青木氏氏 研究室
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  [No.154] Re: 青木氏と血縁族(家紋)-2 (蔦紋)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/23(Fri) 08:43:54
Re: 青木氏と血縁族(家紋)-2 (蔦紋) (画像サイズ: 588×475 24kB)

Re: 青木氏と血縁族(家紋)-2 (蔦紋)
青木研究員 さん 2005/11/12 (土) 19:45
日本の青木氏を家紋別に分けてみると33種になる事が前レポートで判断出来るが、この家紋種の一つ一つには又違う家紋になっていて、支流、分派などで変化しているのでこの内容を次に記述する。

先ず、最も多い家紋種は「蔦紋」である。この「蔦紋」には8種に家紋に分けられる。
蔦紋の種類

1は「蔦紋」の青木氏である。
この蔦紋は松平三木氏と松平石川氏の2氏の主要家紋である。

いくつかある松平氏の中でこの2氏の松平の一族はこの家紋を使っているが、この中で青木氏もその一族である。
この青木氏のルーツは賜姓青木氏か藤原秀郷流の青木氏かは確定は困難で判らない。
しかし、室町から江戸期の氏であるので、土地柄からは多くの血縁関係が行われているが、賜姓青木氏ではないと考えられる。藤原系の青木氏であろう。
鎌倉期になって守護職でなくなり、各に飛散し仕官した藤原秀郷流青木氏の流れの持つ青木氏と松平氏との婚姻関係での血縁と見られる。
江戸期に爆発的に子孫を多く残したこの青木氏が最も栄えた青木氏であるとは不思議である。

2は「陰蔦紋」の青木氏である。
この陰蔦紋は山本氏の家紋とされていて、矢張り藤原流の青木氏と思われるが、この青木氏が山本氏との婚姻関係でこの家紋を引き継いだと考えられる。
青木氏を名乗っている事は山本氏から嫁を迎えて、その子供になんらかの理由で山本氏の家紋を引き継がせたと判断される。
この山本氏には小高氏も繋がっていて、この小高氏も「陰蔦紋」を使用している。

3は「鬼蔦紋」の青木氏である。
この鬼蔦紋は小高氏の家紋とされている。藤原流青木氏が上記した様な理由でこの家紋を引き継いだと思われる。結局は青木氏と山本氏と小高氏との三つ巴の婚姻関係を結んだことになる。

4は「隅切り角に蔦紋」の青木氏がある。
この氏に付いては不詳でデーターを保持していないので不明である。

4は「八角に蔦紋」の青木氏がある。
この氏に付いても不詳でデーターを保持していないので不明である。

5は「五瓜の蔦紋」の青木氏がある。
この氏に付いても不詳でデーターを保持していないので不明である。

6は「二重瓜の蔦紋」の青木氏がある。
この氏に付いても不詳でデーターを保持していないので不明である。

7は「丸に蔦紋」の青木氏がある。
この青木氏は1の蔦紋の青木氏の支流となる青木氏である 同系列である。
1の青木氏から子孫が拡がったが家紋は丸がついているので、婿養子を取ったか、娘が跡目を継いだ事から生まれる一族である。

8は「丸に陰蔦紋」の青木氏がある。
この青木氏は2の陰蔦紋の青木氏の支流となる青木氏である。同系列である。
1の青木氏から子孫が拡がったが家紋は丸がついているので、婿養子を取ったか、娘が跡目を継いだ事から生まれる一族である。

以上が蔦紋に関わる青木氏である。この青木氏の元祖は藤原秀郷流の青木氏であると考えられる。

そもそも、この文様の蔦紋は蔦を図案化したものであるが、この蔦の持つかえでと同じに様に、紅葉する美しさに引かれての紋様化したものと思われ、昔は風呂敷などに唐草模様と同じく良く用いられた。

江戸時代に吉宗が好んで使用したので、松平氏が用いたものと云われている。
この為に、高安氏、富田、椎名氏らがこの紋を変化させて家紋化した。
この紋は葉が全縁状と鋸状との二つがある。
葉の紋と花つるの紋があり、それぞれ一葉、二葉、三葉の紋様と変化させいる。

これ等の紋をあわせて見ると85もある。
次に記している氏を見てみると大方は松平氏の縁者である。
この縁者の支流、分派などの子孫である。

この青木氏以外に家紋として使っている氏は数種の文献を調べると、松平形原氏、大岡氏、仁科氏、志賀氏、植木氏、愛知氏、根木氏などがあると文献にある。
特に、徳川氏に仕えた青木氏を広い出すと次の様になる。

1 松平土佐守に仕え後に徳川綱吉に仕えた青木忠英の藤原流青木氏がある。
この青木氏の主家の家紋は「丸に揚羽蝶」で「二葉蔓柏」と二門である。

2 甲府綱重に仕えた後に家宣に仕えた青木安明があり藤原秀郷流青木氏である。この一族は代々組頭などの役職に着いた。
主家の家紋は「丸に違い鷹羽に一文字」「揚羽蝶」「開き蛤」の三門がある。

3 家綱に仕えて代々組頭として仕えた青木正命があり藤原秀郷流青木氏がある。
主家の家紋は「丸に一文字」「稲丸の内一文字」「丸に揚羽蝶」の三門にがある。

4 綱吉に仕えて組頭として仕えた青木政之があり藤原秀郷流青木氏がある。
主家の家紋は「丸に蔦」「青木葉二枚」の二門がある。
この一族が間違いなくこの紋様の蔦紋の一門である。

5 綱吉に仕えて組頭として仕えた青木正胤があり藤原秀郷流青木氏がある。
主家の家紋は「丸に抱き柏」「梅鉢」の二門がある。

6 家斉に仕えて小普請としてつかえた青木長貴があるが藤原氏ではない。
主家の家紋は「丸に揚羽蝶」の一門である。

7 家康に仕えた青木義勝があり藤原秀郷流青木氏があるが、丹治氏の説もある。
主家の家紋は「丸に揚羽蝶」「三つ頭左巴」「三つ頭右巴」「筋船」「鎧蝶」の五門がある。

8 池田輝政に使え後に家康に仕えた青木重直があり藤原秀郷流青木氏があるが、丹治氏の説もある。
主家の家紋は『丸に鱗」「富士山」「三銀杏」の三門がある。

9 家康に仕えて秀忠に仕えた青木満定があり丹治氏青木氏がある。
主家の家紋は「花菱」「九曜」の二門がある。

10 綱吉に仕えた青木清光があり丹治氏或いは藤原秀郷青木氏がある。
主家の家紋は「丸に葛花」「州浜」「蔦」の三門がある。
この一族が間違いなくこの紋様の蔦紋の一門である。

11 綱吉に仕えた青木覚左衛門があり上野国館林市青木村の出身であることから藤原秀郷流青木氏である。
家紋は不明である。

以上11が徳川家に仕えた藤原秀郷流青木氏がある。
こりらの一族は代々徳川家に仕えた。
蔦紋を使用しているのは2つの青木氏であるが何れも秀郷流青木氏であるから
元は一族である。この一族の2つと残りの9氏のいずれかの青木氏が8氏の青木氏に広がった可能性がある。

資料では家紋種は6種に留まっているが、持ち合わせのデーターが無いため不明である。

前にも記したか゛直系1氏と直流4氏と支流4氏のあわせて九氏から末裔が広がっている。この末裔は116氏に及ぶ。
又、家紋が元は「蔦紋」の紋様でなくても、後に婚姻関係の内容で家紋掟に従い、元は蔦紋のない藤原秀郷流の青木氏である限り「蔦紋」に紋変えした事も考えられる。

蔦紋は吉宗から正式にその一門が家紋として用いたもので、綱吉あたりから色々なところで象徴紋として使っていた。
これらのほかに徳川家との関わりで葵紋の変化紋様を用いた藤原秀郷流青木氏もある。
鎌倉期の守護職の崩壊にて離散した藤原秀郷の青木一門は多くは松平家に仕官した事がこの11のパターンでも判る。
この蔦紋の家紋から見てみると既に25氏にも末裔が広がったことに成る。

これ等の家紋の文様は判る範囲で引用したので、暫くお待ちください。
準備が出来た際に添付の項を開いて参照してください。
又、現在、家紋掲載の欄にも記載する準備をしていますので暫くお待ちください。
続く。



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