青木氏氏 研究室
このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment

[研究室トップ(ツリー表示)] [新規順タイトル表示] [新着順記事] [留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

  [No.187] Re: 青木氏と血縁族(家紋)-23(銀杏紋)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/23(Fri) 14:34:47
Re: 青木氏と血縁族(家紋)-23(銀杏紋) (画像サイズ: 2061×2049 32kB)

Re: 青木氏と血縁族(家紋)-23(銀杏紋)
青木研究員 さん 2006/08/24 (木) 22:22
この紋様は第22/33番目の紋様である。

この紋様は使用されたのは古く平安末期頃と見られ公家の紋章として用いられている。
しかし、多くは江戸時代に使用されたものである。

この紋様は79の紋様がある。

この家紋に関するものは家紋200選に無い。
家紋200選に無い事は確証するルーツと資料は明らかでない。

この内青木氏に関する家紋は2つである。
第1番目は『三つ銀杏紋』である。
第2番目は『二重亀甲に銀杏紋』である。

この79ある紋様中、この二つの銀杏紋はこの紋様を多く使用している氏から見ると安芸国に見られる紋様である。

因みに、この三つ銀杏紋を使用している氏として、大石氏、土方氏、水島氏、間部氏、長谷部氏等で夫々の氏は中国地方中部から南部にかけて分布する氏である。
忠臣蔵の大石氏、長州の土方氏、水島工業地帯で有名な土豪水島氏、などである。
参考として、間部氏や長谷部氏は下中国後漢の国の末帝献帝の子の阿智使王と孫の阿多倍王が後漢が滅亡して17県民を引き連れて大和の国(九州)に帰化してきたもので、その一団の者である。
その中には職人集団としては定住した一族が陶部氏を中心としてと共に中国地方に上陸して不戦で制圧し大勢力を持つた一団で、この時の職人集団の間部と長谷部氏である。

「二重亀甲に銀杏紋」を使用している氏は中国地方の小豪族の連合体で、亀甲紋紋は出雲大社の神文であり、出雲大社を中心として結束を固めていた氏の集合体である。
広島、岡山地方に多く分布している。

藤原秀郷流青木氏は讃岐地方から移動した氏と近江から移動した氏とがこの一族との血縁をしている。


この三つ銀杏紋の中に青木氏が存在する。
したがって、この紋様を用いられた時期から考えて、藤原秀郷流青木氏の三つの流れからの青木氏と見られる。
しかし、この青木氏の紋様は新しいので確定は出来ない。

先ず、その一つは近江国に赴任した藤原秀郷一門の脩行に護衛役として同行した青木一族で、その後に領国に帰らず安芸の国に移動したとされる藤原秀郷流青木氏が史実として見られる。

次ぎに、讃岐に赴任した藤原秀郷一門(文紀)に同行した青木氏で鎌倉期に領国に帰らず定住して、その後、末裔が瀬戸内海の海向こうの岡山、広島に移動した一族で史実として見られる。

第三として、出雲国に赴任した藤原一門の藤原宗綱に同行した同じく藤原秀郷流青木氏である。

この土地の氏と血縁した藤原秀郷流青木氏であろうと見られるが、いずれもかが混乱期を2度経ているためにルーツの確証できない。どちらにしても藤原秀郷流青木氏の可能性はあるが。

上記した血縁する武士の氏は下級武士であつた事から、発祥などは確証できず不明が多いのである。

そもそも、この紋様は銀杏の葉型が良いことから古くから家具や装飾品に使用されていたものである。

其れが公家の飛鳥氏、あるいは飛鳥井氏の紋章として家族毎に銀杏葉の使用を変えて使用されていた。其れが家紋化したものである。

使用もとは古いが一般に使用され始めたのは江戸期である。

その後に、末裔が不詳と成る江戸期に上記する一族との血縁を結んだと見られる氏である。



- 関連一覧ツリー (◆ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 削除キー