青木氏のルーツ & 雑学研究室

<-ホーム | 研究室トップ | 管理 | 新規投稿

| ニックネーム登録 ツリー | スレッド | レス順 | 投稿順

スパム投稿がひどいため掲示板のアドレスを変えています。⇒こちらへどうぞ


No.276
Re: 群馬の青木です。
276編集 追加
>お久しぶりです。
>少し前にわかったことなのですが
>私の家の3代目のおじが近衛兵だったことがわかりました。。。父に聞いた話によると近衛師団は天皇直属の軍隊だから家柄が関係したといいます。これは御家が良い家柄だったのだといえるのでしょうか???
>また間違えていました近衛兵のこと教えていただけませんでしょうか?
>お願いします。
群馬の青木さん お久しぶりです。

早速ですが、ご質問の件ですが父上の言われるとおりです。

その歴史的背景を記述します。

そもそも奈良時代には天皇自らを守る兵はありませんでした。
天皇というのは周りのものが守ると言う慣習でまったくの無力でした。

これで有名な聖徳太子と蘇我馬子との軋轢の問題があります。
聖徳太子はその天皇と言う身分に無力さを痛感していました。何とか自分の政治理念を反映させようとしますが、蘇我の馬子に阻止されます。

太子は妥協案を実行して馬子の娘を娶ります。このことで姻戚になれましたので殺される可能性は少なくなり、理念の実行に踏み出します。

しかし、太子の父はこの理念を出そうとして馬子の意を汲んだものに殺されます。次ぎに太子の従兄弟が天皇に成りますが此れも理念を実行しようとして蘇我氏の護衛団(後述)の渡来人の漢氏(あや)に殺されます。

このことを見ていた太子は天皇に成ることを避けます。

蘇我氏はこの太子の頭の良い行動と交渉力に悩みます。
というのは蘇我氏には天皇に代わって蘇我氏がこの大和の国の長になる事を考えていたからです。

最初は聖徳太子はその実力の片鱗を見せていなかつたので、馬子は安心をしていましたが、次第に力を付け出してきて無視する状況ではなくなりました。
丁度、その時仏教の伝来を進めるかどうかで物部氏と争いました。

その争いは物部氏が優勢を保ち蘇我氏は劣勢で周囲も離れていきました。
窮地に追い込まれた蘇我氏を見て、太子は自ら意を通じていた朝鮮の友人(籐勝)に頼み物部氏の陣形の弱いところを調べさせました。

そこで、太子は神のお告げが降りたとして馬子に攻める相手の弱いところを示唆しました。馬子はこのお告げ通りにしたことで勝利して命を太子に救われました。それ以後、太子は馬この弱みをついて政治の実権を握る勢力を持つ様になりました。

しかし、三権のうちのまだ政治だけの力しかありません。当時はこの軍事、政治、経済を「三蔵」と呼んでいました。
軍事は渡来系の漢氏が担い蘇我氏の配下に成っていました。

三蔵とは「斎蔵」「大蔵」「内蔵」で藤原氏は代々この「斎蔵」の家柄で祭祀の家柄です。つまり、摂関家と呼ばれて天皇に代わって政事を行ったのです。

「大蔵」「内蔵」は中国後漢の光武帝の末帝の献帝の子の阿智使王と孫の阿多倍王(17の県民を引き連れて日本に帰化してきた渡来系人民200万の人々の長)の子供が担っていました。

この阿多倍の人民集団はあっと云う間に66国のうち32国を無戦のうちに制圧してしまいます。この末裔が阿多倍の5代後に平の清盛に成ります。
この阿多倍が引き連れてきた集団の内の「武装集団」が漢氏です。
漢氏は後に東漢氏(やまとあや)に変名し次ぎに文直氏に変名します。

姓の後ろに部の付く姓はこの集団の技能集団の渡来系の人です。
日本の多くの第一次産業はこの人たちがもたらしたものです。

桓武天皇の母方はこの阿多倍の孫娘です。
桓武天皇はこの一族に賜姓して平氏(たいらぞく)と賜姓したのです。
坂東八平氏の平族(ひらぞく)とは別族です。

息子の嵯峨天皇はこれを嫌って青木氏を源氏と変名して賜姓を皇族に戻しました。

この阿多倍はこの集団を使って大和の国の経済と律令体制の完成に大きく貢献し、その貢献度から敏達天皇の曾孫娘を娶り、長男は朝廷の軍隊を、次男は「大蔵」で朝廷の財政、三男は「内蔵」で天皇家の財政の役職を担いました。

それぞれ坂上氏、大蔵氏、内蔵氏を天皇から賜姓を受けました。

長男の坂上氏は日本全土を制圧した有名な坂上田村麻呂です。大蔵氏は後に永嶋氏に(大豪傑の大蔵種材が有名で九州全土を任され「遠の朝廷」と呼ばれた)、内蔵氏は後に阿倍(あべ)氏にります。(北陸全土を制圧)

天皇の自らの軍隊は当然に青木氏です。伊勢青木氏を中心に絶大な権力を誇ります。
この青木氏と坂上氏とは後に桓武天皇期に争います。

話を戻して、何時軍事と経済で潰されるか判りません。兎も角もその課題を息子に託しますが、太子が没した後、結局は、直ぐに一族郎党全て殺されてしまいました。飛鳥寺の事件です。

蘇我氏が実権を殆ど取り戻しもう後一歩というところに来ていました。
孫の蘇我入鹿の時代です。

この時、天皇家では中大兄皇子が次ぎの皇太子に成ろうとしていました。
この飾りだけの中大兄皇子も危なくなり悩んでいました。

天皇家を守る為にも何とかしなくては成らないと日夜考えていました。
ある時に、蘇我氏の横暴に危機感をもっていた朝廷の神官職の中臣鎌足が同じ理念を持ていることを知り、「三蔵」を取り戻す計画を練りました。
そして、馬子の孫の入鹿に対し天皇家を潰す直前に実行したのです。

此れが有名な「大化改新」です。
この時、過去の反省から三権の改革を実行したのです。

先ず、手がけたのが天皇自らを守る親衛隊が無い事でした。
そこで、考えたのが、自分の14人の皇子の内の第6位皇子を臣下させて侍として氏(賜姓)を与えて天皇を守る軍隊を作らしたのです。
自分の子供が守ってくれるのですから安心です。

此れが、皇族賜姓青木氏なのです。そして、その軍隊の任務には第6位皇子の施基皇子がこれに当りました。そしてこの皇子の子供は青木氏と名乗りました。伊勢王です。

この伊勢王には変事が起こります。
大化の改新後の2年後に伊勢王であつた孝徳天皇の子供が突然にある日兄と弟二人が死亡します。(暗殺) 
この時期、孝徳天皇と中大兄皇子との間は完全に冷え切っていました。
遷都して天皇を放置するなどの事が起こります。
この原因の一つがこの伊勢神宮の守護神のことです。

その後、中大兄皇子の3人の皇子の内の最も信頼を寄せる施基皇子が伊勢王に任じられます。
伊勢は天領地でもあり主要穀倉地帯でもあった
その後もこの施基皇子は朝廷内に詰めて働きます。

参考として。
大変有能な人物で天皇に代わって日本全国くまなく周り問題の解決に奔走しています。これ等のことは日本書紀に書かれていて18回も出てきます。
皇太子よりも信頼されていて天智、天武の葬儀の責任者までも皇太子に代わって行っています。又、その天皇の妃殿下からも信頼されて相談をしています。
大変な能力の持ち主であった事が書かれています。
日本書紀から施基皇子は天皇の相談役で当時は「軍略師」と呼んでいました。
この軍略師の任務は1180年頃まで続きました。

話を戻して。
当時は兄弟の定義は純血主義を守る為に天皇家は近親結婚を行いました。
よって、中大兄皇子の弟の大海人皇子との子供も現代の系列では判断できない親族関係で兄弟は男女合わせて34人で内男子は14人でした。

この施基皇子は第6位の皇子でした。(この皇子の母は采女で朝廷の女官であったので身分が最も低い)

第4位までは皇位継承権を保有し、第6位は臣下し、第7位以降は僧侶になり下俗する。第5位はこの中間の身分としていました。残りの皇女の多くは天皇家に纏わる伊勢神宮に始まる神社仏閣と門跡寺院の「斎王」となり交代で行い独身を続けるが宿命として天皇家の先祖の神々を祭りました。此れが務めでした。

34人もの皇子をそれぞれに国を与え一人立ちさせるには大変な財政的負担がかかり天皇家の財政を圧迫していました。

この親衛隊と財政負担の両方の軽減を狙ったことが大きな改革の一つでした。

この改革の第一弾が初代の皇族賜姓の伊勢の青木氏の誕生です。青木氏の元祖に成ります。この時、天智天皇はこの施基皇子の青木氏にその証明として仏像を与えたと記されています。(後日レポートします)

その時、中大兄皇子は第7位川島皇子にも特別に賜姓氏佐々木氏として臣下させ近江を守らせました。近江王です。後に宇多天皇のときにも第6位皇子に滋賀の佐々木氏を賜姓します。
近江の佐々木氏と滋賀の佐々木氏があります。2家2流です。
剣豪の佐々木小次郎はこの近江の末裔です。

此れが蘇我氏の反省からの皇族賜姓族の始まりです。その後4代続きます。

その後2代置いて嵯峨天皇からは第6位皇子を皇族賜姓源氏としました。

そして、青木氏は皇族の者が還俗する時に名乗る氏として定め使用を禁止しました。正式には明治まで守られました。

このような背景で中大兄皇子の天智天皇が親衛隊を造ったのが始まりです。
そして、伊勢国に天皇家の守護神を定めます。

正式には天武天皇が詔を発して制定し天領地とします。伊勢神宮です。親衛隊としてここを守る任務が伊勢の皇族賜姓青木氏です。

この親衛隊の方式を朝廷の許可を得て特別に踏襲したのが第3子(千国を元祖)の藤原秀郷流青木氏です。お家の青木氏です。

秀郷は貴族になりましたので自ら武力を使えませんので子供にその任を与えたのです。更に、同じ藤原氏の血筋の持つ氏であるので第2親衛隊として。

藤原氏も青木氏と共に同族である事から、主要な土地に移動する親衛隊の役目を担った事に成ります。

鎌倉期まで。それがために藤原秀郷の一門は全国24地方の守護を務めたのです。この時に同行したのがお家などの藤原氏の青木一門です。
(別に朝廷には上記した坂上氏の軍隊はあつた。)

5家5流以外の土地の天皇家にとって大事な国の守護を藤原秀郷流青木氏に親衛隊として守らせたのです。66国中の31国を親衛隊が守ったのです。

3国は蝦夷地で鎮守府将軍(藤原秀郷一門の任務)として、後には征夷大将軍として制圧中でした。

藤原秀郷は大化の改新の中臣の鎌足即ち藤原鎌足の第8代目に当ります。

何れも、この二つの青木氏には伊勢青木氏を除く母方が藤原氏で有ると言うことです。従兄弟関係にある事に成ります。

皇族賜姓青木氏は伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐の5つ国を固定の親衛隊として守りました。天智天皇、天武天皇、聖武天皇、文武天皇、光仁天皇の5代です。

光仁天皇は施基皇子の第1位皇子です。特別に皇位継承権をもつた者です。伊勢青木氏とは正従兄弟の親族関係に成ります。

この親衛隊の仕来りは昭和20年まで続きました。

この親衛隊即ち近衛隊兵はこの経緯から出来ましたので、これ等の家柄の良い信用の出来る氏から選ばれたのです。

しかし、明治からは元大名の子弟や爵位の有る子弟などから構成されましたが、その中でも藤原氏系青木氏は元祖でそのトップでした。

本家筋の藤原氏四家は貴族公家でしたので賜姓の青木氏と共に外となりました。

特に皇族賜姓青木氏の5家5流の本家筋は氏を守る為に奈良期から有る「不入不倫の権」に守られて構成員にはなりませんでした。


これ等の詳細は藤原関連のレポートと賜姓青木氏関連のレポートに記述していますので参照して下さい。

← 前のツリー | ツリー一覧に戻る次のツリー →


-群馬の青木です。Re: 群馬の青木です。
  └Re: 群馬の青木です。
   └Re: 群馬の青木です。
    └Re: 群馬の青木です。
     └Re: 群馬の青木です。
      └Re: 群馬の青木です。
       └Re: 群馬の青木です。
        └Re: 群馬の青木です。
         └Re: 群馬の青木です。
          └Re: 群馬の青木です。
           └Re: 群馬の青木です。
            └Re: 群馬の青木です。
             └Re: 群馬の青木です。
              └Re: 群馬の青木です。
               └Re: 群馬の青木です。
                └Re: 群馬の青木です。
                 └Re: 群馬の青木です。
                  └Re: 群馬の青木です。
                   ├Re: 群馬の青木です。
                   └Re: 群馬の青木です。
                    └Re: 群馬の青木です。
                     └Re: 群馬の青木です。
                      ├Re: 群馬の青木です。
                      └Re: 群馬の青木です。
                       └Re: 群馬の青木です。
                        └Re: 群馬の青木です。
                         └Re: 群馬の青木です。
                          └Re: 群馬の青木です。
                           └Re: 群馬の青木です。
                            └Re: 群馬の青木です。
                             └Re: 群馬の青木です。
                              └Re: 群馬の青木です。
                               └Re: 群馬の青木です。
                                └Re: 群馬の青木です。
                                 └Re: 群馬の青木です。
                                  └Re: 群馬の青木です。
                                   └Re: 群馬の青木です。
                                    └Re: 群馬の青木です。
                                     └Re: 群馬の青木です。

<-ホーム | 研究室トップ | 新規投稿 | 管理 | かんりにんにメール
青木氏氏を お知り合いの青木さんに 紹介してください。