青木氏のルーツ & 雑学研究室

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◆-青木氏じゃないのですが・・・・(武州富岡氏)Re: 青木氏じゃないのですが・・・・

No.1358
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青木氏じゃないのですが・・・・(武州富岡氏)
三毛ちゃんさん 2008/11/30 (日) 12:48
б(=^・w・^=)三毛ちゃんと申します。б(=^・w・^=)青木さんじゃないのですが、家のルーツ調べていて苦労してます。б(=^・w・^=)富岡氏の子孫で、言い伝えによると、自分の先祖、鉢形城に立て篭もって、後北条方について、豊臣秀吉と戦ったらしい。戦争に負けて一家離散したらしい。小泉城城主の富岡一族と同じ運命をたどりました。小泉城城主と同じ運命たどったところ見ると、【小泉城城主の分家なのかな?】と思い家紋を調べたら別でしたので【別の一族なのかな?】と思っております。
б(=^・w・^=)と同じ氏族 埼玉県内にも多くいるみたいで、ルーツをたどると、いくつかのルーツに分かれるらしく、自分の祖先のルーツたどり着くのに苦労してます。埼玉鉢形城近辺の一族家紋は【丸に剣花菱】が多いらしいです。【丸に剣花菱】は、武家の家紋で農家では使えなかったらしいです。б(=^・w・^=)も同じ家紋なのですが、ルーツがわからないので知っていたら教えてください。

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★結城氏族 群馬県小泉城城主 富岡氏 【結城氏の分家】家紋 三つ巴【←結城氏と同じ家紋。】
★小山氏の分家で富岡氏もあるらしい。
埼玉県もいくつかルーツあるらしいく
★藤原足利氏の一族の分家で富岡氏というのがあるらしいのですが、資料不足でそれ以上の事 わかりませんでした。
★あたりも草加市近辺に富岡村というのがありそこから出た一族 家紋不明
その他2ルーツあるみたいですが
No.1359
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Re: 青木氏じゃないのですが・・・・
副管理人さん 2008/12/01 (月) 19:37
>б(=^・w・^=)三毛ちゃんと申します。б(=^・w・^=)青木さんじゃないのですが、家のルーツ調べていて苦労してます。б(=^・w・^=)富岡氏の子孫で、言い伝えによると、自分の先祖、鉢形城に立て篭もって、後北条方について、豊臣秀吉と戦ったらしい。戦争に負けて一家離散したらしい。小泉城城主の富岡一族と同じ運命をたどりました。小泉城城主と同じ運命たどったところ見ると、【小泉城城主の分家なのかな?】と思い家紋を調べたら別でしたので【別の一族なのかな?】と思っております。
>б(=^・w・^=)と同じ氏族 埼玉県内にも多くいるみたいで、ルーツをたどると、いくつかのルーツに分かれるらしく、自分の祖先のルーツたどり着くのに苦労してます。埼玉鉢形城近辺の一族家紋は【丸に剣花菱】が多いらしいです。【丸に剣花菱】は、武家の家紋で農家では使えなかったらしいです。б(=^・w・^=)も同じ家紋なのですが、ルーツがわからないので知っていたら教えてください。
>
>---------------------------------------------------------------------------------------
>★結城氏族 群馬県小泉城城主 富岡氏 【結城氏の分家】家紋 三つ巴【←結城氏と同じ家紋。】
>★小山氏の分家で富岡氏もあるらしい。
>埼玉県もいくつかルーツあるらしいく
>★藤原足利氏の一族の分家で富岡氏というのがあるらしいのですが、資料不足でそれ以上の事 わかりませんでした。
>★あたりも草加市近辺に富岡村というのがありそこから出た一族 家紋不明
>その他2ルーツあるみたいですが
富岡さん 今日は。 始めまして。

青木サイトにようこそお越し頂きました。
これからも宜しくお願いします。

さて、さっそくですが、青木氏のことを研究しているサイトですので、富岡氏の事は良く判りません。

只、多少、青木氏と関係する所がありますので、そこの所でお答えし、さらにルーツ調べの知識のことについてお答えします。

提供して頂いた情報は
秀吉に攻められて鉢形城に立て篭もった。
後北条氏に合力した。
小泉城主富岡氏と別一族か。
埼玉県に多くいるらしい。
鉢形近辺の一族家紋は「丸に剣花菱」
お家の家紋は剣花菱紋と同紋
小泉城主は結城氏一族で家紋は三つ巴
小山氏の分家の富岡氏
草加の富岡村

以上だと思います。

実は、この情報の中に繋がる4つあります。
先ず、結城、丸に剣花菱紋、小山氏、埼玉(草加)、小泉氏(富岡氏)です。
この5つは繋がっています。

更に、鉢形城の家紋と小泉城の家紋の違いの件です。

では、検証します。
先ず、結城氏は下総の結城の結城氏で、この氏は関東全体を抑えていた藤原鎌足より8代目の藤原秀郷一門で藤原朝光の領地でした。この朝光の前に平家に土地を奪われました。
ところが、この朝光はいち早く源氏の頼朝に合力し平家を追討して、本領安堵され、土地を取り戻しました。
この子孫が結城氏です。この子孫から藤原秀郷一門の主要5氏の一つ藤原一門結城氏系永嶋氏が発祥しました。
そこで、この藤原秀郷一門は「鎮守府将軍」として陸奥国に代々赴任しました。そこで土地の豪族小山氏や小田氏や花山氏らと血縁をしました。そして、その小山氏は藤原秀郷一門の者が赴任先から戻る時にこの血縁族の小山氏も同行してきました。そして、この秀郷一門の勢力圏の常陸や上総、下総付近一帯に定住しました。
この一族は「関東屋形」と呼ばれる大豪族の一つに成りこれが常陸の小山氏です。
その時に同行した血縁氏の小田氏(小山氏)とその一門の小田氏の一部は秀郷一門の赴任地の甲斐の国にも同行しました。そして、甲斐で勢力を持ちこれが地名から武田氏(武田菱紋)と成りました。
この武田氏の分家が「花菱紋」を使いました、「剣花菱紋」はその武田氏の更に分家と成り、その更に分家が「丸に剣花菱紋」です。

余談ですが、血縁氏の花山氏(花房)も足利に秀郷一門の赴任地の足利氏に同行しました。そして、勢力を持って地名を名乗ったのが初代の足利氏なのです。(途中で秀郷一門が分家に跡目を入れて本家を乗っ取った)
そして、この藤原秀郷一門は武蔵国(埼玉入間)と下野、上野などを領地としました。
入間を中心に横浜神奈川を半径とする円を描く中にいて、その勢力は近江地方までに及んでいました。
次ぎにこの小泉城の土地には小泉氏が発祥しましたが、この氏は藤原秀郷の末裔朝光の子孫結城一族の末裔で、藤原秀郷一門の支流末裔です。
秀郷一門は主要5氏24氏から出来ていますが、更にその24氏の末裔の更に支流に成ります。
この小泉氏の支流の富岡氏はこの秀郷一門の支流一族の末裔と成ります。

三つ巴紋は秀郷一門の121の家紋群の中の一つです。つまり、秀郷一門の小山氏を含む結城氏系末裔支流一族と成ります。
秀郷一門の内、青木氏と永嶋氏と長沼氏と長谷川氏と進藤氏はこの三つ巴紋と血縁しています。つまり、同族血縁をした事を意味します。つまり、巴紋は秀郷一門の家紋です。故に小泉氏(富岡氏)は秀郷一門結城氏であるので巴紋の家紋であります。巴紋筋の藤原秀郷一門と成ります。
当然、秀郷一門支流の小山氏も三つ巴紋です。
これで全て藤原秀郷一門で繋がっている事に成ります。

藤原秀郷一門の藤原朝光の結城一族系支流小泉氏系の支流富岡氏と、元の藤原一門の支流小山氏の富岡氏は一族同門であります。更には何れもが全体としては支流末孫の藤原秀郷一門であります。
ただ、姻戚関係で出口が違う事になったわけです。それは次の結果から起こります。


小山氏の「剣花菱紋」の富岡氏は武田氏の分家末裔と血縁をして男系跡目が出来ずに、武田氏の分家の分家と養子縁組(娘)をし、再び男系跡目に恵まれず、結局、女系となり、氏家制度の「家紋掟」により家紋は養子先の家紋(三つ巴紋から剣花菱紋に)と成ったものです。これが小山氏系の富岡氏と成ります。
土地の地名から名乗った富岡氏(上野の富岡村か武蔵の富岡村)です。

結城氏の「三つ巴紋」の小泉氏の富岡氏は、(小泉氏の支流末裔の者が、)同じ藤原秀郷一門の三つ巴紋の小山氏の支流富岡氏一門から本家小泉氏の分家に養子縁組(嫡子跡目を養子)で入り富岡氏を名乗った。(小泉氏よりこの富岡氏の方が氏が繁栄した。?)これが小泉氏一門の小泉城主の富岡氏と成ります。

藤原秀郷一門の三つ巴紋の結城氏本家と同じく三つ巴紋の藤原秀郷一門の小山氏本家とは、藤原秀郷一門の「関東屋形」と呼ばれて血縁関係にあり、更にこの結城氏流小泉氏系富岡氏、小山氏流富岡氏は四重の同族血縁です。

小山氏は元は陸奥で藤原秀郷一門と血縁し、更に同じ直系一門の結城氏と血縁氏し、更に藤原秀郷同門の小泉氏と富岡氏が血縁し、更に再び小山氏の富岡氏が血縁した形に成ります。
当然、これ等には、藤原秀郷一門の血筋を陸奥で持つ小山氏系(小田氏)武田氏系富岡氏ですから、藤原秀郷一門の血縁で固めに固めた事に成る藤原秀郷一門の支流族一門と成ります。

さて、最後は草加市の富岡氏ですが、もうお判りいただけたと思いますが、武蔵国入間を中心にして藤原秀郷一門を、秀郷主要5氏の一つの本サイトの青木氏116氏の本家筋が円を描く様に取り囲んで宗家を守っていました。外側に行くほど116氏の分家筋となりその本家筋が守っていました。
その防御網の縁は栃木群馬までに及んでいます。
その秀郷総宗本家の護衛役を一切担い「第2の宗家」と呼ばれて取り仕切っていました。そして、分家筋は秀郷一門の赴任地24地方に同行して末裔を土地に遺してきました。
その武蔵草加に富岡氏が多いのは、小山、結城一門が血縁をした土地の豪族の富岡氏が村を形成して住んでいた事によるものであり、この様な事情から充分に考えられます。

実は、この武蔵一帯には「武蔵7党」と言う土地の小豪族集団がありました。
(児玉、秩父、比企、入間(丹治)、大里、葛飾、川越等)上州富岡(群馬埼玉県境:上州富岡氏)から武州富岡付近(埼玉:武州富岡氏)の土地に長くから定住する土豪富岡氏はこの武蔵7党の児玉一党の流を汲む1氏です。
武蔵の国に古くからいたこの「武蔵7党」と呼ばれ一族と後から来た藤原秀郷一門と血縁をしていますが、この流を汲む土豪の富岡氏です。秀郷が武蔵の領主になる前にはこの「武蔵7党」が集団で武蔵を守っていました。其処に「平将門の乱」追討で勲功を挙げた藤原秀郷が朝廷より領地として授かりました。貴族の身分も獲得しました。貴族は武力を使えないので、秀郷の第3子の千国が青木氏を名乗り護衛役を担いました。

専門で無いので其処までで詳しい事情はわかりませんが、多分、小山氏の富岡氏の本家筋はこの辺(群馬埼玉県境)にあったと考えられます。そして富岡の姓はこの地名から出たものであります。

実は、筆者はこの草加綾瀬川の河渕の氷川町(八潮)に長く住んでいましたので富岡氏は承知していますが群馬県境から埼玉草加付近までに富岡氏は分布していました。

結論は、藤原秀郷一門の血縁で先ず繋がる。小泉城主の富岡氏と小山氏の富岡氏とお家の富岡氏は縁者関係にある事に成ります。お家は多分この小山氏の富岡氏であろうと考えられます。富岡氏の本家筋系の支流分家筋と成ると考えます。

氏の拡大というのは、氏に男系跡目が出来ずに、氏家制度の社会の中、家紋掟により家紋の違う氏が増えてゆくことに成ります。
当然、この中には娘に養子婿を、男女の子供ない氏に縁者から男子(養子)を迎えてそれに嫁を採る縁組等も起こります。
この様にして、家紋の違う氏、氏の違う同家紋が生まれて行くのです。
この両方が同時に起こる事もあります。

そこで農家が家紋を用いる世に成ったのは明治3年と8年の苗字令とその督促令から苗字家紋を持てるように成りましたのでもともとは農民は持てませんでした。
ただし、兵農分離で中でも、多くの武家の出の名主、庄屋、豪農、郷士、郷氏とは持つことを許されました。戸籍も、寺が管理していましたが、役所の人別帳だけで、農民には戸籍が有りませんでした。折角の折ですので、青木氏は嵯峨天皇期の詔で、特例で皇族以外の者はこの青木氏を使用禁じました。明治3年まで続きました。
明治3年以後、青木氏とか藤原氏一門の姓を姓の持たない庶民は金品を払って青木氏等の特別の姓を名乗ったのですが、これを「第3の青木氏」等と言います。
ある日突然関東東北地方では村、郡全体が藤原氏を名乗ると云う現象が起こりました。

氏家制度とは、好きで血縁すると言う事は中級武士以上ではなく、殆ど政略血縁で氏の繁栄の為のものです。身分、家柄、血縁筋の合う同じ氏関係で行うのが氏家制度です。男子がこの条件の下の氏とは血縁をし無い社会習慣です。血縁は決して分家だけでは出来ず、本家、宗家の許可が要ります。逆らうと潰されるのが掟です。しかし、経済的、軍事的、政治的な確実な支援をも受けます。
そのような社会の中で、生まれた藤原秀郷一門の血縁で固められた支流一族の氏と成ります。
氏家制度システムは総宗本家、本家、分家、分流、分派等があります。確定できませんが、青木サイトから観ると、多分推測ですが、分け方としてはお家は分流系の分家筋と成ります。
不思議に青木サイトの関連氏でしたので、何かの縁ですね。

藤原秀郷一門の色々な史料は青木氏サイトに充分にレポートされていますので参照してください
大変な史料と成りますので、ゆっくりと楽しんでお読みください。

念の為に、8月24日付けの他の富岡さんからの投稿がありますので、参照ください。

ご質問、ご不明点が有りましたら、関連氏ですので、ご遠慮なくまたReでお尋ねください。
では、この程度で参考にしてください。

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