青木氏氏 研究室
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  [No.246] Re: 伊勢青木家 家訓5
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/04/18(Sat) 09:11:45

伊勢青木氏の家訓10訓

以下に夫々にその持つ「戒め」の意味するところを説明する。

家訓1 夫は夫足れども、妻は妻にして足れ。(親子にして同じ)
家訓2 父は賢なりて、その子必ずしも賢ならず。母は賢なりて、その子賢なり。
家訓3 主は正しき行為を導きく為、「三相」を得て成せ。(人、時、場)
家訓4 自らの「深層」の心理を悟るべし。(性の定)
家訓5 自らは「人」を見て「実相」を知るべし。(人を見て法を説け)
家訓6 自らの「教養」を培かうべし。(教の育 教の養)
家訓7 自らの「執着」を捨てるべし。(色即是空 空即是色)
家訓8 全てに於いて「創造」を忘れべからず。(技の術 技の能)
家訓9 自らの「煩悩」に勝るべし。(4つの煩)
家訓10 人生は子孫を遺す事に一義あり、「喜怒哀楽」に有らず。


家訓5 自らは「人」を見て「実相」を知るべし。(人を見て法を説け)

この家訓は大変に難しい誡めである。
人間には主観を持っている。そして、その主観は人により強さと方向が違うことになる。
この人の世に人と拘らなくては生きて行けない現実の中で必修の条件である。
その基本とも云える要件にこの戒めが存在する。
では、”その「実相」とは一体何であろうか”と先ず考えてしまう。
「実」の「相」ですが、語源的に考えると「実」とは本来の持ち得ているもので、花木の「果実」に当るのではないだろうか。
では、「果実」とは邪念の無い植物が最終に成し得る行為或いは目的である。
そうするとその目的の「果実」には「果実」そのものが目的では無く、本来は「種」を保存する手段と成るだろう。とすると、「果実」そのものはその「種」を保存する「相」即ち、「様」と成るだろう。
「果実」=「相」(様)となる。では、ここで、その「相」(様)とは何であろうか。
仏教ではその「相」(様)は3つあるとしている。
それは、この世にて万物が生きていく時に必要とする対応しなければならない条件のことであるが、それを「三相」(「人、時、場」)と定義している。
この「実」と「相」を組み合わせると、「種」を保存する「人、時、場」と成り得る。

この組み合わせの「実 相」=「人、時、場」(三相)と成る。

人間本来のこの世に生まれて来た目的は万物は全て「種」を遺す事にあるだろう。人間も例外ではない。つまり、「子孫」を遺す事に他成りません。つまり、「種」=「子孫」と成る。
そして、「三相」とは、その「子孫」(種)を遺す過程での「人、時、場」での現象であるとされる。
更に、この「人、時、場」とは日々の生活に働く現象である。
依って「子孫」(種)を遺す日々の本来の「生活」と成る。

「子孫」(種)=「三相」(人、時、場)=日々本来の生活

日々の「生活」の中には、「三相」の組み合わせで色々な事が起こるだろう。雑事が起こる。
その中でも「子孫」を定義しているのであるから、雑事の中でもそれを実行して行くべき「基本の姿勢」と云う事になる。

「子孫」=「基本の姿勢」と成る。

即ち、雑事の中でのさまざまな姿勢そのものではなく、それに捉われなく、「子孫」に限定した「根本的な姿勢」を意味する事に成る。

結論は、故に「実 相」とは、人間本来の目的である「子孫」に限定した根本的な「姿勢」を意味する事に成る。
「三相」(人、時、場)の中、この家訓5は「三相」の「人」に対しての事を意味している事から、”「時、場」に依って起こる雑事を排除して、その人の「根本的な姿勢」の如何だけを観なさい”としている。
「人」が生きて行く過程で”人の事に付いての「根本的な姿勢」だけを観て評価しなさい”としている筈である。
又、”「時、場」を取り除いたその「人の姿勢」という事に成りその努力をしなさい”と訓している。
”なかなか、この努力が一朝一夕では出来ない故に、その日々の努力を積み重ねなさい。”
そして、”その暁にはその「根本の姿勢」を見抜く力、人の巾を持ちなさい。”としているのであろう。
そして、”その「人の巾」が大事にせよ”と云う事であろう。

「人」は日々の雑事に追われてその雑事の中で兎角全てを見てしまい、雑事の中で生きている傾向が出来てしまう。そうして、その中でそれを基に「評価の基準」として人を見てしまうジレンマに陥る。
「根本的な姿勢」を見るどころか見えな事に成る事さえもある。
雑事の中では「拘り」が生まれるに他ならないものであろう。
殆どは、実際はこの傾向が強いのではないか。だから、この家訓があるのであり、家訓5を知りより正しくより正確に見抜く力を付ける事が、より確かに子孫を遺せる事に成るし、又は、より人生を確かに豊かに過ごせる事としているのであろう。

伊勢青木氏はその立場に於いて、他のレポートでも記述してきたが多くの立場を有していた。
商家、武家、賜姓族、組織や集団の長などの立場にあったが故に、其処からこの家訓5のその必要性を求められ、又「人の巾」、「根本の姿勢」を持ち得ていなくては成り立たなかったと云う環境にあった。
故に、この家訓5の意味がどれほどに必要視されていたかを物語り、又、子孫にそれを伝える重要性があった事から代々家訓として遺されてきたと考えられる。
この立場の多さが先ずこの家訓を生み出したのであろう。
普通なら雑事の中でも充分に生きられるが、青木氏にはそうでは無かった事を物語る。
さて、これで、この家訓の意味が終わった訳ではないのである。

この家訓には、進めて後文に次ぎの事が書かれている。
それは、「人を見て法を説け」と記されている。

つまり、「人の実相を見よ」とする家訓5の前文の「根本の姿勢」を見抜く力、「人の巾」だけではないのであり、更に進めて、「人を見て法を説け」とある。

この二つの家訓が相まって効果が生み出されるとしているのである。
この2つの意味する所の家訓を理解しようとした時、若い頃には正直に理解が出来なかった。
当然である。「人の巾」をも充分でない者がこの後文を理解できる訳は無かった。
人生の雑事での中で思考も一通り出来る様になり、”甘い酸い”の事が判る様に成って来て、ある時、”待てよ。「人の巾」だけではこの人の世の中上手く行かない”と疑問が湧いた。
”其処には何かある。”とその答えを仏典など読み漁った。
その結論が次ぎのこの答えであった。

確かに、仏典にこの答えが書かれていたし、自分の感覚もこの事に近いものを持っていた。
しかし、ここで疑問が更に湧いた。
”何故、仏教が、「人を見て法を説け」と成るのか、全ての人を幸せに導くのが仏教の道ではないか。”おかしい。”人を見比べて法を説くのは違う。「人の道義」に離反する”と考えたのである。
しかし、よくよく考えた。仏説には、上記した様に「三相」として定義し「人、時、場」を明らかにしている。
普通の場合、雑事の中での思考世界では「人を見て法を説くのは違う」で正しいのである。
しかし、この家訓前文は、”「雑事の思考」から超越して「根本の姿勢」を評価をせよ”としているのであるから、雑事の中での思考の「人を見比べて法を説くのは違う」と考える事とはこの家訓後文の意味するところは「別の思考の世界」と言う事になる事に気づいたのである。
この様に、人間には、より巾を求めるには雑事の思考世界から逸脱する必要があり、常思考は深くこの雑事の思考世界にどっぷりと浸っている事を思い知らされたのである。
つまり、”自己よがりで、低次元で拘っている”と。そして、”「別の思考世界」でなくては成らない筈”とそれは大変な難行苦行の末の事であった。
考えて見ればれば、仏教を先導する僧でさえ難行苦行のこの「逸脱の修行」を行って体得しようとしている訳であるのにも拘らず、その事に気づかず、多少なりとも教典を浚っていながらあさはかにも「別の思考世界」と思い着かなかった。
雑事の中での「低次元の拘りを捨てる事」そうする事であれば、家訓であり仏説である「人を見て法を説け」の縛りは解ける。

後はこの、「人を見て法を説け」の意味する所を理解する事にあった。
では、この意味する所とは「見て」と「説け」に解決キーがあると考えたのである。
そこで、まず、「見て」はその人の「人間的レベル」、その人の「生活環境」の二つに分けられるであろう。「その人の人間的レベルを見て法を説け」なのか、「その人の生活環境を見て法を説け」なのかである。
その「人間的レベル」とはその人の「仏教的悟り」のレベルを意味するだろう。
その「生活環境」とはその人の置かれている「諸々の立場」の如何を意味するだろう。
さて、この内の何れなのか、はたまた両方なのかである。
この事に付いては仏教ではどのように成っているかであろう。調べるとそれを決定付ける仏教の教えが出て来る。つまり、「縁無き衆生動し難し」とあった。
これで大まかには前者の「人間的レベル」である事が判る。
”どのように衆生に説法を説いても説法の効き目が無い人にはその程度の理解力しか無いのだから意味が無い”。諦めなさい”としている。
仏教では”最後までその様な人には説法を説き続けなさい”とは言っていないのである。
”見捨てなさい”とまでは云っていないが、ここで矛盾を感じる。
家訓の前文の”実相を見よ”とある。仏教でも「実相」と云う言葉が使われている。
”雑事から逸脱した「根本の姿勢」を見よ”としているのであれば、どんなに説法の効き目の無い理解力の元々持ちえていない人でも「根本の姿勢」はある筈である。
そう考えると、言っているこの二つには矛盾がある。
ところがこれは矛盾ではないとしているのである。

その事に付いて、更に仏教では”それは拘りだ”としているのである。
仏教では最大の教えは「色即是空 空即是色」又は「色異不空 空異不色」としている。
つまり、この二つの般若経の行では”必要以上に拘るな”としているのである。
”どんなに説法の効き目の無い理解力の元々持ちえていない人でも「根本の姿勢」はある筈である”と考えるのは”必要以上に拘り過ぎる”と云っているのである。
何故ならば、上記の般若経の一説は”この人の世の社会はそんなに「理詰め」では出来ていない”だから、それは”「必要以上」”であり即ち、「拘り」であるとしている。
仮に理詰めで出来ているのであればそれは”必要以上ではない”と成るだろうが。

これでは納得できる。”この人の世の社会はそんなに「理詰め」では出来ていない。” この事を「三相」で考えると、人の世は「人」と成り、社会は「時」と「場」と成る。”だから、三相(人、時、場)で考えよ”と説いているのである。
”どのような事象でも普遍ではなく三相にて異なる”と説いているのである。
もっと進めれば、「三相」に依っては”正しい事は必ずしも正しくもなく、間違いでもあり、間違いは必ずしも間違いではなく正しい事でもある。”と成り、普遍では無く成ると説いている。
つまり、これが「拘り」を排除した考え方であると云う事になる。
確かにあり得る。むしろ科学文明の付加価値が進む現代社会では自然性が無くなり、科学的付加価値の要素が大きく働き、むしろ上記した事の方が多いとも思える。否多いであろう。どちらかというと、「正しい」と「間違い」だとする間のどちらにも含まない事の方が多いと考える。
ところが、我々凡人には普遍だと思い拘ってしまう所に、「悟り」(人間力)の有無如何が問われるのであろう。この家訓の意味する所だろう。
この様に”「三相」に依って変化する時の実相を見る力を付けよ”と家訓は誡めているのであった。
「三相」を思考する事に依って「普遍」と見る「拘り」を捨てれば、「雑事の中の思考」を取り除く事が出来て、「根本的な姿勢」を見抜くことが出来る事を諭しているのである。そして、その姿勢で法を説けとする誡めである。
雑事の中の「思考の拘り」を取り除く方法とは次ぎの事と成る。
”三相で以って行い、そして、考える力の訓練をせよ”と云う事であった。

「人を見て法を説け」の意味する所の「見て」の結論は「人間的レベル」即ち「仏教的悟り」である事である。

次ぎは、”法で「説け」”での疑問である。
先ず、解決キーは「導け」と「教えよ」の二つであると考えられるだろう。
つまり、「説け」とは、仏教では「導け」までを行うのか、「教えよ」までを行うのかという事を判別する事に成る。
これも仏教の教典に随処に明確に書かれている。答えは「教えよ」である。「導け」とまでは書かれていない。”先ず教えよ”である。
例えば「般若心経」である。このお経の「経」の意味は「路」であり、更にこの「路」は「ある過程を持つ路」であり、「人生という過程の心の路」を説いている事に成る。
つまり、般若経は、この世の「心」の段階の「迷い」「拘り」を捨てさせる「術」に付いて教えている事に成る。
上記した、「縁無き衆生動し難し」でも”説法を説いても縁の無い者は動かせない”となり、「導く」と云う所までに至っていない。
本来、「導く」の語意は「教えて」の後に「導く」を意味する。教える事せずに導けることはない。
人の世のことは先ずは教える事無くして導く事は不可である。だから経文があるのである。
仏教は”この教える事に主眼を置いて教えても理解が出来ない者には導くはありえず動かし難い事である。故に「必要以上に導くのだとする拘りを捨てよ」”と禅問答などで説いているのである。

既に「法」とは「則」(のり)であり「決まり」であるのだから、”人の世の生きる為の「決まり事」を教える事”を意味する。

参考
奈良時代に我等の青木氏の始祖の「施基皇子」が、全国を天皇に代わって飛び廻った際に、地方の豪族達からの話や土地の逸話などで得た全国の「善事話」を集め整理する事と、この「まとめ」をし、民の「行動指針」とし発行するように天皇に命じられたが、更に天皇はこの「善事話」を進めたのが日本最初に作られた「律令」であり、この様な「善事話」の「まとめ」を法文化したものであったと日本書紀に書かれている。
事と場合に依っては、これ等の家訓10訓は、証明は困難だが、この時の事柄を施基皇子は自らの氏に抜粋したものを遺したのではとも考えられる。
もし、仮にそうだとした場合は、5家5流を含む29氏の一族一党の青木氏はこの家訓に近いものを保持していた可能性がある。
当時、天皇家は男子に恵まれず女性天皇が何代も続いた時期であり、第6位皇子(第4位までで対象者なし場合は第5位とする継承権)の施基皇子の子供光仁天皇に皇位継承権が廻ったという経緯がある事と、鎌倉時代から江戸時代までに交流があった事から察するに、特にその系列の伊勢、信濃、甲斐の皇族賜姓族一党の青木氏はこの家訓に近いものを持っていた可能性も考えられる。
家訓なるものが偏纂される状況を考えると、700年前から800年前の100年間の期間ではないかと推測する。青木氏が発祥して2ー4世代の間と成るだろう。
その状況の一つとして例えば、又、光仁天皇の子供の桓武天皇(伊勢青木氏の叔父)は、第6位皇子を賜姓せず、後漢の阿多倍の孫娘(高野新笠)を母に持ち、この一族(たいら族:平氏)を賜姓して引き上げ、発言力を強めていた青木氏特に伊勢青木氏に圧力(伊勢国の分轄や国司を送るなど政治から遠ざけた)を加えて歴史上最も衰退に追い込んだ。しかし、この後、桓武天皇の子の嵯峨天皇はこのやり方に反発し賜姓を戻し、青木氏は皇族(真人朝臣族)の者が俗化する時に名乗る氏として一般禁止し、賜姓は源氏と改めた経緯がある。この時代付近までに初期の家訓なるものが偏纂された可能性がある。

当然に長い間に修正編纂された事は考えられるが、多くは仏説の解釈内容を引用している事から見ると、当時の仏教の置かれている立場は絶大であった事から考えても、現在にも通ずるこの家訓10訓は可能性があり否定は出来ないだろう。
この研究を進めた。しかし、この時代の確かな文献が遺されていないために進まなかったが、状況証拠はあるとしても、日本書紀に始祖が「まとめ」に当った史実事だけである。
伊勢では、口伝で伝えられ「家訓書」なるものがあったと見られ、何度かの戦火と松阪の大火で消失し、その後「忘備禄」(別名)なるものに諸事が書かれているが、10訓はあるにしても解説は他書に漢詩文でのこしてあり、「忘備禄」の方は完成に至っていない。
恐らく復元しようとしてまとめながら口伝として「忘備禄」の中に「家訓書」にする為に書き遺し始めたのではと考えられる。続けて筆者が公表できないものを除外しながらこれ等の漢詩文と口伝と忘備禄と史料を基に何とか平成に於いて完成した。


後文の結論は即ち「法を説け」は先ず上記した解説の事柄を「教えよ」の意味する所と成る。

よって「人を見て法を説け」の解釈は次ぎの様に成る。
人の「見て」は「人間的レベル」即ち「仏教的悟り」であり、「説け」は「教えよ」である。
”人の「人間的レベル」或いは「悟り具合」を良く洞察した上でそれに合わせて必要な事を教えよ。”と成る。
しかし、と云う事は、自らがその「人間的レベル」(悟り)を上げなくては人を洞察する事は不可能であり、「教える」に値する度量とその知識と話術を習得せねばならない事に成る。
つまり、言い換えれば、この家訓は逆説の訓でもある。

”自らは「人」を見て「実相」を知るべし”の前文には、確かに「自ら」と定義している。
当初、この家訓には他の家訓と較べて一足踏み込んだ個性的な家訓であるとも考えていたが、どうもそうではない事が後で判る事となった。
特にこの前文の”自ら”と”「人を」見て”の二つの言葉に違和感を持った。
”自ら”は逆説的な事である事を意味させる為に挿入したことは判ったが、”「人」を見て”とするところに”二つの解釈が出来るのでは”と考えた。
つまり、”他人の行動を起している様を良く観察して他人のその実相(根本的な姿勢)を読み取れ、そして自分のものともせよ”と解釈するのか、はたまた、”自分以外の人を評価する時「根本的な姿勢」だけを以ってせよ。そして他人の雑事の姿勢の評価は捨てよ”と単純明快にしているかの考え方もある。
始めは後者の考え方を採っていた。しかし、後文の逆説的内容である事と判った時、前文の「自ら」の記述で、前文も前者であると解釈を仕直したのである。
そすれば、何れも前文、後文共に、”他人に対処する時の姿勢を意味しながらも、そうする為にも”先ず自らも磨け”と成り一致する。

この家訓5の解釈は「人事」を戒めとしているだけに表現も意味も難解であった。
多分、先祖は”単純明快であれば大事で肝心な事が伝わらず間違いを起す恐れがある”として何時しか書き換えて行ったのではと推測する。
恐らく長い歴史の中に間違いを起した事件の様な事があって氏の存続も危ぶまれた時があったのであろう。それだけに、この家訓は人を束ねる立場にあった青木氏の「自らの人」「人の集合体の組織」に関する最も重要な家訓である事が言える。

この様に、青木家の家訓5は人の上に立つ者のあるべき姿を説いている事になる。
これは、子孫を遺す為に難行苦行の末にして、数百年に及ぶ商家の主としての姿を誡めていると同時に、千年の武家としてのあるべき姿に共通する戒めを遺すに至ったのであろう。
正しい事だけを家訓にする必要は無い。何故ならばそんな事は書物でも読み取れる。しかし、書物に書き得ない青木家独自の上記の意味する所一見矛盾と見られるような事に関しては青木家としての家訓として遺す必要があったのであろう。
もとより伊勢青木氏のみならず、「生仏像様」を奉る全国青木氏の家訓であっただろうと同時に、これらの家訓があっての1465年続いた青木氏の所以であると見られる。

次ぎは家訓6に続く。



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