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  [No.249] 青木氏の3つの流れ
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/05/29(Fri) 18:01:40

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青木 三つの流れ
かんりにん [本物] 2005/06/19 (日) 07:55 [ メールウェブサイト ]

1.甲斐国 巨摩郡 青木村発祥(現 山梨県 韮崎市 清哲町青木)
清和源氏 新羅三郎源義光の後裔
一条信長―信綱――時信―――時光(「武田系図」) 甲斐国守護 青木

この系統に戦国時代、武田信虎・信玄親子に仕えた青木信親がいる。
子孫は徳川旗本四家、あるいは山梨・静岡に帰農した旧家が今に続く。
青木時光―常(経)光 → 山口に移動
安芸武田氏に従って広島に移動、後 毛利藩士になり山口に移動
※青木和泉守
戦国時代・・・長洲に移り、毛利元就に仕える
江戸時代・・・山口県大島郡安下荘にて医者に転職

子孫 周弼――――幕末に長州藩の藩医になり、藩内で種痘を実施
周弼の甥 周蔵―明治の外交官として、不平等条約の撤廃に尽力
※青木信種(のぶたね)
甲斐武田氏家臣で韮崎白山城主
武田信縄・信虎・信玄の3代に仕える
天文十年(1541年)10月20日没

2.武蔵国 入間郡 青木村発祥(現埼玉県 飯能市 青木)
武蔵七党丹党の流れで秩父基房の子孫
秩父基房ー新里恒房ー真直(「丹党系図」)
称青木
戦国期   → 後北条氏・佐野氏に属す
主家滅亡後 → 帰農して関東一円に土着
この系統で、美濃(岐阜)に移った一族から戦国期の青木直兼・重直
親子が土岐・織田・豊臣に仕え、その子一重は徳川家康に仕えて摂津
麻田藩主に封ぜられて、後、廃藩置県の時まで14代が継承する。(参照)AAAへ
※この系統は、疑問点が多く残っており、摂津麻田藩と丹党の関係もわからない。
藩主になった系統の発祥地・・・美濃國安八郡青木村(現 岐阜県大垣市)

3.近江国 坂田郡 青木村発祥(現滋賀県 甲賀郡 石部町)
藤原時長―利仁―叙用―吉信―伊伝 ⇒ 利仁流
称斎藤
この系統は、六角氏→織田信長に仕え、江戸時代になり旗本として続く
・他流 ⇒ 藤原秀郷流、平姓など

・家紋
清和源氏系旗本青木家 割菱、葉菱
丹党青木家 定紋 (じょうもん)[第一級] 州浜(すはま)→三つ盛り州浜に後代おさまる

副紋 裏紋 霞に富士(青木富士)
替紋(かえもん) 霞に富士、木の字(青木の木を図案化)、鹿の角(鹿角(かずの))

・文献 青木系図(系図綜覧)、青木系譜(東大史)、肥前唐津青木系図(神宮)
諏訪社青木系図(長崎)、「私の家系追求」青木健著


  [No.250] Re: 青木氏の3つの流れ
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/05/29(Fri) 18:19:14

Re: 青木の地名の発祥源
青木研究員 [副管理人] 2005/06/19 (日) 07:35
青木の地名の発祥源は全国に14ケ所あります。

この発祥の基は皇族賜姓青木氏があり、又多、賜姓青木氏の方式を習って、藤原秀郷が第3(4)子に青木姓をつけて土地を与えたもので、その土地を青木村と呼称するようになりました。
(伊勢の青木氏を除く賜姓青木氏が、母方に藤原氏の血筋を受け継いでいるために踏襲した)

この14の青木の地名は2分類に分かれます。5の青木村と9つの青木村です。
9つは藤原流のものです。関東(武蔵国を中心に円状に)を中心に存在します。
5つは皇族賜姓族の青木村です。
つまり、5天皇から青木姓の氏を与えられて臣籍し侍(武士)となり、朝廷の重要な土地の伊勢、近江、信濃、美濃、甲斐の5つの土地を与えて守護させました。そのことにより青木村が出来ました。
(5天皇は天智、天武、文武、聖武、光仁です。最初は伊勢の青木氏(645)です。)
一方の9つは、岩代国、越後国、越中国、武蔵国4、筑後の主要9ケ所です。
藤原氏は4つに分かれますが、秀郷は北家で最も栄えた藤原一族です。
注、この土地には、別に武蔵7党と言われて土着の豪族が居て、この中の丹治氏から出た皇族系青木氏(賜姓ではない真人族の島氏の血筋を受けたとされる)が、他説がありますが分流して定住していたといわれています。

秀郷流は2つに分けられて、分行流と兼光流です。
前者は進藤氏と長谷川氏、
後者は長沼氏、永島氏、青木氏です。この青木氏は主要9氏で116氏家に分流します。
なぜ青木氏としたかは前回のメールで伝えました。

皇族賜姓青木氏の後の皇族賜姓源氏は、この北家の藤原氏との婚姻で子孫を増やしています。

皇族賜姓青木氏と皇族青木氏の違いは、次の様になります。
嵯峨天皇期に令を発して、全ての皇族系の者が還俗する場合は氏を青木氏として名乗る事を許しました。(藤原氏以外に)

賜姓などを受けられなかった大抵の皇族の者が、入山し僧侶や門跡寺院等に入るか、又は遠い地方に移り住みました。
その後に還俗したり、土着の者との間に子孫を遺した者は血縁を統一するために賜姓を受けない青木姓を名乗る事を許しました。それ以外の者が名乗る事を正式には江戸期まで禁じたのです。

(源氏の者が平家の追手を逃れるために、もとの賜姓に戻して青木氏を名乗る事が各地で起りました。)


  [No.251] Re: 青木氏の3つの流れ
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/05/29(Fri) 18:21:08


青木一重流青木氏のルーツ
青木研究員 [副管理人] 2005/06/19 (日) 08:00
一重氏の孫 重吉氏は当初は信州の丸子に住まいしていましたが、それ以前は武蔵国足立郡の青木村に住んでいたと記録されていますので、9/14の土地ですので藤原流青木氏と判断しました。
信州小県郡にも青木村がありましたがこの青木村は武蔵の国足立郡の青木村から時間経過から移住したものと推測します。