青木氏氏 研究室
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  [No.192] Re: 藤原秀郷主要5氏と家紋の研究−皇族賜姓青木氏29氏(詳細) −4/10
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/23(Fri) 19:36:35
Re: 藤原秀郷主要5氏と家紋の研究−皇族賜姓青木氏29氏(詳細) −4/10 (画像サイズ: 540×516 6kB)

Re: 藤原秀郷主要5氏と家紋の研究−皇族賜姓青木氏29氏(詳細) −4/10
副管理人さん 2008/08/26 (火) 15:28
史料4

綜紋 笹竜胆紋

皇族賜姓青木氏(嵯峨期の詔に基づく皇族青木氏も含む)はどの様な家紋と系列を持っているがと云う事を理解する必要がある。
そこで次ぎにそれを示す。

皇族賜姓青木氏5家5流と24氏の家紋類は次ぎのように成る。

皇族賜姓族の笹竜胆紋 5氏(5家5流の青木氏:第6位皇子臣下族:朝臣族:浄大1−3位) 
1 以下5氏
伊勢の青木氏(笹竜胆紋:天智天皇)
近江の青木氏(笹竜胆紋:天武天皇:摂津青木氏)
美濃の青木氏(笹竜胆紋:文武天皇)
信濃の青木氏(笹竜胆紋:聖武天皇)
甲斐の青木氏(笹竜胆紋:光仁天皇)
以上5家5流の青木氏は夫々の国の国府地域に定住している。末裔及び分家は現存している。


2 以下24氏
(皇族青木氏含む 未勘の青木氏5氏含まず)

支流 笹竜胆紋 3氏
佐々木系青木氏(笹竜胆紋:近江:近江青木氏と近江佐々木氏との血縁族)
佐々木系青木氏(笹竜胆紋:滋賀:近江青木氏(分家)と宇多天皇の滋賀佐々木氏と血縁族)
滋賀の青木氏(笹竜胆紋:滋賀:近江青木氏の一部が滋賀残留族の分家:注釈1)

(近江佐々木氏は天智天皇の第7位皇子で賜姓族:笹竜胆紋)
(滋賀佐々木氏は宇多天皇の第6位皇子で賜姓族:笹竜胆紋)

皇族青木氏 4氏 (嵯峨期の詔で発祥した氏)
左大臣島氏流青木氏(笹竜胆紋:島王:真人族)
橘氏流青木氏(橘紋:葛城王:宿禰族)
橘氏流青木氏(丸に橘紋:葛城王:宿禰族)
多々良氏流青木氏(未勘:多々良王:朝臣族)

皇族青木氏 5氏
(多治彦王系青木氏:武蔵7党:嵯峨期の詔で発祥した氏:配流先子孫) 
丹治氏流青木氏(丸に揚羽蝶紋:三頭巴紋紋)
丹治氏流青木氏(三つ鱗紋:富士山)
丹治氏流青木氏(丸に鱗紋:富士山)
丹治氏流青木氏(花菱紋:九曜紋)
丹治氏流青木氏(州浜紋:蔦紋)

美濃 皇族賜姓支流 2氏
土岐氏系青木氏の本家(桔梗紋)
土岐氏系青木氏の分家(丸に桔梗紋)

信濃 皇族賜姓支流 3氏
諏訪族青木氏の本家(抱き角紋)
諏訪族青木氏の分家(丸に抱き角紋) 
武田氏系諏訪族青木氏(二つ引き両紋:甲斐)

信濃 皇族賜姓支流 3氏
足利氏系青木氏の本家(二つ引き両紋)
足利氏系青木氏の分家(一つ引き両紋)
足利氏系青木氏の分家(三つ引き両紋)
(足利氏系青木氏の本家一部米子、八頭に移動し定住)

甲斐 皇族賜姓支流 2氏
武田氏系青木氏(割り菱紋)
武田氏系青木氏(武田菱紋)

越前 皇族賜姓支流 1氏
信濃青木氏の分家(笹竜胆紋、丸に笹竜胆紋:越前北の庄、坂井郡の2家)
信濃青木氏の本家一部は加賀、越前に定住(家紋不詳)

清和源氏 4氏
清和源氏系青木氏(丸に笹竜胆紋:日向:頼光流−注釈2)
清和源氏系青木氏(笹竜胆、丸に笹竜胆紋:伊豆(駿河):頼光流−注釈3)
清和源氏系青木氏(笹竜胆、丸に笹竜胆紋:駿河(伊豆):頼信流−注釈4)
清和源氏系青木氏(笹竜胆、丸に笹竜胆紋:甲賀:頼光流−注釈5)
(清和源氏は4地方の宗家に跡目を入れている−注釈7)

未勘氏 4氏(注釈6)
未勘源氏系青木氏(未勘:梅鉢紋:美濃:土岐氏系)
未勘源氏系青木氏(未勘:剣片喰紋:信濃:足利氏系)
未勘源氏系青木氏(未勘:花菱紋:尾張:頼信流:武田氏系)
未勘源氏系青木氏(未勘:割菱紋:尾張:頼信流:武田氏系)
(注釈7の分流族と考えられるが確証は取れない未勘氏)

未勘氏 1氏
伊川津党青木氏(未勘:沢瀉紋:三河:土岐氏系?)


(注釈1 滋賀青木氏は同族佐々木氏(近江)との軋轢から近江青木氏が一時一族が滋賀に移動する。後に戻り摂津青木氏と成る。 滋賀に残留した分家が滋賀青木氏と成る。この滋賀青木氏が後に伊賀上山郷の出身の上山氏がこの絶えかけた分家を乗っ取り、衰退した分家娘と目される者を探し出し、これに上山氏男系跡目を入れて青木氏を奪い取った。後に本家と2度の争奪戦が起こり元上山氏は勝つ。この元上山氏の青木氏は、身分家柄を得て、結果10地方の国司を勤めるなどの大勢力を築く事に成った。)

(注釈2)
「日向青木氏」は源氏宗家の源頼光−頼政4−仲綱5の3子の2人(宗綱、有綱)と頼政の子の広綱の3人が「以仁王の乱」で平家との戦いに敗退し日向国に配流(以仁王の乱)となる。この時、土地の豪族廻氏との間に嫡男誕生し、その後押しで大隈国仁田尾城を築き、再び平家に対抗し敗退、嫡男を連れて薩摩の大口村まで逃走した一族末孫である。この時匿った寺の僧侶から嵯峨期の詔に基づき朝臣族jの配流末裔孫である為に青木氏を名乗る事を勧められ平家の追求を逃れた。九州唯一(日向から薩摩大口に分布)の青木氏でこの末裔 現存)

(注釈3)
伊豆(駿河)の青木氏は頼政(宗家頼光4代目:源氏再興:以仁王の乱)の清和源氏の守護領国であり、領国管理(甲賀、伊豆)の為に、頼政の孫の京綱(仲綱の子)が跡目に入った皇族賜姓伊勢青木氏(伊勢の一部)が護衛団として派遣されていた。この末孫が定住した所である。
但し、この3国のその移動族には本家筋の笹竜胆紋が存在する。
注釈2の日向青木氏の祖の有綱、宗綱と京綱(伊勢青木氏の跡目)とは3兄弟で同族である。

(注釈4)
頼光より信濃と甲斐の守護代を譲りうけた頼信が関東(伊豆、駿河)に進出したときに注釈2のこの伊勢青木氏を頼りに駿河のこの地点に拠点を置いた時の賜姓青木氏(信濃、甲斐)が定住する処である。伊勢の青木氏の支流伊豆青木氏と信濃青木氏、甲斐青木氏の支流駿河青木氏とこの2つの支流族が血縁し発祥した青木氏がこの伊豆と駿河地方に定住する。
伊豆よりは伊豆青木氏(伊勢青木氏)、駿河よりに駿河青木氏(信濃青木氏、甲斐青木氏)この両方の地域に伊豆駿河血縁族の青木氏が存在する。
尚、この東の神奈川よりに信長に追われて逃亡してきた諏訪族青木氏一部と、横浜よりに藤原秀郷流青木氏が定住する。この一帯に6つの青木氏が定住する。当然、この5つの血縁族が定住している事が考えられる。

(注釈5)
清和源氏源の頼光(河内、摂津、近江、甲賀、伊勢、信濃、甲斐の守護、守護代を務める)の領国で守護を務めた内の一つ甲賀国の青木氏である。
この青木氏は近江青木氏で頼光に護衛団として同行した支流族である。

(注釈6)
未勘源氏5氏は史料から現在のところまで歴史的史実が取れない。研究過程に於いて判明する事で24氏に加える事とする。
主に清和源氏の未勘の末裔としているが、源氏史料(行動)の史実が少ない為で確定できない。
これ等は「嵯峨期の詔」に基づく「朝臣族」の青木氏と成っている。
後に、各地に平家に追い詰められた清和源氏(木曽源氏等)には朝臣族として青木氏を名乗った未勘一族(木曽青木氏等)が幾つか存在する。

(注釈7)
清和源氏の青木氏跡目
甲斐青木氏1 頼信の孫の義光(1055)より8代目源光(1195)が跡目
甲斐青木氏2 義光より15代目義虎(時光系)が跡目(5流に分流)

信濃青木氏1 頼信より2代目義康が足利氏に跡目(足利氏系青木氏)
信濃青木氏2 義光より16代目義康が跡目 
信濃青木氏3 義康より3代目実国が跡目(4流に分流)

美濃青木氏1 義光より8代目時光(源光の弟)から11代目(不詳)が跡目
美濃青木氏2 義光より9代目(不詳)が跡目(5流に分流)

伊勢青木氏  頼光より4代目頼政の孫(仲綱の子)京綱が跡目(1184頃)(3流に分流)

(注):上記24氏の支流族の主に分家筋の家紋が一部で江戸中期から明治初期までの間で僅かであるが「男系不継承」で家紋が変化していることもあり得る。
(注):上記24氏の皇族青木氏と賜姓青木氏は原流と成ったものである。



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