青木氏氏 研究室
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  [No.165] Re: 青木氏と血縁族(家紋)-13(竹.笹紋)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/23(Fri) 09:04:00
Re: 青木氏と血縁族(家紋)-13(竹.笹紋) (画像サイズ: 2010×1929 38kB)

Re: 青木氏と血縁族(家紋)-13(竹.笹紋)
青木研究員 さん 2006/03/04 (土) 10:50
第12の紋様は竹、笹紋である。

この紋様は全部で141もある。
この内、青木氏に関わる紋様は4紋様である。
家紋200選にも選ばれている有名な紋様であり、比較的新しい紋様で最初に使われたのは鎌倉の末期ごろである。

この4つの紋様は次ぎの通りである。
第1には丸に根笹紋である。
第2には三枚笹紋である。
第3には九枚笹紋である。
第4には二階根笹紋である。

第1はこの紋様を使用したのは桜井氏と二木氏の支流である。
第2は野々山氏である。
第3は秋月氏である。
第4は不明

第1の丸に根笹紋の青木氏は根笹紋の分家筋に当る支流紋一族である。藤原秀郷流青木氏の支流一族の幾重にも分派した氏の血筋を持つ青木氏である。

第2から4は江戸期に名乗った新しい氏との血縁であるのでルーツの如何は藤原秀郷系の青木氏の支流一族の可能性があるとする範囲の青木氏である。

しかし、何分新しいので野々山氏や秋月氏の系列から判断すること以外には確定の元は見出せない。その範囲で藤原秀郷流青木氏の一門に加えた。

この第1の氏も比較的にかなり新しい青木氏でもあり、桜井氏か仁木氏との血縁にて男系維持が出来ずに養子元の家紋を使用するという現象で定めたものである

これ等は主に初期は貴族や公家などが鎌倉時代に使用し始めたもので江戸期に入り、必要に迫られて家紋をつけた。

大名や御家人では約10程度、一般武士では200にも及んだが明治初期には家系断絶で120程度にも減った。

これ等の青木氏では共通することは関東の一族である。
特に代表的な紋様として最初に使用した武士では次ぎの2氏があげられる。
先ず、下総守の千葉氏と、東下総守の師氏である。
これ等の一門がこの竹と笹紋の変紋を多く作り上げた。
公家では2門である。

これ等の流れを汲む室町時代からの有名な大名としては東氏、粟飯原氏、朝倉氏、上杉氏、最上氏、伊達氏である。

では、この青木氏は主要青木氏の2流のどちらの青木氏かと言う問題であるが、140もの各紋様の発祥の確定は困難だが、全体の流れから見ても、上記した大名のルーツから見ても関東に定住していた藤原秀郷流青木氏の流れを汲む氏であると云う事ができる。

藤原秀郷の主要9氏の支流4氏の中から広がり、その内の24氏程度の藤原氏秀郷の末裔から更に男系維持を困難として家紋掟から変紋した氏である。

皇族賜姓青木氏との関係は見つからない。

江戸時代にはこの竹と笹紋が皇族賜姓青木氏の家紋の笹竜胆と類似しているものから源氏系と見られて多くの下級武士がこの紋様に似して家紋を作った。
まったく違うものであるが、この141の紋様はこの傾向のもつた紋様に成っている。
笹竜胆に似せた家紋が多いのはこのことから来る現象である。良く見ないと見間違えるくらいである。


この4つの青木氏の家紋は第一の丸に根笹紋に付いてそのルーツの確証は比較的取れるが,第2から4までは江戸期のものであるので困難である。
しかし、関東系の氏である事から男系跡目が困難な中での変紋であるので夫々の主要氏の流れを汲む氏である事は確認出来るが直系ルーツの確定までは困難である。

しかし、江戸期までは武士であった事は否めない。室町期の下克上と戦乱の中での台頭で家を興した者が殆どであるので、この時期を境にしてルーツの確定はよほどのことでなくては困難である。
概して、この4つの紋様が青木氏の紋様としていてそのルーツは藤原系のものとみなされる。

この家紋類に付いての真偽は一部を除いて、明治期の苗字令に基づく「第3の青木氏」も否定することは困難でもある。
ルーツの調査の内容は矛盾の範囲を超えているものもある。

この家紋は現代でも用いられている松、竹、梅の瑞祥的なものから来た紋様である。
今までの12の紋様の家紋のとは確定の点では少し異なる。

主要紋様は次ぎの紋様があげられる。

4つの家紋に付いては家紋掲示板を参照して下さい。



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