青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.246
Re: 群馬の青木です。
246編集 追加
この資料は清和源氏の分家の頼信系の義光から青木氏に繋がった一条氏から見た系譜です。より詳しく藤原氏北家の一条氏の系譜を並べた物です。

結論は同じです。
前回のレポートに記述しましたように、
源の源光は甲斐の皇族賜姓青木氏の跡目を引き継ぎました。
多くの資料は天智天皇より5代続いて皇族賜姓青木氏を発祥させましたが、このことの知識を把握されている学者は少なく、司馬遼太郎氏や黒岩重吾氏や山本惣五郎氏や松本清張氏などが研究されて書物にもしています。

(司馬遼太郎氏は私の家にも来られたようで天智天皇から賜姓を受けた時に青木氏を証明する物として銅の仏像(大日如来坐像70*60センチ)を授かりましたがこのことを調べられて見学にきたことがあり世に出すように勧められたとの事であります。)

源氏の初代の賜姓嵯峨源氏発祥させた嵯峨天皇期に詔を発して皇族の者以外に青木氏を名乗る事を禁止しました。其れまでは5家5流の青木氏が続き、その後の桓武天皇は母方の渡来系の阿多倍一族に京平家を賜姓しました。しかし、息子の嵯峨天皇はこれを嫌い元の皇族の賜姓に戻しました。(809年)
この時に青木氏姓から源氏氏姓に変更して、その代わりに青木氏姓は皇族の者が名乗る氏姓としました。

一条氏がこの源氏の系譜の源光から一条氏の主系譜に書き込むことには多少の疑問が残りますが。外孫になる系列の子孫を系譜にしなければ成らない理由があるのだと考えます。

源光と兄弟の時光も皇族賜姓青木氏と武田氏との血縁にて武田系青木氏が生まれていましたがこの跡目に入った事に成ります。

ですから、源の源光は兎も角も源の時光は武田系系譜に入ります。
更に、時光から7代目の義虎が更にこの武田系青木氏の跡目を引いています。
(清和源氏の系譜から)

この甲斐には藤原秀郷流青木氏も存在し、国府には賜姓青木氏、南には藤原秀郷流青木氏、北の北陸国堺には武田系青木氏、諏訪湖沿いには武田系諏訪族青木氏が現在も存在します。

武田氏系青木氏と諏訪族青木氏を同じにして武田系青木氏としている資料もありますがこの資料は間違いです。その理由は奈良時代から存在する諏訪族の由来の知識を承知しない人が書いたものであるからです。

藤原秀郷流の”流”と武田氏系の”系”との使い分けをしていることにご注意してください。
”流”は一族一門で血筋を同じくする氏です。縦横に血筋があります。
”系”は必ずしも血筋があるとは限らす゛その武門に属するを意味します。
系は必ずしも家来でもなく何らかの間接的縁者関係にあるを意味します。
横の血筋です。

諏訪族は武田系諏訪族青木氏ですから、間接的血縁にありながらも直接的家臣ではなくその同盟範囲の一族となるわけです。
諏訪族は諏訪族の姫が結果的に政略的に信玄に嫁ぎ勝頼を産みますが、諏訪族からは女系の外孫に成ります。諏訪族宗家だけが女系で武田氏と繋がっていることになり他の諏訪族の一族は全く無縁関係にあるわけです。
この秩序は室町時代の戦国期まで続きました。その後の血縁は入り乱れる事になるわけです。
武田勝頼の武田氏は信玄死後内紛が起こり、諏訪系と武田系とが争います。
結局、分裂し信長との戦いに負けます。
此れでもお判りと思いますが、諏訪族の武田の中での位置付けは他族でした。


司馬遼太郎氏の武田信玄の小説をお読みになるとその軋轢がよく理解されると思います。

この資料は諏訪族には直接に関係がありません。前レポートに書きましたように源光の青木氏(1195年頃)の跡目の時期と武田系青木氏への義虎の跡目時期と、諏訪族の青木氏の発祥期(790年頃)とは大きく違っています。

1195年は鎌倉幕府樹立し頼朝とその一族が抹殺暗殺されたときです。
この1195年の時期に青木氏の跡目を継ぎ甲斐の賜姓青木氏を立て直したと言う意味に注目が必要です。

(参考 何故にこの時期に源氏一族が各地の青木氏の建て直しに入ったのか大きく意味を持ちます。私の家も1180年頃に源の頼光(清和源氏の宗家嫡男)の4代目の頼政の孫の京綱が伊勢青木氏の跡目に入っています。
京平家が滅亡して後、源氏一族が合い争う時代で同族の5家5流賜姓青木氏の跡目に源氏の血筋を絶やさないようにする事を狙ってのことと同族が結束を固めた事を意味していると思います。美濃、信濃足利氏も跡目相続)

つまり、皇族賜姓の血筋を立てに持つ諏訪族青木氏も武田氏系の中に入って血筋の保全を固めた事を意味します。賜姓青木氏24氏のひとつとして。
だから、そして、武田氏が滅んだ時も諏訪族の中の諏訪族青木氏は決戦をせずに東に避難したのです。そして、現代にも諏訪族青木氏は東の地域に子孫を大きくして繁栄をしています。

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