青木氏氏 研究室
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  [No.314] Re:青木氏の分布と子孫力−10
     投稿者:福管理人   投稿日:2014/06/17(Tue) 14:35:09

> > 青木氏の分布と子孫力−9の末尾
> それは、「個人」ではなく一つの「集団」としての「掟」であった。
>それを「伊勢青木氏」と「信濃青木氏」が、「商い」と「神明社」を通じて統制していた事に成る。
>依って、”「子孫拡大」”と云うよりは、”維持した”と考えられ、「パラメータ4」を超さない範囲で維持していた事に成る。
>「伊勢青木氏」や「信濃青木氏」等が、持っていた「慣習仕来り掟」と云う戒律は、適用しなかったと考えられる。
>その最たるものとしての「血縁」は、”本家筋を除いて適用せずに「青木氏」外に子孫を横に広げて ”「拡大」ではなく「維持」としたのである。
>これは「商人」と云う事であったからこそ出来得た事である。
>元来、「青木氏」では「家紋」とするものは「象徴紋」としての考え方であった。
>この「3つの地域」の「青木氏」には、「笹竜胆紋」以外の青木氏は極めて少ないのはこの事から来ている。

>恐らくは、継承する家紋があったとすると、それは「商標」として扱われていたことが判る。
>この地域では、恣意的に「笹竜胆紋」は表には出ずに「総紋」としての扱いであった事が伺える。
>秀吉の家臣と成って家康に除封された青木伊豆守と青木伊賀守の福井での青木氏末裔は、現在も「笹竜胆紋」を継承しているが、「本家の総紋」としている事でも判る。


青木氏の分布と子孫力−10


「秋田」
東北地方の6県についてである。
この中での「秋田」は、「陸奥地域」として「藤原秀郷流青木氏」の古くからの根拠地である。
「青木村」も形成して「越後青木氏」との連携もあり、「陸奥青木氏」の記帳のないのも不思議の一つである。
(北海道入植移動と室町期末期の混乱の影響はある)
少なくとも「関東の青木氏」と同じ程度の「子孫拡大」を持っている筈で、「青木氏」の現代の存在も確認できている。
”何故に記帳やデータのパラメータが採れないのか”は不思議である。
老化が進んでいることも考えられるが、投稿もある事もあり「青木氏氏のサイト情報」が伝わっていないとも考え難い。
「老化」となると「青木氏の今後」のこの地の「子孫拡大」に不安が残る。
しかしながら、その「周囲の分布」(青森1、岩手1、山形2、宮城2、福島4、新潟4)が納得できる件数にあり、「秋田」だけが全族が移動しているとも考えにくい事とを合わせると不思議である。
周囲が採れているのに「秋田」が0に成るのは”何かが青木氏に起こったから1以下に成っているのであろう。

その不思議のヒントは「大阪」と「東京」の「都会」にある。
先ず、上記した様に、「青木氏」に関係が歴史的にない「大阪」である。
「14のパラメータ」で全体の7%もある。
この「大阪の都会」は関西の県の青木氏の定住地からの移動が主体であろう。
つまり、定住地では無かった大阪ー兵庫東域に「皇族青木氏」の「丹治氏系青木氏」が江戸期初期に四万石の大名として摂津域に赴任している。
この事から、パラメータとして2が考えられるが、その他の数字は考えられない数字である。
又、「伊勢青木氏」が堺に長い間、「大店の支店」を持っていた記録もあるが、「伊勢青木氏」の分家が現在も紙問屋を営んでいるが、パラメータに出てくる数字でも無い。
このパラメータの大半は、つまり、これは上記の答えの一つには「都会への定住移動」の事が考えられる。
(秋田は家紋分析から主に東京などから)
何時の世も、この政治、経済でこの「行動パターン」はある。
では、果たして「秋田」が「大阪」かと云う事になるが、矢張り、「地理的環境」から「東京のパラメータ18」になる。
「大阪14」は、関西以西のパラメータの0域の取り分け4県の吸収地となろう。
「関西以北の移動」があったとしても、現在もその比は少ない事からパラメータを構成するには「以西」である。

とすると、「秋田」の0のパラメータは老化は兎も角として、パラメータの過剰を示している「東京」となる。
そこで、次ぎに「過剰地の東京」の吟味とすると、「青木氏」の最大の定住地の東京である。
18のパラメータで全国比の9%もある。
「藤原秀郷流青木氏」と「丹治氏流青木氏」の定住地の121氏の本領地である。
「武蔵」として「埼玉と東京」に成るが、本領地の埼玉入間に17の全国比の9%もあるとすると、全体から観るとこの埼玉で納得できる数字である。
武蔵入間を中心として神奈川横浜を半径とした円状の中に定住していた事を考えると、神奈川は21である事、埼玉の17である事、
神奈川の秀郷流青木氏に保護されて後に、領地を以北に求めた「諏訪族青木氏」で拡大分布した「栃木の8」である事、
「群馬の6」、「千葉の11」、「茨木の4」が妥当なパラメータと考えられる。
この事から、「東京の18」は矢張り大きすぎるパラメータと成る。

しかし、東京にも18とあり、「埼玉の17」では多すぎる。
「秀郷流青木氏」の東京の分が余計な数字とも考えられる。
この東京には、江戸期に「6つの青木氏」が集まった事が判っていて定住移動している。
更には、武田氏滅亡後、「皇族青木氏」の「武田氏系青木氏」が家康の配下に組み込まれて「埼玉鉢形」に移動定住された。
この分を考慮する必要がある。
次ぎに、江戸初期武蔵の「丹治氏系青木氏」が信濃を経由して摂津に移動定住している。
残りの一族があったとしても、これら二つの分を加算しても埼玉17から2を差し引いたとして、その分「秀郷流青木氏」は東京に少なくとも 2を持っている事に成ろう。

武蔵の「秀郷流青木氏」は元より、三重、千葉、越後、越前、越後、「皇族青木氏の武田氏系青木氏の甲斐」と、「丹治氏系青木氏」が江戸期に確認できる。
しかし、これらを全て合わせても江戸期の家臣の移動族であるので赴任を終えての国に帰る事から、無理に定住したとしてもパラメータは最大でも1程度を見込まれる。
そうすると、それにしても大き過ぎる。
「宗家秀郷流青木氏」を「東京の分」として 2としてもせいぜい 9と成る。
そうすると、「国抜け」として「一族斬罪の罰」になる事の江戸期に「青木氏」としては自由に移動定住できなかった事を考え合わせると、結局は「明治後の9」と成る。

つまり、この二つの数字から考えると、上記した7県の内の大分と山口を除いた「5県の分」がこの大阪と東京に集まった形に成っている。
その内の「秋田」は明治後の「都会への定住移動」の東京の方に含まれる事となる。

東京は秀郷流青木氏の分の2
各地域からの移動定住族の1
下記の「第三の青木氏」の8
秋田の秀郷流青木氏の移動分の2
江戸期の6氏12流の定住分の4
その他の各地からの分として1
総計 都会移動分  18
   

この東京と大阪の二つの地域31パラメータの半分17−18は上記の5県の分として計算でき、残りの分は全体からの移動分と成る。
17の8%−9%が「全体移動分」と考えられる。
全体を平均4として、これからの「青木氏の定住の勢力図」として観てみると、これらの周囲は青木氏の分布状況に匹敵する数字を示している。

実は、ここで「明治期の異変」が起こっているのだ。
それは「秀郷流青木氏」には3年の苗字令と8年の督促令で関東周辺の氏姓名を持たない庶民は進まない氏姓名に対して政府の指導の下に、ある日、突然に村全体が「青木氏」を名乗ると云う事が起こった。
中には郡の村の大半が「青木氏」を名乗ったと云うことが関東であった。
「青木氏」では、「寛政の歴史書」に基づきこれらを「第三の青木氏」と呼称された。
これらの一般の人は大小何らかの形で「青木氏の生活」に関わった村人であった。
従って、この人口の数は「青木氏」を超えている。
これは「青木氏」の全国に関わった村で起こっているが、特に、関東は上記した様に、”一夜明ければ青木氏”と云う状況であった。
この事から、青木氏の平均のパラメータを4とすると、この倍は少なくともあった事に成る。
「一夜明けて」の人口は村主一族の10倍程度以上に成らなければ村は維持できない筈だ。
だから、この人口の1/4が子孫力と見做して、この「東京の18」−「全体の移動分」を差し引けば、平均のパラメータ4の倍の8に計算から成る事に成る。

この現象は関西(賜姓族は禁令)よりは主に関東を中心にして集中的に起こったのであるから、この分のパラメータ8を考慮する必要がある。
このパラメータの8の数パーセントは「秋田」の分が含まれているこ事に成る。
この「秋田」も、明治期にこの現象を起こした地域で、その人々は明治期に移動の自由もあって「都会移動」を盛んに起こした地域なのである。

「山梨」
「山梨1」についてであるが、ここで特記して置くと、甲斐から「皇族青木氏」が家康の命で鉢形に移動定住してきた。
「武田氏系青木氏」(時光)として残るは、「本流の青木氏」と「養子筋の分家青木氏」が甲斐に居た。
この内、「養子筋の分家青木氏」は「安芸」などにも移動して定住しているが、最終は甲斐青木氏が衰退した為に戻った。(一部は残った。常光寺を再建した。)
従って、甲斐には「皇族賜姓族青木氏」(源光系 0)が奈良期より定住する。
この「皇族賜姓青木氏」が武田氏から養子を迎えて血縁したが、その養子に跡目が生まれずに家紋掟に依って賜姓族系の「武田氏系青木氏」が発祥した。
依って、この「賜姓族武田氏系青木氏」(1)と「皇族青木氏の武田氏系青木氏」(A)が甲斐にはある。
諏訪族が「武田氏系青木氏」と血縁した「武田氏系諏訪族青木氏」(B)、「賜姓族青木氏」と血縁した「賜姓族の諏訪族系青木氏」(2)がある。「諏訪氏系武田氏族青木氏」(C)
甲斐には、以上、「賜姓族系3氏」 「皇族系3氏」の「6つの青木氏」が存在する。

この様に血縁に依って「青木氏」が多く出ているにも関わらず、「甲斐」は室町期は戦乱の中にあった。この為にどうしても巻き込まれて「子孫力」を落とした経緯がある。
ところがあまり「越前福井の逃避地」に逃げ込んている記録が見つからない。
恐らくは、(0と1)は定住して戦いから極力避けたと考えられる。
(2)は武田信玄の有名な由依姫事件の調略にかかり武田氏に組み込まれた事から、各所に分散して逃げた。
恐らくはこの一部が越前福井に逃げ込んでいる筈で「抱き角紋」がわずかに確認できる。
(0と1)は定住
(2)は神奈川・栃木・越後
(A)埼玉武蔵鉢形と高知土佐に移動
(B)神奈川に移動
(C)越後に移動 

「甲斐の賜姓族」は定住して「伊勢青木氏」と「信濃青木氏」と連携して「古代和紙の殖産」に関わったが、記録から「伊勢青木氏」と「信濃青木氏」の様に積極的に活動した記録が発見できない。
この事から、「山梨の1」は「伊勢や信濃」と違ってパラメータは低い事は納得できる。

「埼玉 神奈川 千葉」「栃木 群馬」
埼玉17、神奈川21、千葉11の3県は、全ての「青木氏の融合定住地」である事から観ると、やや大き目の程度のパラメータであるが納得できる。
「神奈川の21」は上記で論じたがお大きいとは観られるが、そうでもないのである。
ここには「伊勢と信濃」と、「諏訪族系3氏と武田氏系3氏」が室町期末期に定住移動している。
「秀郷流青木氏」の保護もあって、経済的にも恵まれて子孫拡大も何れも実に大きかった。
その内には、この神奈川の地で保護されて子孫拡大が大き過ぎた為に、「秀郷流青木氏の保護」を得て栃木に更に移動して、武力で北方向に領地を獲得する等して「栃木の8」の事が起こるくらいであった。
「群馬の6」も本領地であることから、入間だけではなくこの地域にも子孫を拡大させている。
かなり群馬の北域の国境沿いは争いが起こっていたが、室町期末期の諏訪族の拡大もあって平定に近づいた。
この諏訪族の勢力の「栃木の8」は平均のパラメータ4の2倍である。
異変や単純に子孫拡大しても8までには成らない。
つまり、如何に「神奈川の勢力」がこの「栃木の8」を後押ししていたかが判るし、全国最大であったが大きかった事が云えるのである。
「諏訪神社」を独自に勢力地の各地に数多く建立しているところからもその勢力は頷ける。
その意味で「栃木の8」は頷ける。

(栃木は当初、神奈川に逃げ込んだがその一部が神奈川の勢力を背景に栃木の以北を攻めて安住の地を獲得して守った。)

「明治後の移動」のみを考えても、「移動のパラメータ」は「平均の4」を超える事は論理的にない事から2程度位以上にはならない。
この「神奈川の21」はその意味で妥当性を持っている。

「沖縄」
最後に、「沖縄の1」に付いては全く判らない。家紋分析も守護神からも判らない。
明治後の移動である事は間違いない。
歴史的な経緯が全く無く記録も確認できない。
薩摩藩との関わりが大きかった事から薩摩藩に青木氏が家臣として出仕していた可能性は「日向青木氏」の経緯から観ても低いので、「沖縄の青木氏」が江戸期には定住していた事は先ず無く、明治後の事であろう。
「沖縄の1」を示しているが、パラメータ1は上記した様に、90−150年程度は必要である。
明治期からすると何とか得られるパラメータではある。
大阪や東京の「都会移動」、北海道の「入植移動」、沖縄の「自由移動」等がある中で、パラメータ0の地域もある。
「沖縄」の「自由移動」の青木氏は柵が無いことから今後拡大する事であろう。
「沖縄青木氏」の新しい呼称が出来た事は喜ばしい。

「結」
この様に本来の定住地で無いところの地域に分布の数字を示しているのは、室町期の青木氏の拡大伸長の移動方向も現在にも示している。
本来定住地ではないが、歴史的な室町期の記録からも勢力拡大の経緯として納得できる。
その県として観れば、この「沖縄」を除きその数字は適切に投稿数字に表れている。

因みにこの「記帳の数字」と「ルーツ掲示板」の投稿数字はほぼ同じ傾向をしめすが、この分析は、筆者が過去について調べた「青木氏の分布」と「青木氏の村の分析」とで勘案すると、その後の分布として非常に適切に歴史的な史実を表していて興味深い。

この数字のバイアスは統計的に1以下で0.5程度と見込まれる。その範囲でパラメータは「青木氏の分布図」として観られ、且つ、同時に「伝統の存在力」としてのパラメータとしても観られる。

そこで、気に成る事がある。
それは上記の表や下記の表の様に各地の「青木氏の分布図」(子孫力)を示しているが、これが”面積とどの様な関係にあるのか”と云う事である。
広いところ広い様に分布し「子孫力」が広がっているのかと云う事である。
「青木氏」は「青木村」を形成しているのであるから、その”「青木村」が地域に依って大きさが違っているのか”を把握しておく必要がある。
その答えは出る。
次ぎの2つの表から出る。





・> 青木氏の分布と子孫力

> > [地域別分布力]
> > 「地域別」では「青木氏」は次の様な「分布力」になっている。
> > 全国平均(全国単位 % 表ー1)
> > 地域      異変の県        分布力
> > 九州地方   長崎、大分       5%
> > 四国地方   高知           2.5% 
> > 中国地方   山口、岡山       2.5%
> > 関西地方   三重(筆者ルーツ)  14%
> > 東北地方   秋田           7%
> > 中部地方                 15%
> > 関東地方                 45%
> > 北海道・沖縄               6%
> > その他                   3%
> >
> > 地域平均(地域単位 /県 パラメータ 表ー2)
> > 九州地方  1.3
> > 四国地方  1.3
> > 中国地方  1.3
> > 関西地方  4.7
> > 中部地方  4.3
> > 関東地方  11.3
> > 東北地方  2.0
> > その他   11.0
>
> > 「青木氏」は現在も以上の様に分布している。
> >
> > 修正地域(表ー3)
> > 長崎 4 宮崎 6 岡山 4 香川 8 徳島 1−7 三重 12 福井 4 愛知 13−7
> > 秋田 1
> >
> > 「青木氏の分布力図と伝統力図」(表ー4)
> > 九州地方(5%) 中国地方(2.5%)四国地方(2.5%)関西地方(14%)中部地方(15%)
> > 福岡  2      山口  0   愛媛  3     兵庫   3    三重  1
> > 長崎  0      島根  2   香川  1     大阪  14    石川  2
> > 佐賀  1     広島  3   高知  0     京都   5    福井  1
> > 大分  0     岡山  0   徳島  1     奈良   1    岐阜  3
> > 熊本  4                        和歌山 4     愛知  13   
> > 宮崎  2                        滋賀   1    長野  9
> > 鹿児島 1                                   山梨  1
>
> > 域平均 1.25  平均 1.25  平均 1.25    平均 4.7     平均  4.3        
>
> > 関東地方(45%) 東北北陸地方(7%) 沖縄、北海道地方(17.5%)
> > 静岡   5   青森  1      沖縄   1
> > 神奈川 21   山形  2      北海道 11
> > 東京  18    岩手  1
> > 埼玉  17    新潟  4
> > 群馬   6   秋田  0
> > 千葉  11   福島  4
> > 茨木   4   宮城  2
> > 栃木   8                                     
>
> > 域平均 11.3   平均  2.0      平均  11.0  
>
> >  青木氏の分布と子孫力−11に続く。
>



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