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  [No.111] 阿多倍王と安部氏との関係(代理投稿)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/20(Tue) 18:56:33

阿多倍王と安部氏との関係(代理投稿)
青木研究員 さん 2007/01/13 (土) 20:30
安部公良さん (家紋掲示板より代理投稿)


本籍 大分県の安部です。家紋は丸にミツウロコです。

阿多倍王→阿倍→安倍→安部と関係がありそうですが,
青木研究員の研究結果には 丸にミツウロコの家紋と

安部家の関係が記されていませんが 何か関係があれば
教えてください。

青木氏のサイトに良くお越し頂きました。

さっそくですが、回答します。

大隈の首魁阿多倍と安部氏との関係についてはすでに「阿多倍」のところでレポートしています。
尚、このサイトの家紋掲示板の家紋は青木氏に関わるものでありますので安部氏に付いては詳しく記述していません。

先ず、阿多倍の子孫としては次の主要な氏を発祥させています。
家紋掲示板のところでも概ね書いていますが、改めて記述します。

後漢の王の阿多倍の直接の子孫は坂上氏、大蔵氏、内蔵氏、永嶋氏、阿倍氏、です。

坂上氏は坂上田村麻呂として有名です。
(後に北陸東北北海道を勢力としていた「アテルイ」と言うロシア系のすごい豪傑がいました。)
この一族は北海道と陸奥の国あたりに当時は殆ど独立国として存在していました。
朝廷の圏域勢力が届かないところでした。これを征圧したのがこの人です。

大蔵氏は九州全土を征圧下にし、朝廷から「遠の朝廷」と呼ばれて「3権」の全権を任されて統治していました。この子孫が九州地方に分布しています。後に大蔵氏から永嶋氏に変名します。そして、この永嶋氏が更に子孫を広げます。
別府に「太宰大監」として代々務めます。

内蔵氏は朝廷の財務と内務を担っていましたが、この子孫は北陸東北地方に多く分布しています。
その理由はこの地域に領国を与えられて赴任していました。

帰化後はこの阿多倍一族は関西以西の32国を領していました。(全国66国)
この子孫はこの地域から離れて子孫を広げています。

そして、この内蔵氏の子孫から「阿倍」(あばい)が生まれます。この子孫は信濃から以北に子孫を広げました。
当初は「あばい」と読んでいました。この「あばい」から「阿部氏」(あべ)が生まれ、遂には安倍氏、が発祥しました。

「清和源氏」の頼信の末裔の義家がこの東北北陸地方に勢力を持っていた阿倍氏を藤原秀郷の一族の力を借りて打ち滅ぼします。その後に藤原秀郷の一族の平泉の藤原3代が栄えます。

この阿倍氏の歴史は奈良期には百済が新羅に攻められた時に朝廷はこの阿倍一族を差し向けて百済を助けに行きますが、しかし、この阿倍氏は北朝鮮の故郷に戻ってしまって大和国に戻って来ませんでした。

その様なこともあつてこの子孫の一部がこの地方に残り阿倍から安倍まで変名して行きます。

ところが、この阿倍氏には九州の大隈と熊本との境あたりに阿倍という地名があります。
多分ここら付近に阿多倍の館か何らかのものがあつたと考えられています
阿多倍は元はこの大隈の首魁として九州全土を指揮していましたが、そして、その一族は大宰府にて政治を執っていました。
この時の「阿多倍王」の名を採って「あばい」と呼んだのです。
阿倍氏では阿倍内麻呂や阿倍仲麻呂などの歴史上の人物が居ます。

同じ事が信濃の諏訪の手前にも「阿倍」と言う地名があります。
この「阿倍」はこの子孫が帰化後この信濃の開拓に移され「馬」外来馬を飼育してこの地方を開墾したのです。ですから、自分たちの首魁の「阿倍」という地名をつけたのだと考えます。
このことは日本書記にも出てきます。

この首魁の200万人の職能集団の姓は安部、馬部、鞍部、海部、磯部、綾部、服部、物部、陶部、土師部、鍛冶部など多くの「部」の付いた姓の後ろの漢字を「部」にして名乗りました。
この子孫は全て阿多倍が引き連れてきた中国系と北朝鮮系(高句麗)の渡来系人です。
これを「部制度」といいます。そして、これを朝廷は経済方式として「国造」(くにのみやつこ)官僚を置いて統制したのです。当時は「市場経済」ではなく「部経済」で全ての物は一度朝廷に治めてそこから市場に出したのです。一種の統制経済方式です。このシステムを担ったのがこの阿多倍配下の渡来系の人々です。

そして、その前の漢字でその仕事がわかるのです。
「阿倍」と「安部」とではその身分が違います。「倍」と「部」ですが、この「部」は上記した阿多倍の配下の技能職能集団のグループを呼びます。

阿多倍の配下の職能集団の安部氏は武具などを作る職能集団の氏でした。
この「部」の付いた姓の氏は九州全土を治めていた九州に多いのです。

例えば、陶部は中国地方全土を室町時代まで治めていた陶氏です。村上水軍はこの子孫です。

御家の安部氏がなぜ「丸に三つ鱗」紋であるかはその理由は専門外であるので判りません。
(三つ鱗紋は北条氏一族が使用したものです)

しかし、この安部氏は阿多倍の首魁が引き連れてきた渡来系人の職能集団の末裔である事は事実です。「安倍」と「安部」では違ってきますので御家の姓が元はこの「安倍」であつたかは判りません。お調べになるとよいと思います。

念の為に、このことに付いては「青木氏」の研究室のところでレポートしています。


  [No.112] Re: 阿多倍王と安部氏との関係(代理投稿)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/20(Tue) 18:57:37

Re: 阿多倍王と安部氏との関係(代理投稿)
安部公良さん 2007/01/14 (日) 16:29 [ メール ]
早速のご回答ありがとうございます。
安部の由来が軍事に関係していたのではないかと
想像していましたが,武具の製作集団であったとのことで

腑に落ちました。家紋,氏と氏の全国分布からルーツを
探ってみたいと思います。


  [No.113] Re: 阿多倍王と安部氏との関係(代理投稿)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/20(Tue) 18:59:13

Re: 阿多倍王と安部氏との関係(代理投稿)

安部さんは大分の方ですよね。でしたら国道10号線の大分よりに近い
白木と言うところがあります。

ここかが一応、大分県の「安部」さんの祖先のいたところとされています。
ここに「鬼神社」と言われる神社があります。

実際は「安部神社」らしいのですが何かしら「鬼神社」になっています。
この小さな神社の賽銭箱の上の軒に神社の云われが書かれてあります。

神社の云われは「南北朝の後期に東方よりこの地に至る・・・・うんぬんかんぬん」
と書かれています。一度観に行かれたらどうでしょう。

で、私も大分出身の安部ですが昔から私どもの地域の安部さんには先祖祭りと言う因習祭
がありその際に先祖の名前が書かれた掛け軸がかけられそれを観ながら宴を楽しむと言う
趣向になっていますそこに書かれた第一の先祖は安倍貞任と宗任になっています。

しかし、上記の「鬼神社」=「安部神社」の説明では南北朝の後期にこの地に来たとなるので
我々の直径の先祖は前九年の役で源義家(八幡太郎)に殺されずに伊予の国に流された
「安倍宗任」のまたその500年後位の先祖と言う事になるのでしょうか?

しかし、南北朝時代、信濃の諏訪神社を中心に、神家一党といわれた集団がいてそこに安部氏
(安倍ではない)の先祖がいたと言う記述をどこかで見たことがあります南朝方だったそうですが。

その後その一族は全国に離散したとされています。こことの関係も何かありそうです。

いずれにしましても「東北、関東、信濃。駿河」の地域との関係は深そうな「安部」さん
ではあります。

そして最後にとっておきの情報ではありますが。その「安部神社」は鬼の面が神社の社屋に多く飾られています。その光景も若干「奇怪」なのですがその神社の背後にお回りください。そして背後の屋根の軒下あたりに飾られている「面」を観て下さいここにこの一族の鍵を解く一つがあります。