青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.200
Re: 群馬の青木です。
200編集 追加
>あの〜近所に諏訪神社っていう神社があるのですが?この神社は自分の先祖がにげのびたときにつくった?ものでしょうか?
今日は、群馬の青木さん。
早速ですが、お尋ねの件についてお答えします。

皇族賜姓青木氏の24氏の支流血筋を持つ高位の氏は自らの氏神と菩提寺を持っていました。
そして、この氏神と菩提寺には一族の者が宮司と住職を務めました。
ですから皇位系の氏神や菩提寺には青木氏を姓に持つ宮司や住職が多いのです。
例えば、古いところでは蘇我氏、物部氏、紀氏、葛城氏、巨勢氏、平群氏、等の奈良朝の豪族、平安期では賜姓青木氏、藤原氏、永嶋氏、平氏、源氏等は自らの氏神をもつていました。

氏神や菩提寺を持つ事が出来る氏は多くは有りません。
それだけの財力と勢力が備わっていなければなりません。

皇族賜姓青木氏の5家5流の血筋を引く一族は全て専属の氏神と菩提寺を持っていました。
そして、この寺では浄土宗となっています。

一族の先祖の魂を祀る寺と一族の神を祭る神社は当然に室町以降の戦国時代には当然、先祖を敬う心は全てでしたから、戦いに敗れた時にはこの神社や寺も移動させています。

そうして、この皇族賜姓青木氏系の神社や寺には、次のことが起こります。
代々各天皇の第7位以降の皇子らが皇位から外れることに成りますので、比叡山や門跡寺院やこの青木氏の神社かの寺に入り、上位の座主を務めました。

門跡寺院とは元天皇や皇太子や5位の皇子が役職を退くときに入る寺院です。

この人たちが還俗や俗界に入る時(一般の人になる事)は嵯峨期の令に基づき青木氏を名乗ったのですが、ですから宮司や寺の住職には皇族系青木氏が多いのです。

例えば、面白い話があります。
徳川氏は征夷大将軍になり幕府を開きましたが、この根拠は駿府の時に家康の2大前の時に一人の行脚僧が門前に立ち、以後この僧は松平氏の家にに住み着き婿入りをしたとされていて、この僧が還俗僧であるとして14代か15代目の源氏の一族である言い募り、よつて征夷大将軍になれたと言うかなり怪しい系譜を作り上げました。

源氏は16代の天皇から生まれましたが実質は11代目の花山天皇までの源氏が正規ですが、12代から16代目天皇の源氏は既に室町期の戦国期に入り天皇家も北朝南朝の2つに分かれていました。
だから、源氏としての意味は殆どありませんでした。この時代の系譜をいじったのですから朝廷から殆ど疑われました。そして武士の頭領の源氏の頭領になれませんでした。

兎も角も、信長に負けた時、武田は滅びましたが、甲斐の諏訪族の青木氏は信長に追われる事はなく、この一族を滅ぼす圧力は掛けませんでしたので逃げ延びる時には氏の守り神のこの諏訪神社も移すことができたのです。
美濃の青木氏信濃の青木氏なども氏神を逃亡先に移しました。

特に、武田氏はこの諏訪一族を武力では勢力下に入れることは出来ませんでした。
その理由は並外れて強く、且つ馬を使う戦闘方式には武田氏は勝ち目がないとして結果として政略的な結婚にて傘下に入れました。

諏訪一族は日本書紀にも出て来る一族で、天皇に拝謁した時のことが日本書紀にははっきり書かれています。
その時の様子が書かれていて、天皇にはっきりと物を言う一族で甲斐の地域で外来種の馬を育て生活の糧として開墾していましたのでその実績から、天皇から「不入と不倫の権」を得ました。

この時、甲斐の国に赴いていた皇族賜姓青木氏も同行してこのことを言い添えるくらいでした。この頃からの平安初期からの付き合いのある皇族賜姓青木氏と諏訪族です。この経緯からの血縁です。

つまり、天皇自らこの一族に武力で犯すなどをしては成らないという宣言をしたのです。このことが日本書紀に書かれています。

ですから、武田氏も信長もこの、「不入と不倫の権」があるためにこの規則を守りましたが、諏訪族の青木氏は藤原秀郷流青木氏のど真ん中に神社を持つて逃げ込む事が出来たのです。又この神社も藤原秀郷の領国に作ることが出来たのです。
他に筆者の伊勢の皇族賜姓青木氏も一時秀吉に攻められ城は潰されましたが、その時の将が蒲生氏郷であつたので特別に保護されて、その後も紀州徳川氏にも「不入と不倫の権」で江戸時代まで守られました。
このように甲斐の諏訪一族とその青木氏も難を何とか逃れました。

兎も角も、武田軍の赤の兜の騎馬軍は諏訪太鼓を叩きいつも先陣を司り最強軍団と恐れられたのです。大きい外来種を飼育していたので強かったのです。
信長に滅ぼされた時、徳川氏がこの赤の兜の諏訪族の一団をそっくりと家臣にしました。だからその時から徳川氏が強かったのです。

云うまでもなく、諏訪族は元は中国の後漢の国の21代目の献帝の子の阿智使王と孫の阿多倍が引き連れて帰化してきた渡来人の騎馬軍団が先祖ですから強かったのです。

漢の国が崩壊しましたが、この中の武将の一人の光武帝が再び盛り返し、後漢という国を造り、朝鮮半島までも勢力下に収めるほどに強かったのです。
お家の先祖達は、日本で最初に東北から北海道を制圧した征夷代将軍の坂上田村麻呂も阿多倍王の長男でしたが、この縁の人たちでした。

お家のご先祖にはまだまだ沢山の武勇伝があります。

この様に、「不入と不倫の権」を得るほどに下野国でも藤原氏の中でも神社を建てられるほどにかなりの力を持っていたことが頷けます。

お家のご先祖はこの様な歴史を持つ一族です。
来年のNHKの大河ドラマではお家の事がドラマになりますので、是非、見てください。
では、事前に情報を得て面白く見るためにも又ご質問ください。

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-群馬の青木です。Re: 群馬の青木です。
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