青木氏氏 研究室
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  [No.214] Re: 青木氏と血縁族(家紋)-30(葵紋)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/24(Sat) 09:52:57
Re: 青木氏と血縁族(家紋)-30(葵紋) (画像サイズ: 1869×1869 42kB)

Re: 青木氏と血縁族(家紋)-30(葵紋)
青木研究員 さん 2006/12/13 (水) 11:23
第29/33番目の紋様である。

この紋様は全体で85の紋様がある。

この紋様の内青木氏に関わる紋様は次の一つである。

立ち葵紋である。

この紋様は家紋200選に選ばれている。

元来、この葵紋は加茂神社系の神紋として用いられていた。
葵は葵科に属する植物でこの紋様は主に花と葉を紋様化したものが多い。
加茂神社は二重葵を神紋としているが元はこの神事に用いたのが始まりとされていて一種の信仰的植物として崇められていた。榊や青木等の神木と同じである。

資料から観ると最初に家紋として使用したのは丹波の国の土豪の西田氏であるとされている。

これを戦国時代に徳川氏の元祖の三河の松平氏が用いたと成っていてその使用の背景を探るとその先祖は三河の加茂神社の神官であつた事から出世の際にこの神紋を家紋としたと成っている。
特にこの立ち葵紋は松平氏の一族の本多氏が最初に用いたとされ、その後に徳川氏の時代になってこの紋様が権勢の象徴と成って一族の家紋の綜紋となつたものである。

後に松平氏や伊奈氏も含む一族縁者でもこの紋を使用する事を遠慮した。

そして、この紋を理由許可なく使用する事を幕府は禁じたので流行はしなかつたが、関係する一門が統一して使用する事になり葉と花と芯の数で変化をつけて見分けがつくようになり85もの紋様となつた。
(参考 皇族賜姓青木氏や皇族賜姓源氏の綜紋の笹竜胆紋は嵯峨天皇期の朝廷より氏とこの家紋の使用を詔で禁じ概ね明治初期まで守られた。)

徳川氏の子女の婚家や養子先や一部親族に特別に使用を許したが一代限りの家紋とされた。

この立ち葵は本多氏の家紋であり、その出何処を調べると加茂神社の寺紋であるが信濃の善光寺の寺紋でもある。
他にはこの立ち葵紋を使用しているのは平井氏、山田氏である。
つまり、この本多氏はこの善光寺系の三河の神官の末裔であるから、此処でつながっているのである。
立ち葵紋にも種類(7)が多いのでどの立ち葵紋かはよく見なければ判断が付き難いほどである。
7/85種類ある。

本多氏は丸付きの本多立ち葵紋である。更にこの分家筋もこの紋様に花紋をつけている。
この本多氏の丸つき紋は結局は信濃の善光寺の支流分家を意味するものである。

この青木氏の立ち葵紋は善光寺の寺紋や平井、山田氏の家紋と同じである。この平井氏や山田氏は江戸期中期ごろの氏でこの氏の出生元はこの信濃の出である事から本多氏と同様にこの寺の親族関係者から出た一族の氏ではないかと見られる。

平井氏や山田氏はこの本多氏と葵の同紋種を使用していることから何らかの血縁関係にあるとみられる。
よってこの立ち葵の家紋を持つ青木氏はこの信濃の善光寺関係の氏との血縁で生まれた青木氏となる。そうなるとこの青木氏は信濃の青木氏である。5家5流の皇族賜姓青木氏の一つの信濃王の末裔のという事になる。

つまり、信濃には青木氏は3つの青木氏が北と中央と南に住み分けて存在する。
北の国境付近の青木氏は皇族賜姓青木氏と足利氏との血縁で出来た足利氏系青木氏であり、中央は皇族賜姓青木氏の本家筋の青木氏が、南の国境付近は藤原秀郷流青木氏が村を形成して定住していた。

一部諏訪地方には甲斐の武田氏系諏訪族青木氏となった皇族賜姓諏訪族青木氏が居るがこの氏は末裔を明確にしているのでこの青木氏ではないことは判る。

上記3つの青木氏のどれかであるが確定し得るものはない。しかし、善光寺寺紋とする事からこの寺に関係の薄い青木氏は藤原秀郷流青木氏で地理的にも離れている。

平井氏や山田氏は藤原秀郷流一門の116氏からは室町期前において見つけることはできない。

だとするとこの二つの氏のどちらかとの血縁関係を結んだ足利系青木氏か皇族賜姓青木氏かのものと成る。

足利系青木氏は3つの国境の所に分布しているし、本家筋は足利家の本家筋から追われて美作の国に移動している。

(此処でこの足利氏は本家と藤原秀郷一門の後押しを受け跡目をいれた分家筋とで本家争いが起こり本家筋が負ける事になったので止む無くこの一族郎党は西国に逃げ延びた履歴がある)

よつてこの事から考えて室町期から江戸期前にしてこの青木氏が山田、平井氏との血縁は確立として少ない。
このことから残るは皇族賜姓青木氏の分家と善光寺関係の主要氏子の山田、平井氏のどちらかと血縁を結び、この青木氏が男系跡目が出来ずに一時2代続きで女系となり、家紋掟から養子先の家紋に変紋を余儀なくされたものと考えられる。

(皇族賜姓青木氏の綜紋は大化期(647)より笹竜胆紋である)

皇族賜姓青木氏5家5流の支流24氏の一つでは無いかと考えられる。この氏の血縁は比較的新しいので先ずは間違いはないとみられるが完全な確定は出来ない。

この信濃では比較的少ない家紋の支流氏で新しいこともあり他の青木氏と異なり村的な存在は確認出来ない。

信濃に於いては皇族賜姓青木氏を中心に足利系青木氏や前記した武田氏系青木氏の皇族賜姓諏訪族青木氏が目立つ。
しかし、この立ち葵紋を変紋した家紋の青木氏が1つしかないのは青木氏は現在に於いても数少ない青木氏の子孫である事になる。

家紋掲示板にもこの家紋を投稿します。



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