青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.355
Re: 木曽義利と青木家の関係について
355編集 追加
>すいません、さらに追記させていただきます。
>
>家紋の松紋に何か付随して四角いものがついていました。
どこかの青木さん 今日は。始めまして。

ご先祖がどのような人物であつたかというお問いあわせですが、結論から申し上げると大変矛盾の多いご先祖であると思います。

先ず家紋は升に松紋である事。
次に先祖は清和源氏の木曽氏であると聞かされていた事。
そして徳川に改易された下総の義利ではないかとある事。
江戸か明治初期には山を持つ財産家である事。
そして、どこかの青木氏である事。
ご先祖の周囲には青木村を形成していない事。
明治ごろには村の議員であつた事。
宗派は浄土宗である事。
国は美濃ではないか。
以上

さて、家紋から入りますが、家紋掲示板の2Pの中ほどに青木氏に拘る松紋をレポートしていますので参照して下さい。

この松紋は讃岐籐氏といい、大化改新の藤原鎌足の8代目の人物で藤原秀郷が居ましたが、この子孫が讃岐(香川県付近)の国に国司として朝廷の命で赴任した時に、土地に定着して子孫を遺した藤原秀郷一門の家紋類です。

この藤原秀郷は平の将門の乱を平定して勲功をあげ武蔵国(埼玉県)と下野国を領国として与えられ貴族の身分にもなりました。

この藤原秀郷は第3子の千国を侍にし青木氏の氏を与えて護衛隊の任を担わせました。
これが藤原秀郷流青木氏で主要9氏からなり116氏に末裔を広げています。

この藤原秀郷の主要5氏は永嶋氏と青木氏と長沼氏 進藤氏と長谷川氏です。綜紋は下がり藤紋です

この青木氏以外に皇族賜姓青木氏で5家5流24氏があります。綜紋は笹竜胆紋です。
天智天皇から5人の天皇が第6位皇子を臣下させて賜姓を授けて天皇の親衛隊として5つの国の王とし青木氏を発祥させました。伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐国の5国です。
この5家5流青木氏です。24氏に支流が出ています。

この二つがルーツが確認出来る青木氏ですが、江戸初期前後の乱世期で高位の氏名を搾取し系譜偏纂して庶民が侍となり出世する際に必要とする家柄をこの高位の青木氏の氏を使いました。
この第3の青木氏の代表的な人物として青木一重など4、5名程度の1万石程度以下の大名となつた人物があります。

そして明治初期の混乱期の苗字令で発祥した第3の青木氏があります。
この青木氏は金品を持つ一般の財産家の者が戸籍簿を担っていた寺社に高い金品を支払いこの氏名を貰い系譜と家紋を搾取し偏纂した青木氏があります。
この青木氏は余りに多くてルーツは途中からで親族との違いなどの矛盾が発生しますので特定は出来ません。
ともかくもこの二つの第3の青木氏には皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏と異なり特定する条件が存在しません。

松紋は藤原秀郷の末裔ですが、ところが御家の家紋は全国8000氏の家紋の中にはありません。
又主要家紋の家紋200選の中にもありません。
この松紋は殆どこの讃岐籐氏の血筋を受けた一族ですが江戸時代の御家人です。114紋様にも成りましたがこの中にも有りません。
この事は先祖を多くに広げていない端族であり途中からの家紋となります。
ここにもお話のご先祖とは違って矛盾しています。

先祖は清和源氏の木曽氏とありますが、家紋は笹竜胆紋ですので矛盾があり、松紋は藤原秀郷一門ですから源氏ではありません。当然矛盾です。

木曽氏一門と末裔は滅亡しています。勿論、義利は乱暴を理由でお説の通り徳川氏に改易追放され滅亡しています。下総(上総の説あり)で改易し武蔵国で死んだとされています。
末孫まで尽く潰すのが掟ですからこの一門から子孫が残る事は先ずありません。
その人物と子孫が大財産家になる事は考えられません。ここにも矛盾があります。
この様な絶えてた氏の氏名を名乗るのがこの第3の青木氏の特長です。
お寺ではこのことを戸籍簿(過去帳)から観て判りますから選んで問題が起こらないようにしたのです。
今の所は逃げ延びて滅亡した事の記録はありますが、子孫を遺したとする記録は有りませんから疑問です。
(このようなところの氏を使って寺社が系譜を偏纂搾取して第3の氏に与えるのが常道手段でした。正規の家系譜を使うと文句が出てきます。このような問題が3件戦いが起こっています。)

皇族賜姓源氏とは、皇族族賜姓族の青木氏のあと嵯峨天皇期に第6位皇子が賜姓臣下するときに青木氏より源氏に変名しました。その時に青木氏は皇族出身の下族した時に使用する氏名としまして禁令を発しました。実質には花山天皇まで11代続きました。
この皇族賜姓族は青木氏と合わせて実質16代に成ります。

皇族賜姓源氏の子孫である氏名は5氏以外にありません。青木氏、佐々木氏が本筋で、支流的には大島氏、新田氏、北畠氏ですが、武田氏と足利氏と土岐氏も支流分派です
ここでも矛盾があります。

多くの家人が源氏だと名乗っていますが殆ど全てが偽です。多くの戦いでそれほどに子孫を遺していませんしその子孫であるには特定の条件が成立します。

当時はこの賜姓の青木氏と源氏は純血を守る為に又氏家制度とその身分の高さと権威を維持するために守る為に同族結婚を繰り返しました。この特定の当り前の慣習は天皇家を初め平安初期まで続きました。
例えば兄弟の子供を妻にして子が生まれるとその子供は更に従兄弟と結婚するなど第3親等までの血族結婚をしていました。

笹竜胆紋が8000紋の中にない「升に松紋」の氏に変化する可能性は殆ど可能性は低いと思います。先ず家紋200選になければ明治初期ごろ以降の家紋類です。

源氏の木曽氏から皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏が出ていません。これははっきりとしています。5つの皇族賜姓青木氏はこの清和天皇の第6位皇子経基王の賜姓した清和源氏と純潔を守る為に同族結婚をしています。

美濃、信濃、甲斐などの青木氏は一族の氏寺と神社とを持っていて、確実に青木村を形成しています。
多くの一族の方が本家分家を作って村を形成して墓も同じ所にあります。
墓所は全て青木です。祖父のところではそのようになっていますか。本家分家支家分派が存在していますか。墓所のある村や町にはこのような現象が起こっていますか。
お話ではないと見られますので矛盾があります。

財産は別に農家でも祖父の時代かその前では明治ごろに財産を築いたと見られますから特別のステイタスとはなりません。少なくとも江戸初期頃からでなくては判定材料とはなりません。

山というよりはこの氏では平地の土地や特別の証拠となる特別の財産などのステイタスと成るものを所有しています。

系譜は信用できません。江戸時代からの系譜は100%偽です。純血性を守ったために末裔が少なくて残っている事は稀なのです。

更に残ったものは室町初期からの「下克上」でこのような高位の氏は100%焼き討ちに合い資料関係は有りません。

次に室町末期から起こった戦国時代でまた焼き討ちに合い消えて行きました。
更に江戸初期前後ごろの混乱期にもこの氏は焼き討ちに会いました。
昭和20年までの4年間もの戦争で紙ものは焼けています。

残るは金属関係です。仏像、名刀、馬杯、軍配、等の骨董品などが証拠になり家紋が入っています。
本家筋の仏壇が浄土宗仏壇でお盆などはお供えや飾りや仕来りなどが他と比べて違っています。

江戸初期からその村の庄屋や名主や郷士や郷氏で豪農や豪商などを務めています。

本家のご先祖が何台まで確認出来るでしょうか。14.15台程度以内であれば上記の情報の可能性は有りません。

宗派は浄土宗である事はその通りですが、江戸初期から徳川氏は特例を出して中級武士には浄土宗に入る事を奨励しました。
やっと江戸末期と明治初期頃から各地に寺が出来始め一般の庶民も入信しました。それでも金品のある者にかぎられていましたし、一族全体で浄土宗に入らないと意味がありませんから食い違いが一族内で起こります。

豊臣は勿論この脚色と搾取と偏纂である事は有名ですが徳川氏等もこの搾取偏纂なのです。
ですから朝廷は源氏の頭領などの冠位を認めなかったのです。
16代の源氏の一部を偏纂して源氏を名乗ったのです。ところがこの16代の源氏は南朝時代ですので源氏は11代程度で既に終わっていますし、この時代には第6位皇子は存在しません。
それどころではなく天皇になる皇子がいなかつたのですから。明らかに似せであることが判りますし源氏はその系列ははっきりとしていますので天皇家でも判っています。
強引にこれを認めさしたのです。
先ず、天皇家の財政をなくして家の壁が崩れても直さないほどに貧困にし圧力を加えて次に金を与えて認めさしたのです。しかし、源氏の頭領だけは認めませんでした。
この様に徳川氏がこの様ですから下のものは殆どは100%偽です。

近江と美濃と信濃と甲斐での青木氏には江戸初期前のこのルーツのない第3の青木氏が多いのです。伊勢神宮での伊勢の青木氏は禁令があり特別に保護されていたので「不入と不倫の権」として守られていたので第3の青木氏は有りません。

結論としては矛盾が多すぎます。家紋8000の中にないところではこの明治の苗字令による青木氏と見られます。
一度実家の本家筋の先祖代数がどの程度かどのようなステイタスが残っているかをお調べになるとよいでしょう。総宗本家筋の独自の専有の菩提寺があってお寺の過去帳を調べてみる事が必要です。

研究室の皇族賜姓青木氏と藤原秀郷一族の生き方と家紋掲示板と地名地形データーベースなどをゆっくりとお読みください。詳しくレポートしています。

疑問が取れると思いますし、思いつく事もあるかも知れません。

ともかく、ご質問が有りましたらお便りください。

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