青木氏氏 研究室
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  [No.156] Re: 青木氏と血縁族(家紋)-4(藤紋)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/23(Fri) 08:48:20
Re: 青木氏と血縁族(家紋)-4(藤紋) (画像サイズ: 2529×1962 54kB)

Re: 青木氏と血縁族(家紋)-4(藤紋)
青木研究員 さん 2005/11/22 (火) 11:10
第三番目は「藤紋」である。
この藤紋は144もの紋様があり、この内青木氏の紋様は6紋である。
当然、この紋用は家紋200選にもあり、最も巨大一族である藤原氏の紋様である。
しかし、この紋様は藤原氏の家紋とされているが、現実に藤原一門の一族がこの紋様を使用したかというとそうではないのである。
と云うのもこの紋様には藤原一族として嫌う事があり、次第に家紋として使わなくなった。その嫌う事とは、藤原一門は「下がり藤」紋であるのだが。「下がる」という意味を嫌ったのである。一門の繁栄に陰をさすという事である。

以前にも記したが藤原一門には四家の家がある。最も栄えた北家と京家、式家、南家がある。夫々が勢力争いをして、結局、北家が生残る。
この北家の内、藤原秀郷の一門がこの下がり藤紋を使用した。
公家の中でも元来武家的な性格の持つた秀郷の一門がこの紋を使用したのである。

この四家の藤原氏は多くの支流子孫を遺したが、この地方に分散した子孫はこの藤紋を変化させた家紋を作り、144紋までになった。
特に江戸時代にはこの末梢子孫が名乗りを挙げて藤原氏を名乗って家紋を藤紋にした経緯がある。

元は「下がり藤紋」が後に述べるが歴史的には原型とされる。

次に藤原秀郷流青木氏の家紋を広い出すと次の様になる。
藤原氏の青木氏には直系1氏、直流4氏、支流4氏の9氏がある。ここから分派分流して116氏にもなったのである。

第一に「下がり藤紋」である。
云わずと知れた藤原秀郷直系一族の家紋である。
直系の藤原秀郷第3子の千国流の直系青木氏である。
藤原秀郷の青木氏の宗家である。武蔵の国の入間付近を居住地域していた。
この青木氏たちは武蔵の国を入間を中心に周囲を取り囲む様に各青木氏が守っていたのである。この中心にいたのが直系の青木氏である。
元来、この藤原秀郷流青木氏の支流は揚羽蝶と副紋などの家紋を使っているのである。
この家紋を使っている氏としては北家の代表の九条氏である。

第二には「上り藤紋」である。
秀郷流直系青木氏流れを持つ一門でもこの「下がり紋」を嫌い途中で「上り藤紋」に家紋を変えた一族が居た。

第三には「上り藤上一紋」である。
第二の青木氏の一族が官職で地方に赴任して移動した一族が子孫を繁栄させて後に家紋を判別させるために「上一」の紋様を追加したのである。
藤原秀郷直系の青木氏の分家となる。

第四には「下がり藤に州浜」である。
この一族は後に「州浜紋」を持つ陸奥の小田氏との血縁関係を持つ藤原秀郷流青木氏である。
この小田氏は元は陸奥の国の守護をしていた藤原秀郷の一族の血筋を引く一門である。
後に、州浜紋の頃で述べるが、更にこの小田氏の家紋の「州浜紋」を持つ藤原秀郷流の青木氏も存在するのである。
藤紋系の州浜青木氏と州浜紋系の青木氏とが存在することに成る。
元は藤原一門である。

第五には「対四つ藤紋」である。
第三の青木氏と同様に、地方に赴任して子孫を繁栄させて一門を構え、家紋を変化させたものであり、直系青木氏の分家支流紋である。

第六には「加藤藤」がある。
これは秀吉の家来の加藤清正の家紋である。
藤原秀郷流の血筋を持つと名乗った加藤清正が用いた家紋であるが、この家紋を持つ青木氏とは藤原秀郷流青木氏の一族の支流分流は不明であるがこの加藤氏の一族との血縁にて「加藤藤紋」を家紋掟の要領にてこの紋を採用したものと考えられる。

藤原秀郷の直系の青木氏には「下がり藤紋」を引き継いだ青木氏と、平家の家紋の「揚羽蝶紋」を引き継いだ直系青木氏がある。
この後者の青木氏は、千国の嫡男の「下がり藤紋」に対して、分家をした次男の者が母方の家紋を引き継いだ「揚羽蝶紋」の家紋としている。
特に、この同じ直系でも「下がり藤紋」の青木氏に比べて、この揚羽蝶紋の藤原秀郷流の青木氏の一族の支流が繁栄した傾向がある。

以上六家紋の氏が藤原秀郷流直系青木氏の子孫である。

この「藤紋」の謂れは次のとおりである。

この紋様は、藤の葉と花を図案化したものであるが、平安朝に特に好まれた花でこの藤の花を万葉歌に読まれている。
丁度、醍醐天皇の時代にあたる頃で、このブームとなつた時期に藤原氏はこの藤花紋様を好んで紋様化して用いていた。そこから、藤原氏の家紋化したものである。
この様な経緯から全ての藤原氏の家紋となり得なかったもので、歌の好きな公家の藤原氏系の九条家とか二条家が使用したのである。

藤原秀郷はその昇進の経緯から、特にこの公家藤原氏の一門である事を誇示する意味からも、藤紋を使用し、九条家の流れを汲む秀郷としては「下がり藤紋」を強固に用いたものである。

特にこの一族の近藤氏、後藤氏、斎藤氏、加藤氏などがこの紋様を用いた。

前記したようにこの紋様は江戸時代には爆発的に用いられた。
藤紋には、花の房を変化させて家紋を作る方式と、藤の形とで変化させる方式と他ノ家紋を加えて家紋とする3つの方式がある。

藤原秀郷流青木氏の主要紋の「下がり藤紋」である。

青木氏の6つの「下がり藤紋」は家紋掲示板に記載します。
続く。



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