青木氏氏 研究室
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  [No.172] Re: 青木氏と血縁族(家紋)-20(沢瀉紋)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/23(Fri) 10:16:27
Re: 青木氏と血縁族(家紋)-20(沢瀉紋) (画像サイズ: 1911×1920 30kB)

Re: 青木氏と血縁族(家紋)-20(沢瀉紋)
青木研究員 さん 2006/07/05 (水) 14:57
第19/33番目の紋様である。

この紋様は82もの紋様がある。

この内青木氏に関わる紋様は3つの紋様である。

この紋様は家紋200選にある紋様である。

この3つの紋様は次ぎの家紋になる。
第1番目は立ち沢瀉紋である。
第2番目は丸に立ち沢瀉紋である。1番目の分家筋である。
第3番目は抱き沢瀉紋である。

先ずこの立ち沢瀉紋は次ぎの氏に依って使用されている。
松平氏、椎名氏、酒井氏、堀氏、土井氏、稲垣氏、中村氏、水谷氏である。

抱き沢瀉紋は次ぎの通りである。
堀越氏、町野氏、間宮氏、清水氏、蔭山氏である。

この立ち沢瀉紋を見ると明らかに1地域の氏に集中している。其れは全て松平氏の重家臣団である。

同じく抱き沢瀉紋も同様であるが立ち沢瀉紋のように重役氏名ではないが松平氏の家臣団の氏名である。

つまり、元の発祥地域は駿河、尾張、三河地域となる。つまり、徳川幕府の立役者の氏である。

この青木氏となると次ぎの二人が上げられる。
藤原秀郷の子孫で藤原景頼がこの地域の駿河権守に任じられてそれに護衛役として同行した青木氏がありこの地域に定住している。
又、其れより後役として藤原公則が任じられている。此れに護衛役同行した青木氏があり何れも定住している。

藤原秀郷流青木氏が鎌倉幕府樹立で藤原一門共に離散したが、この地域に定住していた青木氏は戦国期に信長と共に勢力を拡大した時期の松平氏に仕官し守り立てた立役者ばかりである。

元は下がり藤紋であったが男系相続が叶わず土地の松平氏の一門と血縁を結び変紋を余儀なくされたものである。

当然、この地域の権守の藤原宗家の一族も仕官したと見られ、そのこの地域の一族の氏名の中に例えば椎名氏などの藤原氏一門の氏名が見つかる。

この家紋は元は平安末期から鎧兜や直垂に用いている。

しかし、この82に及ぶ大半は戦国末期からで江戸期に入って多くの家臣が変紋して使用したものである。比較的新しい家紋類である

この紋は豊臣家臣にも使われている。尾張の出の豊臣秀次の馬標に使用し、秀吉の妻木下家の豊後日出守の家紋でもある。
又、福島正則も家紋としている。

何故この地域のものが沢瀉紋を使用したのかと言うことであるが、この地域の水辺にはこの沢瀉草が群生していたことから使用したと見られる。

殆どの82の紋様の氏はこの地域の一族である。

この沢瀉紋となった藤原秀郷流青木氏は主要9氏のどの氏から出ているのかは確定は出来ないが、この赴任した藤原秀郷の宗家の二人の位置付けから見て直流4氏の青木氏から出た116氏の内の一つの一族と見られる。

丸に立ち沢瀉紋は当然に立ち沢瀉紋の分家筋になるのでこの一族も末裔を広げていた事がわかる。
又抱き沢瀉紋の一族はその家紋を使用している一族の氏名から中級家臣である。この地族と血縁した青木氏は立ち沢瀉紋青木氏の分家に当る一族ではと思われる。

この立ち沢瀉紋は82の沢瀉紋の主要氏であるので、先ず藤原秀郷流青木氏のこの地に定住した本家筋が主要氏である一族(13)の立ち沢瀉紋の主家と血縁を結んだ事となり、更に分家筋が抱き沢瀉紋と血縁したと見られる。しかし、この抱き沢瀉紋も抱き沢瀉紋の16中では主要氏であり、82の沢瀉紋のなかでも立ち沢瀉紋に継ぐ位置にある。

藤原秀郷流青木氏は強かにこの地域に根付き、末の勢力拡大を見て徳川氏を盛り守り立ててその末は幕府の権限を握った重家臣団の一族の一つに成っていた事になる。
小豪族であつた松平氏は武田軍団と諏訪族の軍団を家臣団に加えただけではなく土地に明るい藤原一族おも家臣団にしていたことを考えると天下取りの徳川勢力は多きかった事が頷ける。
だから、下から成り上がった者の家臣団だけではなく最も古い歴史と高い伝統のある諏訪族青木氏を含む赤兜の諏訪青木武田軍団と、歴史と伝統と各地に広がる藤原秀郷一門のある藤原秀郷流青木氏の軍団のおかげが後には幕府を開いた原因とも言える。

このように見ると皇族賜姓青木氏と同じ藤原の血筋を持つ藤原秀郷流青木氏一族は合同で天下を取り戻したとも考えられ強かである事に感心する。

両青木氏が持つ伝統とは、無意味な物ではなく歴史をこのように見ると大変重要である。そして、其れは一青木氏ではなく各地に散在した一族の末裔がいざ戦いの時にあつまりその力を発揮した事を物語るものである。

左隅に主要家紋を掲示します。
家紋掲示板にも近日3つの家紋を掲示します。



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