青木氏氏 研究室
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  [No.76] Re: 日本人の発祥-1
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/18(Sun) 17:17:21

Re: 日本人の発祥-1
青木研究員 さん 2005/09/21 (水) 11:11
コルボックス系の人の類は上記した11のルートを経て日本列島(当時はまだ列島ではない)に色々な入り口から上陸したのである
この人の類の元を正せば厳密には5つの人の類となる。(後述)

2つは太平洋民族と一部白ロシア系民族の上陸であるが、これ等を合わせての13の人の類が各地にすみ分けて住み着いた。
夫々は時代のずれはあるが(本文ではテーマではないので概ねで記する)進化を遂げて大陸の変化とともに移動を繰り返しながら入ったものである。
当時は日本海が湖であり大変な温暖で過ごしやすい環境で移動してきた人の類は子孫を増やしヨーロッパのような滅亡の変化を起さなかったようである。

コルボックス系の人の類の移動経路は大別すると次の様になる。
中央アジアから中国や北朝鮮に移動した北京原人(A)や、南アジアに向かったジャワ原人(B)のように、北アジアに向かいシベリヤとアラスカに定住した人の類(C)と、更にはアメリカ大陸に移動し定住した人の類(D)、更に南に移動して南アメリカ大陸の北部に到達した人の類(E)の5経路になる。ここで面白い結論が出て来るのであるが後で記する。

コルボックス系外の異なる2つの人の類は、次の移動経路をとる。
一つはアフリカ大陸からヨーロッパ大陸に入り、そこから船などを使い沿岸と陸伝いに移動した人の類はヨーロッパ系の人の類との混血を造りながら、沿岸伝いの人の類と交えながら変化して行き、最後は太平洋に出て南陽群島やハワイ諸島を経てきた(アモイ族に象徴される)人の類か゛沖縄を経て南九州に上陸し定住したアジア大陸の外よりのコースを取った人の類。

二つにはヨーロッパ大陸を経てシベリヤ大陸を横断してきた2つのヨーロッパ系の人の種(前記した)がカラフトを経て内回りにコースを採り北海道に上陸して定住した小数の人の類

以上の色々な混血と進化を受けてきた合わせて7つの人の類がこの日本の列島に入ったとされている。
では、この7つの人の類は、どの様な「生き方」を採ったのか。
7つもの人の類がある以上は生きる為には戦いが起こるがどうであったのか現代の単一民族化した状況を見ると疑問は残る。

ヨーロッパ系の二つの人の類の様に戦いによりその勢力で住み分けると云う方式を採らなかったのである。
彼等は極寒の地(当時は気候変動が大きく起こりこの大陸は極寒が起こっていた)に生きる為には肉食を主として来ているし、その体格も前記した様に進化としてその様に出来ている。
肉食を主とする以上は住み分けは不可能である。動物を求めての移動を余儀なくされ、必然的に食を求めた戦いが起こる。草食は育たずの環境からは止む終えず、従って、全ての行動の原理思考は「戦いの原理」に従って「事の良し悪し」を決すると言う彼等の人の類の自然の掟を持っていた。
ヨーロッパ系の2つの人の種でも小さな進化した人の種の集合体であり、この「戦いの原理」によりて決していた。

それに比べて、もとより、ヨーロッパ系とは人の類の枝葉の異なるコルボックスである故に、草食を中心として進化の過程を遂げてきた人の類である事から、「戦いの原理」の前に「住み分け」の原理を先ずはを採ったのである。

その行動の原理を証明する証拠が古跡上に発見されている。
ジャワ原人や北京原人の死の埋葬に対する心理的行動はヨーロッパ系の「戦いの原理」を前提とする場合の死に対する定義は異なるは必定で、「死」は「戦いの前提」であり、戦いは死の大小によって決まること故に、「死」に対する観念は必然的に異なり、その行為として、この二つの原人(ジャワ、北京)の行動は異なったのである。

それが、「死者に対する埋葬の姿勢」として現れているのである。その一つが、「死者に花を手向ける行為と墓跡」が原人の中に見つけられているのである。ヨーロッパ系のその行為はかなり後の時期に見られるのである。

この様な背景から、日本列島に定住した7つの人の類は、当然に初期は争いを避ける為に「住み分け」をしたのである。その事実は次から次えと出て来る。(後述)
他のアジア系の全ての人の類とは異なるところは「住み分け」から「融合」へと発展させた事にある。
これが優秀な人種を作り上げた原因である。

(混血を繰り返す事で遺伝子的に単一血の交配より多種血の交配の方が優秀な人の類が生まれることは証明されている)

わが日本人の7つの人の類が「住み分け」から「融合」へと発展させて「単一の民族」の構成をどの様に図ったかを検証し、その「融合の過程」も表現したいと考えている。

次はこれ等のコルボックス系の7つの人の類の安住の原理の住み分け具合を記して、7世紀頃までの「住み分けの原理」から、次は
「融合の原理」へと移り変わる過程を論じることにしたい。
そうすることで、青木氏に付いて論じてきた内容へと結び付けることとしたいと考えている。
続く。



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