Re: 青木氏と血縁族(家紋)-14(引き両紋) 青木研究員 さん 2006/03/12 (日) 18:08 第13の紋様は引き両紋である。
この紋様は38の紋様がある。
家紋200選に選ばれた鎌倉期から室町期に勢力を持つた一族である。
この紋様に関わる青木氏の紋様は4つある。
次ぎの通りである。 第1番目は丸に一つ引き両紋の家紋である。第2番目の足利氏系青木氏の主家が一門の新田氏との血縁を結んだ青木氏である。
第2番目は丸に二つ引き両紋の家紋である。この4氏の青木氏の中でこの丸に二つ引き両紋が主家筋である。足利氏の家紋で足利系青木氏
第3番目は丸に三つ引き両紋の家紋である。下記のいずれかの一族との血縁を深くした第2番目の主家足利系青木氏である。
第4番目は八角に木瓜二つ引き両紋の家紋である。第2番目の主家の足利系青木氏と木瓜一族との血縁を結んだ一族である。 足利氏一門の主要一族である。
この4つの家紋類は明確に足利一門の家紋であり、この一族との血縁による青木氏である。
この青木氏は武田氏と同様に信濃の皇族賜姓青木氏と土地の豪族であった足利氏との血縁による足利系青木氏である。
つまり、この主流足利系青木氏は皇族賜姓青木氏の5家5流の支流24氏の主要一族である。
足利氏は以前のレポートでも記述したが、土地の豪族足利氏が衰退し続けていたが、この一族の一部が藤原秀郷の一族との血縁を図り態勢を戻そうとした。 しかし、皇族賜姓青木氏の血筋を入れていた本家筋はこの動きに反発して二派に分かれた。 しかし、本家筋を率いる者の力が不足していて分家筋の動きを止めることはできず、結局、藤原秀郷一族の血筋を入れた分家筋の勢力が勝った。 そして、この分家筋は政略的な行動から更に清和源氏から上位の跡目を入れ清和源氏支流の一門となった。(詳細は研究室のレポートを参照) そして、この分家が本家筋も引き込み足利氏の本家として一門を統一していった。 この皇族賜姓青木氏の血筋を持つ足利系青木氏がその後に他の分家と支流の足利一門との血縁を深くした。
二つ引き両紋の青木氏から分家してこの一門の一つ引き両紋、三つ引き両紋の分家筋が一門との血縁を広げていつたものがこの青木氏である。 その後、二つ引き両紋の分家一族が男系相続が不可能となり、木瓜一族から跡目を採り、止む無く家紋の変更を余儀なくされたものである。 木瓜一族との血縁を結んだのが第4番目の一族となる。 この足利系青木氏の4氏がこの家紋を引き継いでいる。
この内、一つ引き両紋は一門の新田氏であり、二つ引き両紋は主流足利氏、で三つ引き両紋はこのほかの足利一門が使用している。下記
例えば、他に有名なところでは吉良、渋河、石橋、斯波、細川、畠山、上野、一色、山名、大館、今川、三浦、山名の各氏が使用している。
他にこの一族と血縁した紋様の一族は違い鷹の羽の家紋族、上記の木瓜族、巴族などがある。 足利系青木氏は上記の木瓜族のみである。
そもそもこの紋様は陣幕の色で武将の居所を明示することに用いたものが、後にその幕に八卦の卦を入れて武将の居所を占めすものとして使われた。それが主家の足利氏は二つ引き両が目印とし、これに丸をつけて家紋とした。
新田氏は一つ引き両で丸に一つ引き両紋の家紋とした。 丸は通常は家紋掟により分家がつけるものであるが、この場合は居所を示す使用目的から初期から丸つき紋である。
上記した様にこの紋様は中国の八卦の卦を紋様化したものと言われており、この両は竜、領であるとする説もあるが、卦が通説に成っている。
古くは盾などの紋様として用いられていた。
下に主要家紋の丸に二つ引き両紋を示す。家紋は家紋掲示板を参照。
|