青木氏のルーツ & 雑学研究室

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◆-ルーツに興味がありますRe: ルーツに興味があります
  └Re: ルーツに興味があります
   └Re: ルーツに興味があります

No.107
ルーツに興味があります
107編集 追加
こんにちは。愛知県に住んでいる青木です。 

以前より自分の先祖に興味がありましたが、資料もなく詳しいことがわかりませんのでお教えください。

現在わかってることは、家紋が左三つ巴で祖父の出身地が山形県の南陽市であることだけです。

少ない情報ですみませんがよろしくお願いいたします。
No.108
Re: ルーツに興味があります
108編集 追加
>こんにちは。愛知県に住んでいる青木です。 
>
>以前より自分の先祖に興味がありましたが、資料もなく詳しいことがわかりませんのでお教えください。
>
>現在わかってることは、家紋が左三つ巴で祖父の出身地が山形県の南陽市であることだけです。
>
>少ない情報ですみませんがよろしくお願いいたします。
愛知の青木さん はじめまして。
なかなかルーツを調べるのは普通は難しいですよね。
でも、あなたのお家のルーツは比較的にはっきりしているので、お答えする事が出来て安心です。
お答えする情報が次ぎの3つで検証します。
1 山県の青木さん
2 ルーツの所在地は山形県の南陽市
3 左三つ巴の家紋

この山形県とは昔は羽前国です。
先ず、青木氏には大まかに分けると皇族系賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏との2氏に分類出来ます。
この2氏の詳しいことは研究室のレポートを一読してください。日本で天皇家に次ぎ最も誉れ高い氏です。

1200年頃前はここは奥州の藤原氏の領域ですので、関東の藤原秀郷の一族の影響は少ない地域です。元々は奥州藤原氏は関東藤原秀郷の一族がこの地に守護として定住して3代で栄華を築いたものです。そのために非常に独立色が強い国でした。清和源氏の力を借りて周囲の安部氏や清水氏を倒して、東北6県を領国として支配しました。

しかし、この山形の地には、皇族賜姓青木氏や藤原秀郷流青木氏の2氏の青木氏が、鎌倉以前に住んでいた事はありません。
ところが、この羽前国と岩代国(福島県)との国境の岩代国寄りに、昔、伊達郡や安達郡やの河沼郡の3郡がありました。そして、丁度、現代の山形県の南陽町の付近までの地域に青木村という村が3つ有り、この付近に藤原秀郷流青木氏一族が定住していました。
村名はこの氏から取った地名です。

藤原秀郷の主要氏は5氏になります。この内の一つが青木氏です。
この5氏は2つに分けられます。
兼光流からは長沼氏と永嶋氏と青木氏が発祥しています。
文行流からは進藤氏と長谷川氏が発祥しています。

藤原秀郷流全体では361氏に成ります。
この361氏の中で24氏が中堅氏です。この中堅氏の中に佐野氏と結城氏が子孫を長く多く遺しました。

藤原秀郷流青木氏は主要九氏あります。直系1氏と直流4氏と支流4氏です。
(全部で116氏あります。その中の主要九氏の1氏です)
この内の直流4氏の一つの結城氏系(佐野氏系)の直流の一族であると、左三つ巴の家紋より証明できます。
(夫々各氏は家紋がことなります。)
主要青木氏ですが、一族内での重なる婚姻関係で最も結城氏の血筋を多く持つ青木氏であり、この為に家紋を結城氏の左三つ巴にしたと考えられます。
(直系青木氏は揚羽蝶紋と副紋付きです。参考として宗家の藤原秀郷の直系は下がり藤紋です。)

そして、この青木氏は元祖は、藤原秀郷の4代目子孫の兼光系青木氏で、更に、この青木氏は10代目佐野氏系から出た結城氏と同一の血縁を持っている青木氏です。
つまり、佐野氏と結城氏との血族関係のある青木氏です。更に血縁を手繰ると室町幕府の足利氏(九代目)とも血縁の一族ということになります。

更に、血縁を辿ると清和源氏の源の義家の孫の義康の子供の義国
と血筋がつながります。又、結城氏から分かれた永嶋氏とも縁者です。
今、NHK大河ドラマの義経らと同じ系列の末裔です。

さて、この青木氏は北家の藤原氏の血筋を大きく持つ氏で、過去の血縁関係を調べると、母方に藤原氏の血縁と、父方の本ルートの藤原氏の血縁を持つ2/3以上は藤原氏の血縁になる由緒ある氏です。

そして、家紋ですが、この家紋は決定的な決め手になります。
この家紋の左三つ巴家紋は、結城氏の専属の家紋なのです。

上記した藤原秀郷が大元祖で、その中の主流の中元祖の藤原兼光系青木氏で、元祖の藤原秀郷系結城氏の血筋を多く持つ結城氏系青木氏を証明する家紋となります。
この一族が上記の国境から南陽市付近に住んでいました。

ちなみに、藤原氏に4氏ありますが、このことに付いては研究室のレポートを参照してください。
藤原秀郷から何故青木氏が出たかも判ります。
又、皇族賜姓青木氏や清和源氏や足利氏とのつながりも次第に判ります。

ほぼ家紋と地名とで確定は可能ですが、宗派が判れば100%です。

藤原秀郷氏の取り掛かりとしては、平の将門の乱を静めて朝廷より恩賞として下野と武蔵の国を与えられて領主となりました。ここから始まります。
由緒あるお家ですので、子孫を残してください。
ご質問があれば何なりとサイトに。お答えします。
No.111
Re: ルーツに興味があります
111編集 追加
詳細なレポートありがとうございます。 

宗派のことについては現在は日蓮正宗だと思いますが、祖父母が若い時は奈良県に本部がある某宗教団体に入信していたこともあり 
元来の宗派何だったのかは、祖父母が亡くなって20年近くたっていることもあって、よくわかりません。

また山形県の親類とも現在は付き合いがありませんので、調べるのも容易ではありません。ただネットで検索してみると、南陽市では浄土宗の寺はなくて、となりの東置賜郡に2,3あるだけです。
(この辺は曹洞宗の寺が多い)
もし宗派が浄土宗でなければ藤原氏流青木氏ではないのでしょうか?
No.112
Re: ルーツに興味があります
112編集 追加
必ずしもそうではありません。特に貴方のお家の場合は決定つけるものではありません。
というのも藤原秀郷の一族は鎌倉幕府の武家政権が出来て、藤原氏流青木氏としては貴族型の武家でしたのですが、朝廷の摂関家と繋がる北家の一族としては足元をすくわれて国を奪われました。この時、鎌倉幕府の任命した地頭がはいってきましたので土地を去ることになり、主には縁者の足利氏関連の国や遠くの国縁者の地頭などに仕官しました。
佐野氏と結城氏系は頼朝側に着いた藤原氏でも態度をはっきりした一族です。それは足利氏と縁者であつたからです。
多くは足利氏を頼りました。
貴方のお家はこの地に残り、二つの道のどちらかを選択した可能性があります。一つは持っている土地で郷氏(侍の庄屋)となつたか、地元の地頭に仕えたかのどちらかです。
(郷氏身分で仕えた可能性が高い)
(郷士と郷氏とは違います。郷士は下級の地侍で、郷氏は元は領主や土着豪族)

この時、宗派の浄土宗を維持する事が出来ないことなどが起こりました。止む無く他宗(曹洞宗か浄土真宗)に入信するなどのことをしました。

貴方のお家のご先祖は地元に留まっていたことですので、岩代側の国境の浄土宗のお寺を菩提寺としていたと観られます。しかし、武家社会になり、藤原氏の権力の圏域ではなくなったために国境を自由に越えて墓参する事が完全に出来なくなったと思います。
当時は国境を越えることは「国抜け」として法度でした。
止む無く近くの宗派に入るなどの事をしました。

特に、藤原秀郷の一族の貴方の結城系青木氏には国境付近に住まいしていたのでこの現象が起こりました。

ほかにも、越中と越後の国境付近(越中新下川郡青木村と越後中頚城郡の青木村)に定住していた足利一族の血筋を持つ貴方のお家とは別系の青木氏(清和源氏と足利氏と賜姓青木氏との血縁族)も同じ状況になりました。
国境の向こうには浄土宗のお寺がある事から、おそらくは元は浄土宗であったと考えます。
浄土宗は特別な地位の階級の者が入信する宗派でそう云う意味でお寺は最も少ないのです。そこに幾つかの浄土宗のお寺がある事は、逆にその地位の階級の一族が居た事を証明する事になるのです。
私が調べた範囲では伊達では三寺、安達では二寺です。
多分、この伊達の三つの寺のうちの一つではと思います。
(大千寺、浄運寺、梅松寺、  善導寺、誠心寺)

藤原氏や藤原流青木氏がいるからお寺もあるのです。特に貴方の一族は分布として岩代側に寄っていましたから、お寺も岩代側になるのも当然に成っていたでしょう。そこは国境でも隣は一族の奥州藤原氏であるので自由に往来が出来たのです。一族が長い間に幾つも分家して住むところをどんどんと外に向けて広がり南陽付近まで延びたのでしょう。そして、菩提寺が遠くなったのです。子孫を多く遺した藤原氏だから又結城氏だからいえる事です。佐野氏系結城氏は藤原氏の中でも子孫を多く外に広げている一族なのです。一番遠くは青森までです。

又、藤原氏にとってはこの時期は大変な混乱期で生きるか死ぬかの瀬戸際で宗派など言っておられない状況でした。
羽前と岩代とが分断されてしまつたのですから、我慢する以外にありません。
そして、この頃のお寺は戦乱で殆どが焼失してしまいました。
というのも、当時のお寺は他の族が入る事はなく一族の象徴でありますから、敵のお寺を残すことは戦略上でありえない事なのです。
あとから入ってきた地頭も、寺を残すとそこに一族が集まる事になり反乱の種になるので、困まりますから移すか焼くかをしました。
この付近は1200年ころは奥州藤原氏と頼朝の軍との戦いの場にもなった最初に前線になつた所でした。

このような状況ですから、貴方のお家の場合は位置の点で、菩提寺を調べることも証拠も確認は難しいと思います。
ご指摘のお寺は羽前の寺ですので岩代の寺を調べてください。
徳川幕府の浄土宗推奨に依って江戸時代に建てられたお寺が多いので注意してください(再建も含む)。

その寺をネットなどで年代を調べられたら判ると思います。
岩代国の伊達と安達の5寺で、青木氏が多く、最も近くて、1200年以前のものなのか、移動していないかを調べると良いと思います。

以上の様に、貴方のお家の宗派は確認は難しいと思っていました
しかし、家紋は急に変えることは出来ませんので間違いないと考えます。宗派も元は浄土宗でしょう。寺は近く伊達、安達郡にあることからこの一つであると思います。
調べましたら又一方是非ください。お待ちしています。

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