青木氏氏 研究室
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  [No.59] Re: 藤原秀郷一族の生き方-2
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/18(Sun) 16:15:45

Re: 藤原秀郷一族の生き方-2
青木研究員 さん 2005/07/18 (月) 23:47
藤原秀郷流の5氏は同時に分流したのではない。
1の問題に付いて検証する。
最初は青木氏である。秀郷が恩賞として貴族になり、下野国と武蔵国の守護となつた。(940年)この時点で、貴族が武力を使う事は出来ないし、2つの領国をもったために武装集団を強化しなくてはならない。そこで、5人の子供に対して第3子(第4子)より青木氏を与えて先ず護衛集団した。
5人は千時、千春、千国、千種、千常の5人男子である。

千時は鎮守府将軍に、千春は相模介に、千常は左衛門尉に、後に鎮守府将軍になつた。千国は父秀郷についで武蔵国守護になつた。

この千国系の一族が直系青木氏を名乗り、武蔵の国の入間郡青木村に住まいした。
千常からも7代目の行久が直流青木氏を出し、武蔵の国榛澤郡青木村に住まいした。
その行久から4代目行信が直流青木氏を出し、武蔵国北足立郡青木村に住まいした。
この青木氏は更に直流として4氏に広がり、2氏の青木氏が武蔵国横浜神奈川字青木に住まいしたと成っている。

このことでも判る様に、武蔵国を周囲から青木氏で固めているという事である。
他の長谷川氏、進藤氏、永嶋氏、長沼氏ではなく、116氏の最大氏を持つ青木氏が中心と成って本拠地を守っている事になる。如何に宗家本家が信頼し親衛隊の役目を持たしていたかが判る。
同じ親衛隊でも賜姓青木氏とは、本拠地の固め方が全く違う。
藤原氏は戦略的である。

賜姓青木氏は別レポートで述べた様に、藤原氏と異なり同族の源氏に頼りすぎたことが子孫を遺せなかった原因であることが判明する。一族から直流ないしは支流を出して守り固めるという戦略が無かった。ましてや、天皇の親衛隊であるのに疑問を感じるほどである。これでも同じ藤原氏とは家柄、慣習、名誉が同じ程度であるはずなのに、この3つに頼りすぎていたことを意味する。

現に、長谷川氏を始めとする4氏は秀郷一族の勢力の及ぶ範囲の鎮守府の地に又は、14の守護地に、更には各地の住居地に分散して配置している。
361氏という集団を持つ勢力全体を人口にすると大変な数になる。
そして、その人口を満遍なく武蔵を中心に関東と中部東、北は奥州の一部までを円を描く様に、守護又はその役職に近い形で固めて配置している。そしてその守護地に必ず子孫を残して来ている。
その最たるものとして挙げると遠方の福岡県福岡市付近の2ケ所に守護の任期の後に青木氏の子孫を残してきている。明らかにこれも戦略である。藤原氏流青木氏116の配置関係を調べると明確になる。
更に、この一族361氏には、次の家紋が目立つ。
直系直流の青木氏の家紋を見ると一つの流れが出て来る。
これ等の一族は副紋つき揚羽蝶、又は丸に揚羽蝶を家紋としている。
ここで注意すべき事は「揚羽蝶」は京平氏の綜紋であり、それが何故藤原氏の紋になるのかである。
そして、もう一つは家紋200選に出て来る紋に満遍なく361氏の家紋が存在すると言うことである。
このことは上記の戦略と同じ事がいえるのではないか。血縁による身内の固め策である。
最たるは青木氏の家紋の特徴である。平家の綜紋と同じ「揚羽蝶」であるので、950−1150年頃の時代の戦略の影響かと考える。後で述べる

青木氏のこの直系と直流から多くが分派して子孫の範囲を広げている。
支流系として時代は比較的に新しいが、更に4氏が存在する。
中には平氏の一族の者が嶋崎を名乗り、後に岡田を、最後には藤原青木氏を名乗った支流がある。揚羽蝶紋と関連があるのでは。
後に述べる。
全青木氏は合わせて9氏になる。
この9氏が更に時代と共に116の青木氏へと広がった。
武蔵国を中心に円を描くように配置されたこの青木氏は藤原氏のこの戦略の役割を同果たすか。
続く



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