青木氏氏 研究室
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  [No.169] Re: 青木氏と血縁族(家紋)-17(茗荷紋)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/23(Fri) 10:09:37
Re: 青木氏と血縁族(家紋)-17(茗荷紋) (画像サイズ: 2082×2040 67kB)

Re: 青木氏と血縁族(家紋)-17(茗荷紋)
青木研究員 さん 2006/05/07 (日) 14:37
第16番目の紋様である。

この紋様には61の紋様がある。

この内、青木氏に関わる紋様は次ぎの3つである。

第1番目は抱き茗荷紋である。
第2番目は丸に抱き茗荷紋である。 第1番目の分家筋に当る。
第3番目は抱き茗荷菱紋である。 第1番目の支流である。

第1番目は志摩地方の鳥羽氏がこの紋様の抱き茗荷を家紋として使用している。
この全体の紋様は関西地方に多く散在し、近江地方の山下の稲垣氏もこの家紋を使用している。又、小沢氏もこの抱き茗荷の家紋である。
何れも新しく江戸時代になってからである。
この2氏は二宮氏、鳥羽氏の支流一門と見られる。

最初に使用したのは近江地方に広く分布する二宮氏である。
土地の地名を採った鳥羽氏は系譜の確認は江戸期であるのでとれないが、この二宮氏の系列と見られる。又、稲垣氏、小沢氏も同様と見る。

この紋様は元は比叡山の天台宗の神紋であり、この紋様を戦国期を経て江戸時代になり家紋の持たない者が侍となってこの紋様から引用して家紋としたものである。
特に関西系の旗本100氏程度がこの紋様を使用した。

したがって、この3つの家紋の青木氏の系譜は江戸期になってのものであり、5家5流と藤原秀郷流青木氏の2つの青木氏との確定は困難である。

この二宮氏と鳥羽氏を元とする抱き茗荷の家紋を持つ本家筋が2つのいずれかの何らかの血筋で青木氏との繋がりがあり、江戸期になり家紋と共に名乗ったものであると思われる。
後の二つはこの分家筋と更に分家分派した支流の抱き茗荷の一門である。

関西を中心としての氏であるとすると、伊勢の青木氏か、藤原秀郷系統の伊藤氏に付き従った青木氏とも考えられる。

しかし、伊勢の青木氏との可能性は分布と地域と二宮氏と鳥羽氏との関連から極めて低い。

この伊藤氏は、藤原秀郷系の藤原氏で平安末期前半にこの伊勢の半国司を務めていて、鎌倉期になり、この地に留まり伊藤氏を名乗っている。つまり、伊勢の藤原氏である。この時に護衛役として従った青木氏であると見られるが近江滋賀の二宮氏との地域の関連が取れない。

つまりこの鳥羽氏と二宮氏の先祖はどちらが先きにあるかと云う問題で歴史上からみては鎌倉期の二宮氏となっているが、鎌倉期前から鳥羽地方に古くから定住していた者の藤原秀郷流青木氏の一部が近江に移動したとも考えられる。

その根拠は当時は勝手に一族が土地を離れることは「国抜け」として出来ないが、鎌倉前にただ一つ出来ることは藤原秀郷一門の「守護職の赴任地移動」に伴って勢力を保持したままに青木氏のみが動くことができたことである。
これが現地に子孫を残す戦略を採っていた藤原一門の方法でもあつた。
この近江地方には秀郷一族の「藤原脩行」という者が鎌倉末期に守護としてとして移動している。
伊勢鳥羽永嶋の半国司でなくなった時に青木氏は伊勢の志摩鳥羽地方に残っていたが、その後、伊勢より移動してこの者に従った青木氏である可能性がある。

二宮氏の一個人が移動しても勢力を持つ事は出来ない。出来るとすれば秀吉の時代の命令により一族の移動が考えられるが3百年も時代は新しいことになるので可能性は低い。

それ以前であればここは北畠氏の領域であるので戦いが起こるが無かった。

戦いが起こらないただ一つの大量の移動はこの青木氏の移動以外に無い。

この意味から鳥羽地方に住む藤原秀郷流青木氏の近江か滋賀地方への移動説が現実的である。

伊勢鳥羽に僅かに残った藤原秀郷流青木氏が土地の鳥羽氏との血縁で男系相続不可にて茗荷紋に変紋したものと見られる。

二宮氏が現在の所先に出たとされていると滋賀佐々木氏系青木氏ともなる。
しかしこの可能性はく低く戦国期を挟んでいるために確定は困難。
土地が両方にまたがっているので移動説がなくては成立しない。

半国司とは伊勢は元は平安中期までは伊勢青木氏の所領であつたが、伊勢北部の伊賀地方を中国後漢光武帝の子孫(帰化した阿多倍王)の功績に対して恩賞として伊勢を切り裂いて特権を与えて領国とさせました。(桓武期前後)
その後、村上源氏の支流北畠氏に伊勢の東部永嶋と鳥羽地方を切り裂き国司として任じました。
結局、伊勢は3つの国司が存在しました。この状態の伊賀と永嶋の2つを半国司という。

伊勢鳥羽と近江山下の地方には僅かであるがこの藤原秀郷流青木氏が存在する。

伊勢松阪と玉城を中心として西には奈良の名張、伊賀地方から東は桑名地方まで帯状に分布する施基皇子を元祖とする伊勢王の子孫の皇族賜姓青木氏とは異なり、又、皇族賜姓近江青木氏と皇族系近江、滋賀佐々木系青木氏の慣習に基ずく住み分け地方が異なることから、このことから移動の出来る藤原秀郷系の伊藤氏に着き従った青木氏である事となる。

この藤原秀郷流青木氏が土地の鳥羽氏との血縁にて男系継承相続が困難となり
家紋を抱き茗荷家紋として引き継いだものと考えられる。

61もの紋様はこの旗本の100余りの旗本の家紋である。

これ等は鳥羽氏、稲垣氏、小沢氏を発祥元とした氏の家紋であり、通説の元祖二宮氏から出たものであろう。

この紋様は大変に杏葉紋と酷似する。この変紋ではないかと見られる。

比較的新しいこの家紋を使用している氏の青木氏には戦国時代の為、系譜等の資料は全くなく確定は困難であり、以上の状況判断によるものである。
明治以降の第3の青木氏との関係は一般武士であることから見て無いと見られる。

この抱き茗荷紋の主要紋は次ぎのとおりである。
他の2つの家紋も家紋掲示板に掲示しますので参照して下さい。



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