青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.338
Re: 小田氏について。
338編集 追加
>初めて投稿させていただきます。
>
>私の曾祖母は旧姓が「小田」といって、九州対馬の峰村という所の生まれです。
>母の話によると、曾祖母はお歯黒をしていて眉をそり落としていたらしいです。私も小さい頃から母に「うちは代々お武家さんでね」と聞いていたのでそこまでは納得していました。
>でも先日母と曾祖母の話をしていたときに、どうも「?」な話を聞きました。
>曾祖母は峰村の実家では、家の人から"おたたさま"と呼ばれていたそうなのです。そして、その峰村では曾祖母が歩いているとその姿を見るなり村の人が地面に平伏していたらしいのです。
>普通お武家さんは「父上」「母上」と呼ぶと思っていたので何だか首を傾げてしまいます。そして大正末〜昭和初期にかけての時代になっても、村人に平伏されていたという曾祖母がとても気になります。
>
>・家紋は左三つ巴(おそらく小田家のものだと思いますが、もしかすると曾祖母の母方の紋かもしれません)
>・お墓は対馬の「いずはら」というところにある
>
>・曾祖母の父は郵便局を作り、郵便局長をしていた
>
>・曾祖母の叔母は自分の夫のことを「殿」と呼んでいた
>
>・当時、対馬ではお歯黒をしていた人は少なく、峰村とその周辺では曾祖母と親戚関係のある家の人しかしていなかった
>
>
>このぐらいのことしかわかりませんが、曾祖母の家はどんな家なのか知りたいです。
>どうぞよろしくお願いします。
稲垣さん 今日は 始めまして。
ようこそ青木氏のサイトにお越しくださいました。

このサイトは青木氏のことに付いて研究しているところですので、小田氏のことはなかな難しい事です。

しかし、折角ですので判る範囲でお答えをします。
先ず、お歯黒とそり眉 武家であつた事 おたたさま 平伏か土下座 家紋は小田氏で左三つ巴紋
の情報ですが、

これ等から判る事は大正の始め頃まで武家の仕来りで結婚すると古い仕来りの家ではお歯黒にし眉そりをしました。
”おたたさま”の呼び名は”おもうさま””おたあさま””おひいさま”と呼んでいました。

この場合は武家でも用人を何人か雇える少し高位の武家の家柄の家でした。
例えば、江戸末期以降に武家の出であり村の名主や庄屋や豪農や郷氏や大郷士や大豪商の先祖を持つ家柄であった氏などがあります。又は土地の大名などが当ります。
特に、青木氏や藤原氏などの先祖を持つ家では家の中の仕来り全体が古来からの仕来りを守っていましたので上記の様なことが周囲でもありました。

次に、「左三つ巴紋」ですが、この家紋の家は武家の出です。
この家紋の種類は91もありますがこの中で左三つ巴紋を家紋としているのには特長があります。

宇都宮氏、小山氏、佐野氏、結城氏、赤松氏などがこの家紋を使用しています。
特長いうのはこの家紋を持っている氏は藤原秀郷の一門の関東での武家の家柄です。

藤原秀郷と言うのは大化改新で有名な藤原鎌足の8代目のもので勲功を立てて武蔵の国や下野の国を領国として関東一帯に最大勢力を誇った藤原北家一族です。この一族の末裔は全国に朝廷の命で国司として24地方に赴任した一族です。

この一族の末裔は主要5氏(永嶋氏、長沼氏、青木氏、長谷川氏、進藤氏)を中心に24氏の氏が出来ました。この中には上記の5つの氏があります。

そこで、この藤原秀郷の一門が肥前国に国司として赴任しました。

この時、この赴任した藤原秀郷の末裔の一族が鎌倉幕府の樹立で失職し土地に定住して土地の名主や庄屋や郷士などになり、又、元の立場を生かして豪商となりました。

この時に、付き従った武家の家臣群やその一族縁者も肥前付近に配置されていましたからこれ等も鎌倉期以降も同じく村の力の持つた武家として存在しました。

多分、藤原秀郷一門の中に見られるこの支流の左三つ巴紋の小田氏もこの時に肥前付近の土地に残留したのではないかと推測します。此れが御家の元祖ではないかと思います。

このような高位の武家では父上や母上の言葉は使いません。上記の言葉の様に少し違っています。
天皇家のように。

参考としてこのサイトの青木氏は皇族賜姓青木氏ですし、藤原秀郷流青木氏はですのでこの様な仕来りの中にあります。

平伏土下座も明治大正期には土下座はすくなかつたと思いますが、立ち止まり横に道を譲り腰を低く下げて平伏の慣習が残っていました。

参考に、筆者の先祖は江戸初期から大正末期までの紀州徳川の殿様がわが家の先祖と会うときは徳川の殿様が座る上座を譲り下座し座布団も敷くことはなかつたとた伝えられています。
伊勢青木氏は皇族賜姓青木氏であるので徳川氏より身分家柄が格別に上位である事から起こる慣習でありました。
伊勢の豪商の紙屋長兵衛として2足の草鞋策で伊勢の青木氏としての武家と片方では商いを営む豪商でした。
この様に青木氏と同じ様に、元の勢力を生かして殆どの各地の藤原秀郷氏の一門の末裔も残留した土地ではこの様な立場を保っていました。

名主や庄屋や大豪農や大豪商などは殆ど元は高い身分の武士でした。

一度、御家のご先祖のその娘さんの呼び名は”おひいさま”と呼んでいませんでしたかお調べになるとよいと思います。食事などは上げ膳、据え膳では無かったかもお調べになるとよいと思います。
お盆の仕来りなども異なっていましたが付近と違って居ませんでしたか。

もしこのようなことがあれば間違いありません。

推測できる事は専門ではありませんので上記の通りですがご質問が有りましたらお尋ねください。

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