Re: 青木氏と血縁族(家紋)-16(目結紋) 青木研究員 さん 2006/04/26 (水) 11:36 第15番目の紋様である。
この紋様は81の紋様がある。 家紋200選にもある紋様である。
この内、青木氏の紋様は3つである。 この3つは次ぎの紋様である。
1番目は丸に隅立て4つ目紋である。 2番目は隅切り角に4つ目紋である。 3番目は丸に三つ目紋である。
青木氏以外に次ぎの氏がこの家紋を使用している。 1番目の紋は児島氏、鍋島氏が使用している。 2番目は不詳 3番目は磯部氏、由井氏、飯田氏、二松氏が使用している。
この家紋は最も古くから使用していた氏は佐々木氏である。 この佐々木氏の流れを汲む一族としては室町幕府の足利氏の御家人の六角氏を始めとする主要大名がこの紋様を使用している。
佐々木氏には天智天皇の近江佐々木氏と宇多天皇の滋賀の佐々木氏がある。 云うまでもないが、近江佐々木氏は天智天皇の第7位の皇子の近江王の川島皇子の末裔であり、伊勢王の施基皇子の青木氏と並んで特別に第6位に対しての賜姓の令外として第7位の弟の川島皇子に土地の地名を採って佐々木氏の賜姓を授けたものである。これが近江佐々木氏の始まりでこの佐々木氏から近江青木氏が発祥している。この青木氏には佐々木系青木氏と二つあるが血縁である。 この近江青木氏の方は後に何らかの理由で滋賀と攝津の二手に分かれて移動している。(既にレポート済み) この青木氏は後に宇多天皇の佐々木宗綱、高綱の末裔の氏との間でも血縁をむすんでいる。
この3つの青木氏のうち2つの青木氏は何れもが前者の近江佐々木氏の血縁であるが、一方の滋賀の宇多天皇の佐々木氏の青木氏もあるいずれにしても皇族系青木氏である。 近江青木氏は皇族賜姓青木氏の直系と支流青木氏と言うことになる。 宇多天皇の佐々木氏系青木氏は時代は後になる。
つまり、奈良時代に発祥した後の近江源氏と平安後期の滋賀源氏の2流となる。
近江佐々木氏の2つの青木氏は総宗本家の家紋は皇族賜姓青木氏と同じ「笹竜胆の家紋」である。剣豪の佐々木小次郎はこの近江佐々木氏の末裔である。
宇多天皇の佐々木氏も皇族の賜姓源氏であるので総宗本家は「笹竜胆紋」である。
この上記3つの家紋の氏は支流一族である。この3つの青木氏は江戸初期あたりにて上記の各氏と後に血縁を結んだものであると見られる。江戸初期にはこの家紋を持つ氏が約70も出来ている。
男子継承が不可となり、家紋の変紋を余儀なくされた支流一族である。
したがって、この3つの青木氏以外に近江と滋賀地方で笹竜胆の家紋を持つ青木氏が確認されればこの一族の本家筋となる。
この研究室にルーツ依頼があつた方が居たがこの一族は攝津に移動した青木氏 であり、川島皇子の末裔の皇族賜姓青木氏であった。滋賀の青木氏は非常に確認が難しく豊臣時代には青木氏の継承をめぐり争いを起している。
この結末は青木氏の氏を買い取るかまたは奪い取ったか政略結婚かにて出世方の元上山氏の方に2度の戦いの末に軍配は上がった。(レポート済み) 後にこの上山氏の青木氏はこの家柄の獲得の結果10地方の守護をつとめている。このことから見ると政略結婚にて妻方のほうに青木氏を引き継ぎ家柄を高めて守護になりえたものとみられ、この結果、後に総宗本家との間に争いが起こったものと見られる。 この青木氏は現在も末裔が現存している事が確認出来る。
この近江の青木氏の二手に分かれた一方の滋賀の青木氏の詳細は不詳である。
この青木氏は伊勢の青木氏をはじめとする5家5流の近江青木氏の末裔となる。
この紋様は元は平安末期から鎌倉時代にかけて用いられた染め文様から図案化されたもので幡などに用いられて後に家紋化されたものである。
後には江戸時代の初期に徳川の御家人になった者がこの紋様を80前後も多く用いた。この結果、81にも成った。
この主要紋を次ぎに掲示する。家紋掲示板にも掲示するので参照して下さい
|