青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.305
Re: 武田菱紋
305編集 追加
>ご丁寧な分析に感謝します。なるほど、可能性がいくつかあるわけですね。昔、武士であったと聞いています。遡れるところまででは、女性であったと聞いていますので、分家説が有望のようです。周囲に「青木」は多いのです(同級生60名弱で、8人程が青木姓でした)が、親戚筋にあたるものがいません。明治初期からそれ以前という時代はまさに的中なのかもしれないと、背筋がぞくっとしてきました。これからも探ってみます。家紋の絵が手にはいってからまた詳細等、報告いたします。ありがとうございます。
山形の青木さん 今日は。

武士であったことが確認出来れば第2の青木氏の可能性が高くなりました。

次に”周囲に青木氏が多くいるが親戚ではない”ということでも第2の可能性と成ります。つまり、この周囲の青木氏は藤原秀郷流青木ですので親戚ではないはずですから。
家紋どおりにこの地の人ではなく甲斐の国の人であつた事がいえます。

つまり、丸付き紋の武田菱紋になるにはこの甲斐の国付近に住んでいる必要があるからです。
当時は、「国抜け」といいほかの国に移動することは禁止されていました。

そこで、お家のご親類が調べられる範囲で多いでしょうか。
ご親類の郷は遠方にありませんか。
例えば甲斐を中心にして信濃(岐阜)越後(新潟)越中(富山)に本家筋か親戚がいる事も調べられると良いと思います。

実は、織田信長に追われて武田勝頼を始めとして武田菱紋の一族はこの方向に逃げ延びて後に子孫を広げている史実があからです。

他の武田一門の例えば同じ諏訪族青木氏は神奈川から栃木まで逃げ延びているのです。
武田系の青木氏はこの二つに向けて逃げ延びた史実があります。

この時に年月をかけて越後から山形に移動してきたと言う説が成り立ちます。

その理由はこの地域に同じ姓の藤原秀郷流青木氏がいて逃げ込めば判らなくなるという前提が成り立つのです。

何故かといいますと同じ武田系諏訪族青木氏は神奈川横浜から武蔵と下野などにある藤原秀郷流青木氏のところにも逃げ込んでいるのです。

此れには青木氏のあるところに単純に逃げ込んだか、この藤原秀郷流青木氏と何らかの血縁関係を頼って逃げ込んだという事が云えるのです。

というのは、武田氏は元は陸奥の国の住人豪族でした。

ここに藤原秀郷の末裔が陸奥の鎮守府将軍として赴任して来た時に血縁を結んでいて、後にこの藤原氏の護衛役として甲斐に移動してきたのです。
そこで皇族賜姓青木氏や皇族賜姓源氏と血縁して更に土地の元からいた豪族の諏訪族と諏訪族青木氏と血縁して勢力を得て土地の豪族となった経緯がありました。
そして、この陸奥にいた藤原秀郷一門を護衛するために同門の藤原秀郷流青木氏が護衛してこの土地付近に定住したのが山形付近の青木氏なのです。

私はこの説をとっています。この可能性が高いと見ています。

ですからお家の武田菱紋の青木氏がこの付近か上記の土地に後に定住していることはありえます。

故に、多分お家の「丸付き紋の武田菱紋」ちするとその子孫は信長から追われて逃亡により全滅に近い状態で分散しているので少ないと見ています。

本日のお便りのたつた一寸した二つの情報で此処までルーツを解明できるのです。

又、お便りお待ちしています。

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