鈴木氏発祥の環境写真 詳細は本文参照 日本最古の藤白墨
藤白墨には平安期から江戸期までのものであわせて10種あるが、このうちの一つである。 表には「不朽千首新詩」と書かれ、その横には「紀州御墨所」と書かれている。 その「紀州御墨所」と書かれているものは他に3種ある。 この内2つは「源」の印紋が入っている。本品には「源」は無い。 現品は約半分程度の使用中のものの現品である。
他に、天皇家菊紋桐紋入りが2種あり、「一諦坊」、「二諦坊」と書かれていて多少大きさが違う。 もう一つは「天皇家蔵墨」と書かれたものがあり、推測であるが、これが民の「払下品」となるのではと考えられる。計3種である。
徳川家葵紋入り1種あり、裏には「徳川蔵墨」と書かれている。もう一つは年号入りがある。計2種がある。 「年号入り」は「藤白御窪墨」と書かれている。そのものが2種ある。 その「藤白御窪墨」の一つは裏に「那木葉 藤白窪墨」と書かれていて、「皇年寛保壬戌春紀城南湯浅縣鷹島瀕伴*製」とあり、記念品として紀州徳川家が勢作したと考えられる。 もう一つは「那木葉藤白窪墨」と連続記していて裏には「紀城南湯浅縣御射小御」と書かれている。 これが庶民に「払下品」と成ると考えられる。
もう一つの「藤白御窪墨」と模様が書かれたものは室町末期から江戸期初期に続けて幕府に納めたものであろう。
菊紋桐紋入りには、「清浄墨」と裏に書かれている。これは平安期に天皇家に納められたものであろう。
葵紋入れは江戸時代のものである。他に1種は寛保の年号が入っている事から何らかの記念品として紀州徳川家に納めたものであろう。
紋入りは無く「源」の印紋と「紀州御墨所」と書かれた2種のものは鎌倉期から続けて室町期のもので源氏系の幕府の納めたものであろう。「源印紋無し」は民に「払下品」と成るだろう。
本品はサイズ25*12センチ程度あり、形状は葉状又は小判形をしている。 裏には、波の中に大鳥の模様が浮き彫りに成っている。 10種の全ては「墨拓」がある事から、当初はこれだけのものを完全に保存していた事を示す。 (詳細は他の史料を提供して単独レポートする)
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