をつかってといますよ。
これは上記の男系不継承の結果から、一時、2つの家紋を使ったが何とか妻妾から嫡子に恵まれて本紋に戻って一時女系に成りかけた事があった証拠です。松紋の遠縁族から養子を迎えたとの証拠です。
これは、宗家か本家の出来事です。
分家等と成れば更に起こっているでしょう。


その御家が、宗家、本家、分家、分流、分派、支流であるかを先ず知ることでしょう。

ご質問あれば、お尋ねください。知る範囲でお答えします。西尾氏は知りませんが。

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