Re: 青木氏と血縁族(家紋)-22(松紋) 青木研究員 さん 2006/08/09 (水) 10:53 第21/33番目の紋様である。
この紋様は全部で114の紋様がある。
この紋様は家紋200選にある。
この紋様のうち青木氏に関わる紋様は2つである。 この二つは次ぎの通りである。 第1番目は丸に三階松紋である。 第2番目は抱き若松紋である。元は同族で三階松紋の方が宗家となる。
この紋様の丸に三階松紋は次ぎの氏が使用している。
五条氏、岡山氏、宮村氏、石原氏、中川氏、小池氏、中根氏、内山氏、辻氏、前田氏、下島氏である。
讃岐藤原氏と何らかの遠縁による血縁関係にあると見られる。 このいずれかの氏との血縁を結んだ青木氏であり、この青木氏は次ぎの青木氏である。
この紋様の抱き若松紋は次ぎの氏が使用している。 松尾氏である。
この松尾氏と血縁を結んだ藤原秀郷流青木氏である。
北家筋の藤原秀郷氏の本家の末裔が朝廷の命にて讃岐の守護として赴いた際に護衛役として同行した藤原秀郷流青木氏で、この子孫が讃岐の土地の豪族と血縁を結び土地に根付いた一族である。 この一族は一部は領国の武蔵に戻っている。
この一族の3方がこの研究室に投稿されている。
この松紋は最初に使用したのはこの讃岐に赴任し土地に定着した讃岐籐氏と言われる一族である。 (藤原秀郷の宗家の者が讃岐守護となり土地に定着した一門の事)
この讃岐籐氏には次ぎの氏が存在する。 西隆寺氏、豊田氏、柴野氏、平尾氏、有岡氏,竹田氏、成宗氏でこの讃岐籐氏の支流の庶流氏である。 これ等の氏に関係して上記の丸に三階松紋の諸氏が存在すると見られる。
四国讃岐一帯に分布している氏である。
この四国にはもう一つの青木氏が阿波国に存在する。 藤原秀郷の末裔の宗政、時宗親子で、この親子に護衛役として同行した藤原秀郷流青木氏で土地の五瓜に剣片喰紋の青木氏が存在する。
更に、讃岐の青木氏は讃岐の海向こうの岡山と広島に子孫を広げている。 この子孫は3つの氏との血縁を結び更に子孫を広げているが、元はこの讃岐に残存した末裔の藤原秀郷流青木氏で、家紋の綜紋は元は下がり藤紋である。
この宗家は雁紋の副紋使用している。(結び雁金紋)
何れも末裔が男系跡目の継承が出来ずに家紋掟により変紋を余儀無くされた藤原秀郷流青木氏の子孫である。
この紋様は竹と梅と松の慶賀の印のもので、松の常緑樹を祝い常に緑である事を賀して子孫繁栄の印として用いたものである。
調度、器具などにも紋様として用いられている。
特に、この紋様は114もあるのは江戸時代に家紋の持たない者で家を興し武士と成ったものが用いたもので、中には先ず氏を松の姓にして後に松にちなんだ家紋として用いたものが武士では多いのである。
三階松紋にも殆ど見分けの付かない紋様が大まかには9つもある。 しかし、丸つき紋であるがこの丸なし紋の三階松紋は無い。何らかの前頭文字を入れて呼称している。 三階松紋とはこの9つの全体の呼称である。
丸に三階松紋が主要紋である。
若松紋用には4つある。抱き若松紋が主要紋である。 この抱き若松紋に付いては岡山と広島にはこの末裔の亀甲族と血縁した亀甲内若松紋の氏がある。
亀甲族とは三階松紋も血縁を結んでいる。
亀甲族は中国地方の小豪族が神社を中心にして結束して亀甲族一団を形成して生き残りを図ったが結束力が不足して分散したので少ない。
この紋様に関連して、研究室の讃岐の青木さんのレポートも参照して下さい。
この松紋の讃岐の青木氏の紋様を家紋掲示板に掲載します。
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