青木氏氏 研究室
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  [No.267] Re: 伊勢青木家 家訓8
     投稿者:福管理人   投稿日:2010/09/01(Wed) 15:57:52

伊勢青木氏の家訓10訓

以下に夫々にその持つ「戒め」の意味するところを説明する。

家訓1 夫は夫足れども、妻は妻にして足れ。(親子にして同じ)
家訓2 父は賢なりて、その子必ずしも賢ならず。母は賢なりて、その子賢なり。
家訓3 主は正しき行為を導きく為、「三相」を得て成せ。(人、時、場)
家訓4 自らの「深層」の心理を悟るべし。(性の定)
家訓5 自らは「人」を見て「実相」を知るべし。(人を見て法を説け)
家訓6 自らの「教養」を培かうべし。(教の育 教の養)
家訓7 自らの「執着」を捨てるべし。(色即是空 空即是色)
家訓8 全てに於いて「創造」を忘れべからず。(技の術 技の能)
家訓9 自らの「煩悩」に勝るべし。(4つの煩)
家訓10 人生は子孫を遺す事に一義あり、「喜怒哀楽」に有らず。

家訓8 全てに於いて「創造」を忘れべからず。(技の術 技の能)

家訓1は「夫婦の戒め」
家訓2は「親子の戒め」
家訓3は「行動の戒め」
家訓4は「性(さが)の戒め」
家訓5は「対人の戒め」
家訓6は「人間形成の戒め」(長の戒め)
家訓7は「品格の戒め」である。

この家訓8の先祖の説いているところは”人生 「生きるべき力」は「創造」にある”と説いている。
家訓7までの内容の戒めと少し違う。
家訓7までの戒めは「人」又はその「長」としてのより高い人間的な習得、悟るべき戒め」を説いている。
しかし、この家訓8は「人」又はその「長」としての「示さなくては成らない戒め」を解いている。

どう云う事か。当然に自らも絶対条件として保持しなくてはならない条件でもあり、且つ、「長」として人を引き付ける「強いもの」を持ち得ていなくては成らないとしている。
その「強いもの」とは「創造力」であって、その「創造」は具体的には”「技の術 技の能」とを分けて会得せよ”とあり、闇雲に「創造」を追い求めても会得できないし、「長」として人を引き付ける事は出来ないと解いているのである。
此処は”敢えて”解いている”と添書には記述されている。
つまり、”説く”のではなく”解く”であり、即ち”強く分けて考えよ”という事を伝えたいのであろう。

「強く分けて考える事」に付いて”それは何故必要なのか”疑問(1)が湧く。
そして、その「創造」の基となる「技」に付いても”「技の術」と「技の能」とはどう違うのか”の疑問(2)も当然に湧く。疑問の多く湧く家訓8である。
何も「創造」だから「技」に拘らなくても良いであろうが、特にその主な例を以って判りやすく解いているのであろう事が判る。
そこで、「技」としているのは、この「2つの疑問」(1)(2)を「解く事」と「悟る事」の行動が大事で、書籍による習得ではなく、”自らの「努力」と「思考」により得よ”(A)としているのであろう。
”「自らの努力又は思考」に依って得られた時、「長としての務め」は果たせるし、その「創造」の効果は生まれる”(B)と伝えている。
更に、即ち、”この「創造」は家訓10訓を会得する「糧」又は「力」に成るのだ”(C)と添書は強調しているのである。
 
さて、「2つの疑問」(1)(2)と「3つの添書」(A)(B)(C)に付いてこれから単独ではなく誤解をより少なくするために複合的に都度論じる事とする。

最初の”それは何故必要なのか”の疑問(1)の解明の前に、”「技の術」と「技の能」”とはどう違うのか”の疑問(2)を先に論じて解明する方が解けると考える。
そうする事で最初の疑問(1)は間違いなく理解できるし論理的な答えとして導かれるだろう。

そもそも、”自らの努力と思考により得よ”(A)と論理的に会得する事を求めているのであるから、この解明の過程が正しいと思える。

既にこの世に「技術」と「技能」と云う言葉がある。
この「二つの言葉」があると云う事は、この二つの言葉の「意味」や「目的」が違う事を意味している。
しかし、世間では言葉の範囲では厳密には使い分けをしているとは思えなく、ここは「技術」だなと思うところを「技能」と発言して使っていることが多い。当然に逆の事もある。
つまり、この現象は世間の人、全ての人は「長」としての立場で使い分けをしている事は無いだろう事を示している。
だから、裏を迎えせば、”導く立場の「長」としてはこれでは駄目なのだ”と云っている事になる。
当然、この「技」は添書では主例であるのだから、万事、特に「創造」とする事に関して”斯くあるべきだ”といっている事に成る。

そこで、結論から先に云うと次ぎの様に成るだろう。
”「技術」は「知識」を主体視してそれに「経験」を附帯させて構成されているものだ”と云う結論に成る。
”「技能」は「経験」を主体視してそれに「知識」を附帯させて構成されているものだ”と云う結論に成る。
つまり、「知識」と「経験」の主体が違うと云う事に成る。

当然にその比率は千差万別と成るだろう。場合に依っては殆ど差が無く変わらないものもあり得るだろうし、逆の場合もあり得るだろう。
例えば、科学の場合には「知識」に依って論理的に編み出された「技」もあり、この場合は「知識」から観れば「経験」の度合いが小さいと云う傾向もある。
芸術や工芸の様な観念的なことが働く場合には「経験」から観れば「知識」の度合いが小さいと言う事もあり得る。知識で創作された芸術は”論理性が高く面白くない”と誰しも評価するだろう。
ただ下記に論ずる”「経験」から「知識」へと進む「進化の過程」”を考えると、片方がゼロと云う事は論理的にないし、この比率の差は大した意味を持たない。

この様に分けて考えると、この世の「進化の過程」もあり「知識」と「経験」の定義としては類似する事に成る。だから一般的には面倒だから世間の通常は分けて使い分けしないのであろう。
しかし、だからこの家訓8は”「長」としてはそれでは駄目だ”としているのである。
判りやすく云うと”雑では駄目だ”と云う事だろう。

そこで、これを判りやすくする為に論理的に解析すると、最近の脳科学的に観た場合、次ぎの様に成るのではないか。
「知識」とは学問など書籍に依って「判読力」を主体として得られた脳の「集積結果」である。
「経験」は実労等に依り「体験力」を主体として得られた脳の「集積結果」である。
と考えられる。

「術」=「知識」=「判読力」
「能」=「経験」=「体験力」

当然に、この「集積結果」は左脳の集積場所は異なる筈である。つまり、カテゴリーが異なるのであるから、コンピータ的に観れば収納場所は「トラック」や「セクター」や「カテゴリー」の位置は異なる事になる。
脳も同じ仕組みで成り立っているのだから、つまり、これ即ち、「術」と「能」は「違う」と云うことを意味している。
しかし、厳密に云えば、「知識の学問書籍」も基を正せば始めからあったものではなく「人の進化」の過程の「体験」に依って得られもので、それを類似分析して「学問化」し「体系化」したものが「知識」と成る。
これは大事な思考基準である。
つまり、「能」の「体験力」から「術」の「判読力」へと進化したものと成る。

「進化の過程」=「経験」−「学問化」・「体系化」−「知識」
「体験力」−「進化」−「判読力」

この左から右に向かってルートを通って進む。
従って、現在に於いても未だ体系化されずに、「能」の「体験力」の段階のものもあるだろう。
「体験力」と「判読力」とには「進化」が介在する事に成る。

逆に、最近の科学域では高度な「知識」の「術」から更に進化して高度な「経験」の「新能」が生まれると言う事も起こっている。コンピーター関連やソーラー関連や最先端医療のIPS医療等はその典型であろう。むしろ、これからの形体はこのパターンで論じられる事が主体と成ろう。
しかし、あまり前に進めずとりあえず先ずは、上記の「原型のパターン」を論じて理解しておく必要がある。

「知識」の「術」−「経験」の「新能」=未来の進化。

”「術」と「能」”には同じ事象の中の事でも「能」と「術」とには「経時的変化」を伴なう。
つまり、「能」から「術」へと進むと云う事に成るので、「術」は進化した事になる。故に進化したのであるから、そこでその初期の「能」の段階に留まってはならない事を意味するのである。
つまり、”「長」はこの進化の「術」の把握に努めなくてはならない”と諭している事に先ず成る。

平たく云えば、”「長」は常に確立した「新しきもの」を求めよ。”と云える。

さて、これは難しい。何故ならば今は科学は進みその「術」は何処かで進化して確立し書籍などに表されているが、古ではその様な環境に余りなかった。
とすると、自らが「能」の段階のものを「術」の段階まで進めなくては成らない努力が伴なう。
恐らくは、”「長」はこの努力をせよ。「能」を体系化せよ”と求めている事に成る。
だから、故に家訓8は作り出す事を求め所謂「創造」としているのである。

そこで「技能」には「経験」に依ってその「技」を極めた「匠」がある。
更に推し進めて「能」の「匠」を考えるとすると、”「能」の段階の「匠」では「長」は務まらない”とし、むしろ”「匠」であっては「長」としての指揮に間違いを生じさせる”としているのではないか。
何故ならば、「経験」の「技能」を極めた「匠」は、兎角、その事に「拘り」や「偏り」を持つ傾向が起こる。止むを得ない人間の仕儀でもあるがそうでなくては「匠」には成り得ないであろう。
むしろ、「拘り」の極めが「匠」であろう。

数式で表すとすると次ぎの様になる。
「経験の最大」=「拘りの極め」=「匠」

そうすると、ここで矛盾が生じる。
”経験をして「能」を極めて進化させて「知識」の「術」を会得せよ”とすると、経験には「拘り」と「偏り」が生まれるのであるから、「知識」の「術」は成し得ない事に成る。
何故ならば、「知識」とは「能」の「拘り」と「偏り」の個人性を排除したものが「術」であろうから、そこで初めて他者が一般的に利用し知識として「学問」と成り得るのであって、「匠」の「能」はそのままでは論理的には「知識」の「術」へは不可能である事に成る。
「匠」の能は個人的なものに支配される。個人的なものに支配されるからこそ又、「匠」の値打ちが
出るものであろう。

「経験」−「拘り」=「知識」

「拘り」「偏り」の排除=「体系化」作業
という事に成る。

ただ、それを解決する方法がある。(A)
それは、この家訓8では”「経験」の「能」を「匠」として極め、先ず会得せよ”とは書いていない。とすれば、何故ならば、それは”他の者をしてそれを極めさせれば良い”事に成る。
これだけでは「会得」と云う事から観て意味が無いだろう。
「長」の「習得、会得の率と理解度」が必然的に低下する事になるからだ。これでは「長」の求められるものでは無い事に成る。
しかし、その前提があろう。物事には「完全の習得」は有り得ない。
そうすると「匠」まで極めずとも良い事に成り、それを理解するに足り得る「経験」を会得する事でも、「知識」の「術」の「体系化」は充分に成し得る事が出来る。それが前提である。
つまり、他の者をして「匠」としてそれから「聞き出す事」の手段にて成し得る。
それが”「長」はこの「聞き出す努力」をせよ。そして「能」を自ら「体系化」せよ。”としていると理解する。

「聞き出す事」=「体系化」作業の始まり行動
という事に成る。

上式と連立すると、次のように成る。

「聞き出す事」=「拘り」「偏り」の排除=「個人性の排除」=「体系化」の作業

そして、行き着く処は「知識」となる。

それには先ずは、”ある程度の「経験」の「能」を会得し、「拘り」を排除して「知識」の「術」に進化させて、その「知識」の[術]で以って正しく指揮せよ。”と云っている事に成る。

つまり、”その「経験」から「知識」への「過程を創造する」”と定義している事になる。
これは何も「能」、「術」だけの問題ではないだろう。
「創造する」とは「考え、そして新しき何物かを生み出す」と定義すると次ぎの様に成る。

”「経験」から得たものを「体系化」して「新しき何物」かを生み出せ”
と成るので、この上記の解釈は正しい事になるだろう。

{「経験」−「体系化」−「知識」}=「過程を創造する」

「過程を創造する」の「行動の努力」は、再び、「経験」−「体系化」−「知識」のサイクルのプロセスを生み出す事は容易に理解出来る。より進化して。

この「進化」とはこれを定義とし「体系化」を「媒体」としている事に成る。
このサイクルが限りなく続く事を論理的に説明出来る。
但し、媒体と成る「体系化」を無くしてはこのサイクルは起こらない事も。

そうなると、そこで「創造」とは果たして俗に云う”夢を持て”と云う事に成るのか。(B)
どうも違うのではないか。そもそも俗に云う「夢」とは「就寝中の夢」の如く暗中模索、否具体性のものであろう。その「夢」をかなえる為に「暗中模索」では「夢」は叶えられるものではない。
それほど世の中は甘くは無い。人は兎角「夢」とは「暗中模索」のものを云っている傾向がある。
世間では”夢を持て”と若い者に吹聴しているが、あれには少し違いがあろう。
「暗中模索の夢」は無防備にそれに進むために「夢を叶えられる力」の醸成もせずに「無駄な挫折」をし「不必要に世の中を恨み」「捻くれて拗ねる姿勢」の弊害を生み、若い者に良い結果を生まないのが現状であろう。果たして「幾多の挫折」に充分に耐えられる者がどれだけいるだろうか。
これは、上記した「匠」に相当する”「拘り」「偏り」”と成るだろう。
「夢」を叶えられ者は「匠」と成り得る確率と同じであろう。誰しもが「匠」、「夢」を成し得る事は出来ない。一握りである。さすれば、「夢」に向かって挫折した時、その挫折が向後の人生に良い方向に働けば何の問題もないが、多くは「暗中模索、否具体性」で走る。依って、思考に「不必要に世の中を恨み」「捻くれて拗ねる姿勢」の弊害を持つだろう。これは多くの者に起こる。
この「夢」は取りも直さず「経験」の域にある。
{「経験」−「体系化」−「知識」}=「過程を創造する」のつまり以上のプロセスの「体系化」が成されていない。依って「長」とも行かずとも「夢の実現」は「過程を創造する」の域に達していないだろう。途中である。
従って「創造」とは「夢」であるとは成らない。

大事な事は「暗中模索の夢」を叶える為にその過程のそれに向かった「努力の積み重ね」が必要であり、「ただの努力」では成し得ない筈である。
何故ならば、この世は「人の社会」である。その「人の社会」が皆が同じ程度の努力で「夢」が叶えられるのであればそれは楽なもので「夢」では無い。叶え難いからこそ「夢」と表現しているのだ。
「人の社会」であるからこそ「夢」を成そうとすると「人を押しのける」事の行為は必然的に生まれる事に成る。
「人を押しのける」という事は「人以上に力」を持たなければ成し得ないし、かなりの「忍耐」「苦悩」が伴なう。
その「人の社会」が日本の様な高度な社会であればこそ、更に「それ以上の力」を保持しなくては成らない。
当然に、その「夢の分野」が高度で汎用な分野であればこそ、尚更の事「人を押しのける」「人以上の力を持つ」の条件は更に厳しさを持つ事に成る。
そう成ると、この「人を押しのける」の力は{「経験」−「体系化」−「知識」}の「体系化」の努力に等しい事に成る。

数式では次ぎの様になるだろう。
「人を押しのける力」=「体系化」の努力=「知識」

中には、”その挫折が大事だ”と如何にも正論の如く簡単に云う人が多い。
確かに「挫折」は人の成長に欠かす事が出来ない。
然し、どんな「挫折」でも良いと云う事では無い筈である。

”不必要な挫折などしない方が良い。”と考えている。この家訓から学んだ事として。
4つの「み」を強く興す「挫折」は避けるべきである。
強い「ねたみ」「そねみ」「うらみ」「つらみ」が起こる「挫折」は「人を歪ませる」と仏教では説いている通り、
この仏説には「人間形成に於いて不必要」と観て賛成できる。
確かに「挫折」するよりは「体系化」する事の方人間形成に効果的であろう。
つまり、「不必要な挫折」をするよりはこの事は言い換えれば次のように成る。

”日頃の経験を通して「体系化」する努力、又は「体系化の苦労」をせよ。”

”経験から得たものを「拘り」「偏り」を見抜き取り除くその努力を先ずせよ。”

そこで、”「人以上の力」「人を押しのける」に耐え「正常な精神と思考」を持ち得ている人物がどれほど居るだろうか。「不必要な挫折」は必ず「精神と思考」を歪ませる。
それを正常に成し得る者が果たしてどれだけいるだろうか。”先ず居ない”と云える。
仮に「人以上の力」を確保出来たとして、無情にして非情にも「人を押しのける」と云う行為に絶え得るだろうか。「人を押しのける」が一度であれば未だしも常態の日々に続くのである。
故に、無責任極まりないこの言葉を私は、”「夢]を持て”とは決して云わない。
それを云える人物が果たして、この2つの条件(人以上の力 人を押しのける)を以って発言しているのだろうか。おこがましい限りである。

云うとすれば、くどいがこの家訓8の真意を得て次ぎの様に云っている。

”日頃の経験を通して「体系化」する努力、又は「体系化の苦労」をせよ。”

”経験から得たものを「拘り」「偏り」を見抜き取り除くその努力を先ずせよ。”

”不必要な挫折はするな。その暇があるのなら「自らの努力」で「知識」を得よ。 自らの努力で”

では、どうすれば良いのかと云う事に成る。そのキーワードが必要だ。

それが、この家訓8の事で云えば次に示す処であろう。
「夢」に向かって進む限りに於いて大なり小なり「経験」が伴なう。「能」を確保する事になろう。

”それを進化させて「術」として「知識」と成せ”と云う事に成る。
”「夢」を叶えるとするならば、「能」「経験」だけでは駄目なのだ。”と云う事に成る。

では、更に考えて、”その「進化させる」はどの様にすれば良いのか。”の疑問が起こる。
それは”「体系化せよ」”又は”自分なりの「学問化せよ」”と云う事に成る。
判りやすく云えば、”「経験」(能)をまとめよ。” それが”「長い多様な経験」の間に体系化した「多様な知識」と成り得るのである。”と解ける。
つまり、”「長い多様な経験」により「多様な知識」が「人としての力量」或いは「人としての格」を成し得るのである”と解ける。
”それで良いのだ””何も「夢」を叶え持つ事だけが目的では無い。”
だから、「無駄な挫折」をして思考に歪みを持つ事よりも、”足元の「経験」(能)をまとめよ”その努力が”「長い多様な経験」の間に体系化した「多様な知識」と成り得るのである。”と成るのである。(B)

”この家訓8の「長」はこのことを忘れて怠っては成らない”としている。
”それを会得した者が「人を導ける力」を持ち得るのである。”としている。

つまり、”「人としての力量」或いは「人としての格」は「長」としての人を導く「人格」が得られる”と云う事に成る。
この「人格」が「品格」に、そして、それの積み重ねの結果、雰囲気に滲み出て「風格」と成るのではないだろうか。

「長い多様な経験」=「体系化した多様な知識」=「人格」=「品格」=「風格」

そして、”この「風格」が生まれた時「長」と成り得る。”と理解できる。
家訓10訓、とりわけ家訓8の「風格」を得た時、その「長」の下には「家風」が生まれるだろう。
この「家風」が「伝統」と成り得るのである。
「家風」=「伝統」

”「家風」即ち「伝統」が醸成されると、「一族、配下」は自らその「家風」「伝統」を理解して、「長」が充分に指揮せずしても「的確な行動」を起す”と解いているのである。

昔から、”今成金”という言葉がある。
下記に例として記述する「信長、秀吉」の例は家訓8による「大意」この事に欠けていた事により滅びたと解析できる。

当然に、「多様な経験」を体系化した「多様な知識」は事に当って人を納得させ、諸々の事象に当って適切な指揮する能力を保持する事に成る。
その結果、尽くに「正しい指揮」が積み重なり、その「指揮する品質レベル」に信頼度を増し、人は従い、その結果として”「長」としての「行動の品質」の「格」が醸成される”と定義されるだろう。つまり、”「品格」は「配下の信頼度」が「長」をその様に仕立てる。”と云う事になる。
これは”自らが作り出せるものではない”と云える。

判りやすく数式で表現すると下記の様になるのではないか。(A、B、C)
「品格」=「配下の信頼度」*N=「正しい指揮」*N=「指揮する品質レベル」*N
「品格」=「人格」*N
「品格」*N=「風格」
(「人格」*N)*N=「風格」
(N=経験量+知識量)

しかし、然りながら、ここで「多く無駄な挫折」をした者が、この家訓8を成し得た時に、”何故悪いのか”の反論があろう。悪いのである。
「多く無駄な挫折」「人を押しのける」事の結果で「思考精神」に歪みの持たない者は先ず居ないだろう。つまり、その者の「自らの経験」と「力量」と「人を押しのける力」から独善的に、或いは独裁的になり「人」を導く「長」には問題を含むからである。
”一時的には「長」に成り得ても必ず破綻する。”と云う事になるからだ。

例えば、「信長、秀吉、家康」の例えが適切に物語る。
信長はこの過激的で独善的な典型的人物であろう。その人生過程に於いて余りの典型であったからこそ、歴史は事半ばで終る。
秀吉は下積みから這い出ての「技能量」或いは「経験量」は豊かであったが、体系化した多様な知識を持ち得ていなかった。「千利休に対する対応」や「金の茶室」がそれを物語る。
故に標準的な典型的人物であろう。歴史は一代で成し得たが一代で終わると成り、人生の目的、万物の目的とする後世に子孫を遺し得なかった。
家康であるが、この家訓8に適合する人物である。
三河の地侍に生まれ、今川氏の人質、織田氏から屈辱的な待遇、武田氏との敗戦、秀吉との駆け引き、摂津商人との付き合い、関が原の戦いに負けて勝った結果等を検証すると「多くの挫折」と「人を押しのける」等の「経験」は申し分なく豊かでありながらも、そこから学習して「知識」を獲得し「長」としての家訓8で云う資質を「捻くれる」事無く会得している事が検証できる。
「捻くれる」はこの家訓8で云うそれは”「体系化せよ」”又は”自分なりの「学問化せよ」”の努力の結果がそれを抑えたと考えられる。

徳川氏の歴史資料からも、”「多く無駄な挫折」を避け「人を押しのける」事の結果を極力少なくし、「長い多様な経験」の間に体系化した「多様な知識」を学習し成した。その為に出来る限り「思考精神」に歪みの持たない様に心がけた。
「家訓8」で言う「長」としての数式条件は次ぎの様に成るだろう。

即ち、「長い多様な経験」=「体系化した多様な知識」=「人格」=「品格」=「風格」 を備えた。”と理解し検証できる。

故に、250年以上の存続の条件が醸成されたのである。
それは”「体系化せよ」”又は”自分なりの「学問化せよ」”は何も言葉そのものではなく、「捻くれる」事をも抑える事が出来るのであろう事が読み取れる。
誰しもが普通は陥る経験からの「捻くれ思考」はどうすれば良いのかの疑問は次の事として云える。

「捻くれ思考」は予断なく「長」として最も排除しなければならない事は明白であろう。
"「捻くれ思考」は「体系化」「学問化」の努力でこれを打ち消せ"と成る。

恐らく、当然の事として添書に書かれていないが別の真意はここにもあるのだろう。
つまり、通常はその者の「自らの経験」と「力量」と「人を押しのける力」から独善的に或いは独裁的になり「人」を導く「長」には問題を含むからである。

”信長、秀吉はむしろ常人であって人としての陥るところに落ち至った。しかし、家康の人物は稀有であるが斯くあるべきだ”と云っている事になる。

”「長」は「常人」でありながら「常人」であっては成らない”ことを諭している事に成る。

青木氏の家訓10訓は室町以前の試練から生まれたものであるが、それ以後も子孫に合意されていたからこそ現在までに遺されているのであって、それ以前にこの「3人の生き様」を言い当てていた事になる。

この家訓8が遺された時期は一族一門がこの世に生き残れる確率は極めて低く、危険率は現在の数十倍のものであったことである。それは毎日の茶飯事思考であった筈である。
しかし、青木氏は1367年も続けて直系子孫を遺し得たのは代々先祖がこの家訓類の戒めを護り続けて来た事に他ならない。少なくとも明治35年までは「長」として。
そして「家訓」として「伝統の集約」として維持されている。
現在では科学の著しい進化で社会がより敏感に成りハイトーンと化しているが、この別の意味で厳しさはむしろより遺されているだろう。さらに子孫の時代にはこの状況はもっと続くであろう。
「経験」から「知識」に進化して来た時代から、あまり「経験」の「技能」の伴なわない「知識」から更に「新しい技術」が生まれる時代に、人間形成に於いて代らないだろうが、この「新しい厳しさ」に立ち向かうにはこの家訓8は古い様で居て現在、否未来にも何らかの形に変えて生きている筈だろう。

故に、筆者はこの家訓8の考え方を重視していて、自分の思考判断基準の重要な一つにしている。
とりわけ「人を観る」とする時、或いは「長」とされる「人物評価をする時」に反射的にこの家訓で観ているが、外れた事はない。誰しもが何らかの判断基準を持ち得ているものであろうが。
多くの歴史偉人伝を読み漁ったがこの家訓8は有効に利用されより面白く雑学を得た。
この世は当然に「人の絡み」の世であるが故に必然的に「人を押しのける」は起こる。
別の効果としてもこの世の必然的な行為の"「人を押しのける」"前にこの家訓8の「人を観る」事の「思考経験」とその「体系化」による「知識」で不必要な摩擦を避けて来た。

古い様であるが、突き詰めると現在の言葉が無いので古来の言葉にすれば、「人生の生き様」の体系化は「六稲三略」に通ずる様だ。「戦略戦術」は正しくこの「体系化」であろう気がする。

添書にはないが、"人との不必要な摩擦が避けられる"も極意なのであろう事を思い知り、頭書に記述した、”自らの「努力」と「思考」により得よ”(A)に感嘆した。
これも「経験」からの「体系化」−「知識化」を成し得た事に成るからだ。

もう一つ会得した事がある。
それは、「体系化」−「知識化」を成さず豊富な経験だけで終わる場合、その人物には「個性的性格」、「個性的思考」が残る事が確実に起こる事である。
恐らくは、信長や秀吉は多少なりとも「体系化」−「知識化」があったにせよ多くはこの「経験」のみによるところで留まっていて、そのレベルにより独特な「個性化」が起こったと観られる。
ただ、信長はこの事をある程度知り得ていて外国の新しき文化知識で補おうとしたと観られるし、その側近には同じ行動をする秀吉を登用したことで頷ける。
明智光秀は主に「経験」から「体系化」−「知識化」を成した人物ではなく「書物」から「知識化」成した事により信長との余りの差が起こり、信長は自らを補おうとした余り「接点の無い間違いの登用」をしてしまった事になるだろう。
「経験」を「体系化」成せる者で充分であった筈で、この判断ミスをした事に成る。
ただ、此処で云える事は、光秀タイプが悪いのではない。”学者馬鹿”という言葉があるが、これは「偏り」に依って起こる”「適合性の低い思考」が起こる”からで、その思考化の視野が狭くなる事から起こる現象である。しかし、これを超えるとむしろ大変な「経験」を生み出すのである。

例えば、三国志の劉備と軍師の諸葛孔明である。
諸葛孔明は最たる「知識」と「知恵」の持ち主である。諸葛孔明の策に対して、”敵は過去の彼の「策の経験」から恐れて逃げる”と云う所まで達していた。これは明らかに「知識」から「経験」を生み出し、その「策の知識」から敵は「体系化」して自ら「経験」を作り出した効果に他ならない。「逆のプロセス」である。
明智光秀はこの域に達していなかった事に成るだろう。世に云う「今だ我木鶏にあらず」であろう。
「知識」からの「逆体系化」で「経験」は「木鶏」に達し得る可能性がある事を意味する。
歴史偉人伝にはこの「逆体系化」は少ない為にかなり難しい事が云える。
しかし、家訓8の添書には一句も触れていないがあり得る事である。

秀吉は「金の茶室」で全てを物語るもので「体系化」−「知識化」は自ら嫌っていた事が覗える。だから、補う為に石田三成を重く登用したと観られる。しかし、この石田三成も明智光秀型であった。
ただ、秀吉はこの体系化の見本と見なされる人物を採用している処は優れている。
その人物は一介の下級浪人の薬売りで溢れる知恵の持ち主であった。そして、その知恵を屈指して各地の土豪の争いに雇われて「戦い」を「経験」し、そこから自らその「戦い方の体系化」を成し、知識として保持し続けた。その結果、「天下一の軍師」として賞賛され認められた秀吉の「軍師 黒田勘兵衛」と成り得たし、明治期まで続いた黒田藩主の「長」にも成った。

だから家康は石田三成や明智光秀を「知識側の偏り」に対する者として(「経験」−「体系化」−「知識」の者でないとして)ある面で軽視していた事が伺えるが、黒田勘兵衛は認めていた。
当然、家康は本人が「長」としての「経験」−「体系化」−「知識」を偏り無く成し、性格的にも合致していた事から全て側近はこの型の者を配置したし、「経験」型のものは実践部門に配置した事が読み取れる。

信長は「経験」型の偏りから、「実戦型」と成ろう。
秀吉は「経験」型の標準から、「実戦型」+「術策型」と成ろう。
家康は結果視として「経験」−「体系化」−「知識」から「権謀術策型」と成ろう。

この家訓8は言い換えれば別の意味で、"「長」としては「個性型」を避けよ"と云っている事になる。("「経験」−「体系化」−「知識」"とはっきりと明言している。)
避けなくてはならない理由は、当然、家訓からすると後の人物であるが、"信長−秀吉であるな"と云っているのであるが、この事について他の家訓3で明確でも云えている。
つまり、「個性的」である事は結果として「人」「時」「場所」の三相に左右されるからだ。
その「経験」を「体系化」せずにすると「偏りの個性化」が起こる。その個性は「ある人A」に対してよい効果を生み出すが「ある人B」に対しては逆効果と成ることが起こるからだ。信長−秀吉の例に成る。「時」「場所」も"推して知るべし"である。
"未来永劫に子孫の繁栄を願う場合には、これをリードするに「長」としては好ましくない"
これは個人の単位での事として良いのであればそれも良いであろう。しかし、この訓では個人ではない。あくまでも「長」なのである。
然しながら、筆者は大なり小なり"「長」に限らず斯くあるべきだ"と考えている。
現在の様な「個人」を基盤として尊重し、その連携の先に集団結束を目途とする「個人主義」の時代にあれば「個性的」を賛美され「良し」としているが、日本人にはこの思考原理は「違う」と考えている。
これが仏教で言う"「刹那主義」に偏りすぎる。"と云う点である。
家訓8の「裏意」として、「経験」−「体系化」−「知識」の線上に於いて、この「刹那主義」を排除せよ"としている事が云える。
その根拠は"人は男女一対で成り立っている。"と云う事である。
その「男女一対」は更に「家族」を構成する。そしてその「家族」は「親族」を構成する。「親族」は「一族一門」を構成する。この原理はすべて「男女一対」の「理」が成立しその中にある。
決して、「単数」「個人」の「理」ではこの構成は論理的に成り立たない。
「単数」「個」だけでは子孫は生まれず決して拡大しない。「人」のみに限らずこの世の「万物」は「相対の原理」と「一対の原理」に依って成立する。
この家訓ができた時期には、この「個」の上に無く長い歴史の中で日本の歴史と文化と思想は上記の根拠(「男女一対」−「家族」−「親族」−「一族一門」=伝統)が醸成されて来た。そしてそれが国民の遺伝子的な思考基準と成っている。所謂、現代用語で「チーム」、古代用語で「族」で事を成そうとする癖がある。つまり、「複数の原理」の社会である。
ところが、この「複数」の社会の中に、突然に「単数」「個人」「個性的」を最高視し標榜する国の思想が流入した。この標榜する国の考えが悪いと云うのではない。それは「その国なりの形」でありそれでなくては国は成り立たないのであろう。ただ、日本という「国に於いては構成上の条件」としては決して好ましくないと云う事なのである。
「個人主義」仏教で言えば「刹那主義」と見なされる易い思考が蔓延したのである。
上記した「遺伝子的な思考基準」が醸成している2000年以上の社会の中に、200年にも満たない「然程の伝統」「然程の祖先」も持たない国の思考基準が混在して来たのである。

{「遺伝子的思考基準」=「複数の原理」}><{「個人」「個性的」「個人主義」=「単数の原理」}

現在ではその間約100年で「複数の原理」<「単数の原理」の状況の中で矛盾が生まれ社会問題化していると考えられる。
しかし、反面、「然程の伝統」「然程の祖先」でも200年も経過すると先祖が形成される様になり初めて日本の様な「初期的な伝統」が重んじられる社会風土が出来つつあると云われている。
その一つの現われとして、「ルーツ探し」が大ブームと成っていると云われていて、日本の様な「チームの重視」「族の重視」に思考が傾きつつあると云われている。
端的には云うと今までの彼等の観光目的とは異なり、日本の彼等の観光目的はこの稀有な「伝統の確認」に変わりつつあるとされている。彼等はこの経済大国と近代的な世界有数の国、トップのノーベル賞や最先端の科学技術立国の社会の中に「何故、伝統の美が融合するのか疑問」があり、その「融合力」に驚いているという事らしい。未開発国のそれとは別に観ていると言う事だ。

そもそも元より世界稀有の国として、日本民族は7つの民族の「融合」であり、その「融合」を「遺伝子的性癖」とも云われている事から、何時かこの「刹那主義」に近い「個人主義」から何物かを融合して日本独自の「複数の原理」+「単数の原理」=「中間子の原理」を生み出すであろう。
米国がそうである様に今丁度その最中であろう。

参考に日本の融合過程は、古墳時代の融合は別として、先ず飛鳥時代と奈良時代初期に第1陣の大量移民が起こり、大化期初期に第2陣、奈良末期に第3陣、平安初期に第4陣の民族の大移動が西と北で起こった。然し、平安初期の桓武天皇の時代の律令国家完成期の800年頃には「帰化人」「渡来人」の言葉は書籍から消えている。「遠の朝廷」「錦の御旗」の称号を与えられた「大蔵種材」の時代にはこの移民は禁止して「大宰府大監」は押さえ、北は大蔵氏の兄の坂上氏の「坂上田村麻呂」の「征夷大将軍」がこれを完全に抑えた記録がある。450年から800年の350年で完全融合した事を意味し、900年までの100年で民族は「単一性」を成した。
200年後の650年代大化期では融合の終焉期であった筈である。記録にもそれなりの表現がある。当然に、民族が移動する事は思考も流入されていた事に成り、その最たるものとしての「司馬達等」による「仏教」の伝来で証明出来る。
だとすると、民族の移動は無いにしても思想の流入はあったから、それだけに、明治初期から始まり昭和20年とするかは時期設定には問題であるが、新しい思考原理が侵入して来たこの期間を80−100年とすると、170年後の今ここで家訓8の検証とその問題提起が思考原理の融合が起こり始めている中ほどの時期と観て重要な事であると考えている。
そもそも科学物理の「中間子理論」関係の発見が続いているがこれすべては日本人なのである。
中間子はや中性子は+と−を融合させるファクターであるが、それを発見し続けている日本に於いて日本の「思考の融合」は先ず間違いは無いであろう。次ぎの子孫の代には完成するであろう。
その為にも、家訓8を書き記しておく事の意味は大きいと考える。

何をか況や、先進国の彼等が驚く「融合力」は取りも直さず「経験」−「体系化」−「知識」から起こる「本家訓8の創造力」に他ならないのである。
つまり、”「創造力」は「経験」−「体系化」−「知識」の力であり、即ち、日本固有の「融合力」に等しいのだ。”と解いている。

「融合」とはA+B=Cと成る。しかし、この式の過程には何がしかの因子Xが働いているだろう。
自然科学では「中間子」なるものが働き、更には、「中性子」なるものが働いている。
そして、この両者のエネルギーのバランスをとり続ける。
とすると、AとBと「融合」が成し得なかった民族融合の要素として「中間子」が働かなかったことに成る。つまり「拒絶反応」が働いたことに成る。
日本の「融合」はその「拒絶反応」の逆の事が起こったことに成る。
”ではそれは何なのか。中間子は何なのか。”又疑問が湧く。

AとBが「融合」するには、その数多くの過程で色々な事が起こるであろうが、先ず、融合に依って何らかの良いことが起こり、良い事の「融合の経験」が繰り返される。そしてその「経験過程」で「信頼」が生まれる。この「信頼」の元となる「経験」が数多く繰り返され人は「学習」をする。
この数多く繰り返される「学習」から何らかの「体系化」の「知恵」が働くだろう。
そして、そこに「知識」の「知恵」が生まれ、「経験」では「伝達」を成し得ないその「知識」と云う「共通媒体」で次に正しく伝える。そして、その「正しさ」の結果、「高い信頼」が生まれる。
この事が繰り返されての「信頼」に裏打ちされた厚味のある「知恵」と成り、より「確率の高い融合」は完成する。
日本は「7つの民族」と云う途轍もない数の融合である。世界を観ても、たった300年という短い期間では普通の融合の条件では成し得ない。しかし、そこにはこの「信頼」と云う確固たる「醸成手段」が出来上がる。この「信頼」が「中間子」である。信頼は(+)右の人と(−)左の人を結び付ける。

この事は明らかに正しく「経験」−「体系化」−「知識」である。
”この事が何故に日本人に成し得たのか”またまた次ぎの疑問である。

それは、現在に於いても「科学技術」や「文化芸術」でも「創造力」を駆使して遥かに他を抜いている「日本人の特質」に他ならないのである。2000年もの期間を経過してでもこの特質は変わらない。つまり、「融合」と「創造」は「遺伝的特質」に他ならない事を証明する。
”「中間子」を働かせる力が強い”と云う訳である。言わずもがな自然物理の「中間子」や「中性子」は日本人の発見である。
「長」の「体系化」は配下に「信頼」を生むと論じた。そうすると、次ぎの数式が成立する。

「中間子」=「信頼」=「体系化」

この「経験」−「体系化」−「知識」、即ち、「融合」に働く「中間子=信頼=体系化」に裏打ちされた「創造」が日本人の基盤にあり、ここが外国の「個」の世界と歴然と根本から違うのである。
故に、この理屈からすると”自らに無いものを求める”のも、そして、”それを融合する”のも日本人の特質と云える。それでなくては「日本人の融合論 創造論」は論理的にあり得ないことに成る。
故に、”「個」の侵入は心配いらない”と成り、それ故にそれに惑わされた”「刹那的な夢」の吹聴は良くない。”としている。
それよりも、この「家訓8」は取りも直さず”「中間子」を見つけ働かせよ。さすれば「知識」が生まれる”とのこの事を解いている。

「融合力」=「経験」−「体系化」−「知識」=「創造力」
「知恵」=「体系化」+「中間子」
「知恵」=「創造力」=「融合力」

この数式間には目に見えない「何らかの中間子」が作用している事に成る。
正しく「核理論」そのものである。
その「中間子」は諸事事象によって異なるであろう。「中間子」が発見されれば「体系化」が起こり「知識」となり末には「知恵」と成る。そして、その「知識」は「伝達手段」として正しく継承されるもの」と成るのである。

”「経験」が浄化、或いは整流されて「知識」「知恵」になり伝わる。”と解ける。

日本の国全体に於いても然ることながら、故に青木氏に於いても「家訓8」である事が頷ける。
故に、古の家訓でありながらも、この事は家訓1の真意でもある。
取りも直さず、仏教ではこの事を説き、"「個」「単」から思考する「刹那主義」を「悪」とし排除せよ"としているのであろう。理解できる。
故に、日本社会に於いて行き過ぎた「個」から発した思考規準は現在は尊重されてはいるが、余りの「個性的思考、性癖」により大きな「偏り」を起こす事を好ましくないと観ているのである。
それはその「事象」により「経験」を卓越し「名人」「匠」と成り得るには「個性的」を強く求められる事もあるが、それはそれで「名人」「匠」の範囲であれば、必要以上に「体系化」−「知識」の線上に無くても良いであろう。
むしろ、彼等が「体系化」−「知識」の線上にあると「名人」「匠」と認めない不思議な風潮が日本社会にはあるだろう。「中間子」が存在する割り切れない思考として。
これは取りも直さず、”「名人」「匠」は「長」又は「石田三成」「明智光秀」「諸葛孔明」「黒田勘兵衛」の「権謀術策」側にあってはならない”とする日本人特有の区分けの思考であり、裏を返せば、この「家訓8」の「経験」−「体系化」−「知識」の思考がある事を証明する。
ただし、「家康」も「個性的」とするかは「経験」−「体系化」−「知識」の線上の何れの「位置と量」にあるかに依って決まる事になろう事は頷けるが、家康は歴史上最も偉人伝の人物の中ではこの「家訓8」に「典型的」ではない「標準的」に相当する人物と見なされる。

この何処に規準を置くかも「中間子思考」の所以であろう。其れはそれで良い。そうでなくては凝り固まっては「融合」「創造」は働かない。

「融合」「創造」は正しく「色即是空 空即是色」「空不異色 色不異空」である。

平たく云えば、”頭を柔らかくせよ。(融合) でも考えよ。(創造)”である。
禅問答である。

筆者は青木氏を研究する雑学の中で、この「経験」−「体系化」−「知識」の線上で「偉人伝」なりを観ているが、人物の「生き様」がより立体的に観られて面白いし、意外に大発見の糸口に繋がる事が多いのである。
その中でも、偉人伝の人物の生き様も然ることながら、この家訓8は特に「長」のとるべき姿として論じているが、この「体系化」には別に誰しもが人生で経験する事、即ち、「スランプ」の原因とも成り、そこから「脱出」する答えでもあると考えている。
スランプは、「経験」−「体系化」−「知識」のプロセスの中に起こっている。
「経験」を長く続けると必ずスランプに陥る。然し、このスランプは「経験」だけに留まり、その中で長くそれに頼り生きる「能」を身に沁み込ませてしまう。その結果、この「経験」を活かしての「体系化」に怠り、足踏みしてしまう事がスランプである。前に進まない。「経験」を活かして「拘り」「偏り」を排除して「体系化」を成せば「知識」として身や脳に集約され、更なる「進化」が起こるのである。
スランプの中でも”前に進む”と言う事である。
このプロセスの中で「体系化」を怠った結果スランプなるものが起こる。
つまり、「体系化」を成せばスランプから脱してより一段上のものを獲得する事が出来るのである。
経験中になかなか「体系化」の行為は難しいだろう。
”どの時点で「体系化」を成せば良いのか”の疑問も残るだろう。
その答えは「スランプ」に落ち至った処と観ている。即ち、「スランプ」は「スランプ」では無いのである。
「スランプ」はこの「体系化」するポイントなのである。その「体系化」には「拘り」と「偏り」を見つけ出す時間が必要である。この時間が「スランプ期間」なのである。
人生はこれを繰り返して行く事であるが、その「スランプ」の「期間とレベル」は次第に小さいものと成り得る。但し、「体系化」をして「知識」に移す事で。

”この世の中に「進化」せずして生残れるものは決して無いない。”周囲は途絶える事無く「進化」しているのである。自らもそれに合わせて「進化」せずして取り残されるは必定である。
「進化」の手段「体系化」を怠れば留まるしかないのである。
冒頭からの上記の論説は「長」の誡めに限らず”よって件の如し”である。
「長」のスランプを避け、尚且つ「長」はこのスランプ対策のそれを超える処のものを要求されているのである。「長のスランプ」は取り扱いに依れば一門の滅亡を意味する。
「長」は常に「体系化」を無し、自らの「資格」を獲得し、「スランプ」も起しては成らないのである。
それには、家訓8の戒めを護る以外に無い事を諭している。

話を戻して、だから、この様な事を多く積み重ねる事で「生きる力」「望み」「希望」「目標」は内側から醸成されてくるものであり、「暗中模索の夢の発揚」方法にも賛成できない。
仏教でも説いているが、上記で論じた「刹那思考」や「刹那主義」からの考えや行動を戒めている。
しかし、「刹那思考」や「刹那主義」をマスコミでも大口を開けて怒鳴り喧伝しているが、今だ未だ社会は上記に論じている様に「融合」の中期過程にあるのだろう。
これからは上記した時代の厳しさは増すと共に、そこから逃げようとする「その場凌ぎの思考や行動」がより起こるであろうが、故に誡めて、この”「長」のみならず人は「刹那思考や行動」に陥ち至っては成らない。”としている。
故に「長」でなくしてもこの家訓類10訓とりわけ「家訓8」は以上の様に解説して末裔に伝え守り通さなくてはならないと考えている。
そのためにも、平成に掛けて家訓添書の解説を時代に合わせて、状況に合わせての再編集を行い遺す事をした。

家訓8を取り纏めれば、次ぎの様に成るだろう。
家訓8の添書(悟る事)

「術」=「知識」=「判読力」
「能」=「経験」=「体験力」

「技術」の構成=「知識」>「経験」
「技能」の構成=「経験」<「知識」

「経験」−「学問化」・「体系化」−「知識」=進化過程
同事象の進化=「能」+「術」=「経時的変化」

”「術」は進化した事になるので「能」の段階に留まってはならない。”
”「長」はこの進化の「術」の把握に努めなくてはならない。”
”「長」は常に確立した「新しきもの」を求めよ”
”「長」はこの努力をせよ。「能」を体系化せよ”
”「能」の段階の「匠」では「長」は務まらない”
”経験をして「能」を極めて進化させて「知識」の「術」を会得せよ”
”「匠」であっては「長」としての指揮に間違いを生じさせる”
”ある程度の「経験」の「能」を会得し、「知識」の「術」に進化させて、その「知識」の[術]で以って正しく指揮せよ。”
”「経験」から「知識」への過程を「創造」せよ。”
{「経験」−「体系化」−「知識」}=「過程を創造する」
”自らの「努力」と「思考」により得よ”(A)
”「自らの努力又は思考」に依って得られた時、「長としての務め」は果たせるし、その「創造」の効果は生まれる”(B)
”この「創造」は家訓10訓を会得する「糧」又は「力」に成るのだ”(C)
”「創造力」は「経験」−「体系化」−「知識」の力、即ち、固有の「融合力」に等しいのだ・。”

家訓8の教訓(解く事)
”「夢」を叶えるとするならば、「能」「経験」だけでは駄目なのだ。”
”「長」としての「行動の品質」の「格」が醸成される。”
”「品格」は「配下の信頼度」が「長」をその様に仕立てる。”
”「長」としての「品格」「風格」は自らが作り出せるものではない”
”「長い多様な経験」=「体系化した多様な知識」=「人格」=「品格」=「風格」”
”「家風」即ち「伝統」が醸成されると、「一族、配下」は「的確な行動」を起す”
"「捻くれ思考」は「体系化」「学問化」の努力でこれを打ち消せ"
”「長」は「常人」でありながら「常人」であっては成らない。”
"「体系化」−「知識化」で人との不必要な摩擦が避けよ"
"「長」としては「個性型」を避けよ"
”「個」「単」から思考する「刹那主義」を「悪」とし排除せよ"
”人は「刹那思考や行動」に陥ち至っては成らない。”
”「中間子」を見つけ働かせよ。さすれば「知識」が生まれる”



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