青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.292
Re: 栃木の青木
292編集 追加
>お久しぶりです栃木の青木です。
>今日はお彼岸だったので墓参りに行ってきました。
>そこで気になることが2つありました。
>1つは家紋についてでお墓にはいっぱい青木家の墓があるのですが鹿角の数が四本なのです。家紋の本とかに載っている角は叉が四つ叉で尖った部分が五本のものばかり載っています。じぶんで投稿した家紋の画像も四つ叉で角が五本のものでした。
>四本と五本のものの違いはあるのでしょうか?
>もう1つそのお寺の賽銭箱が添付した家紋付の賽銭箱でした。
栃木の青木さん 今日は。大変お久しぶりです。
2つ疑問を持たれたとのことですが、良いところに気がつかれました。

先ず1つ目のご質問ですが、次の様な事になります。

鹿角紋には二つに分類できます。
1つは「抱き角紋類」です。
この紋は勿論お家の諏訪族の紋様です。
この紋様は12あります。

2つは「鹿角紋」です。
これは近藤氏の氏の紋様です。
藤原氏の家紋ですが近江に定住した藤原氏です。
抱き角紋より新しい家紋の氏で松平清康の共で狩りに出て、「上がり藤紋」の近藤乗直が鹿の角を引き裂いたとのことでその武勇を褒めて「鹿の角」を家紋とすることを命じられたもので以後その一族が使用したものです。

「抱き角紋類」には角の数を5つと4つと3つの3種のものがあります。

通常、5つの角紋を持つ抱き角紋としては主要紋で宗本家筋の家紋です。
(家紋集では4つは5つと同紋として扱われる場合がある)

5つの角数の抱き角紋には「抱き角紋」(総宗本家)「丸付き抱き角紋」「陰抱き角紋」「石持ち地抜き抱き角紋」「抱き角に一つ巴紋」「抱き角に日足紋」「隅切り角抱き角紋」の7つです。
5つの角数の場合が主要紋であるので「4つ又」とは云いません
直流分派の家紋類です。

4つの角数の抱き角紋には「4つ又抱き角紋」(抱き角紋と分類しない場合がある)「細抱き角紋」「違い抱き角紋」の3つです。「4つ又」と呼ぶ時は角数が4つです。
支流分派の家紋類です。

3つの角数の抱き角紋には「細輪に三つ又抱き角紋」「変わり抱き角紋」
の2つです。
支流分派の家紋類です。

後は、藤原一門の近藤家です。(藤原氏には四家4流あり、南、北、式、京の4つです)

参考 北家の藤原秀郷の一門としては文行流の進藤氏と長谷川氏です。

諏訪族青木氏はこの総宗本家の5つ角の抱き角紋の血筋の家柄一門の中にて皇族賜姓青木氏の血筋を持つ特別の立場にあった氏です。

これ等、5つの角数の抱き角紋を中心にして12の抱き角紋から諏訪族は構成されており、これが有名な赤兜の軍団を構成していました。

武田氏が滅びこの赤兜の軍団は徳川氏や多くの大大名に仕官しました。

お家の諏訪族の青木氏一族はこの時、横浜神奈川から栃木まで逃げ延びて旧来の藤原秀郷一族をたよって2つの地域に定住したのです。

お話だとご先祖のあるそのお墓にあつた家紋類は長い間の歴史の中で上記の一族の支流分派の諏訪族と血縁を結んだお家の縁者であります。
ですから、お家は総宗本家筋の青木氏ですから全体としては少ない可能性もあります。

そこで、先ず4つ又抱き角紋の4つの角数のそのお墓の青木氏の集まりの中でのお家のお墓の位置がどのような位置に存在したかをお調べになる事も意味があると思います。

墓の構えが男墓(本墓)と女墓(女の戒名ばかりを書いた墓石がある)に分かれていなかつたかも思い出して見ることも必要です。
(賜姓族の青木氏の宗家の墓は家柄から古来よりこの形を採っている)

多分、この4つ又抱き角紋の青木氏以外にも支流分派の青木氏も存在する筈です。氏家制度の中で家柄の吊りあいを重んじた時代ですので少ないかも知れませんが。

12紋様の中でも宗家に相当するお家であるのでどのような家紋集にもありますが、この支流分派の家紋類は普通の家紋集では掲載されていない可能性もあります。(四つ又抱き角紋だけは同門扱いもあり)

次に、この賽銭箱の家紋が「4つ又抱き角紋」であるとしてこの寺は諏訪族青木氏の菩提寺であり、この寺の住職は分家筋の4つ又抱き角紋の青木氏であるかあったかを意味します。

甲斐の諏訪地方から移動してきた「抱き角紋」(5つの角数)を宗家とする諏訪族青木氏は諏訪神社と共に菩提寺を建立したものです。

菩提寺があることの意味は、また諏訪族が、(ほかの抱き角紋の紋様類を家紋としている青木氏以外の他の氏姓を持つ末裔も多く存在する中で)諏訪族青木氏の一族が挙って集団で移動してきたことをも意味します。

他の氏姓の諏訪族(縁者関係のある)も数は少ないが同行している可能性もあります。

合わせて菩提寺があるくらいですから栃木にも多くの青木集団が移動した事をも意味します。横浜神奈川と同じ程度に。

5つの角数を家紋とする一つの単位の本家筋を中心に分家筋が行動を共にしていた事にも成ります。
四つ又抱き角紋の栃木の青木さんたちはお家とはかなり近い親族関係であったことを意味します。

そうすると、どちらに宗家の「抱き角紋」の青木氏が多かったのか、
どのようにして分けたのか、
青木氏以外の上記の家紋類の諏訪族も同じにして移動していたのか、
との疑問も出てきます。

(私は神奈川横浜地域の青木氏が資料より主であったことと考えていますがこれほどのものとは思いませんでした。)

「抱き角紋」(5)と「4つ又抱き角紋」(4)の青木氏以外にも他の10の「抱き角紋類」との血縁をした少ないかも知れませんが青木氏も在る筈です。

私の研究では4つの青木氏が検証済みで確認されています。ただし「4つ又抱き角紋」は分類せずに「抱き角紋」として扱つかっていますが、家紋掲示板を参照して下さい。

兎も角も又一つルーツの詳細が確認出来て広がりましたね。

賽銭箱のような一寸した事がその事からわかってくる事があるので面白いですね。
来月、観光で上諏訪に行く予定です。

諏訪族青木氏のことが色々とわかってくるので研究の検証の参考になり面白いですね。かなり検証があって合っている様です。

又、ちょっとしたことでも判りましたら又お便りください。
楽しみにお待ちしています。

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