青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.120
Re: 甲賀の青木について
120編集 追加
>研究員さんの言及されました甲賀の青木氏について、もう少しお教え頂ければ有り難いのですが。
>と、いうのも、甲賀五十三家に上山氏と青木氏の名が見えるのですが、この青木氏は上山氏から名乗り変えしたものでしょうか。
>それと、近江から美濃に移った時期が我が家の記録では1400年代の初めとなっております。
>事実かどうかは別として、一応将軍足利義量公の頃までは近江に居り、国戦に破れて美濃に追われ、一族が居た美濃の養老郡から安八郡辺りにしばらく定住していたと16000年頃の記載が残されています。この辺りになると諸説入り混じって、どう理解してよいのか困っています。
>当家の青木は、甲賀の出としか伝えられて居らず、一般に言われる清和源氏とか藤原氏とかの伝承は全くありません。その点では研究員さんが研究対象とされている高貴な青木氏ではなく亜流の青木氏になりますが、よろしく
先ず、最初のご質問ですが、ではもう少し詳しくご説明します。
ご先祖は甲賀の人ですが、この人は甲賀郡の正福寺というところが最初の出所地です。この人は一時、美作国(岡山県)にて住まいし、1203年の承久の乱に大変な手柄を立てて出世し、鎌倉幕府から、その功を認められて平家の所領であつた美作の国を与えられました。その後、子孫の家頼が丹波の国青木庄に移住して、青木氏を名乗りました。
そこで、この青木庄の青木氏は、次の様な事情の血縁で発祥しました。
天智天武期に第7位の皇子の川島皇子がその功績にて特別に天智天皇より賜姓佐々木氏を受けて臣下しました。
(本来は第6位の皇子が賜姓を受ける 第6位は施基皇子の伊勢青木氏)
そして、近江滋賀の国の王となりました。その後、天武期には、佐々木氏から皇族であるために嵯峨期の令に従い、青木氏に分流して名乗り換えしました。(青木氏別説もあり)
この青木氏が後に何らかの理由で丹波と攝津国(別説の青木氏)に移動しましたが、この丹波の佐々木系皇族青木氏が定住したところが青木庄です。
この土地に、貴方のお家の先祖の家頼と言う人がこの地に移りました。此処で、出世もしたこともあり豪族となり、この地に佐々木氏系青木氏がいましたので、その絶えた青木氏の分家の家柄の一部を買い取るか、下克上の奪い取りなどをして名乗ったとされています。
(当時は守護や地頭になるには家柄が無くては所領を認めてもらうことが絶対に出来なかったのです。)
それは、鎌倉幕府がとつた「本領安堵策」が原因しているのです。
「元の土地をその氏に返す策」で源氏の勢力を、奪い採った平家の土地を賜姓源氏一族か賜姓青木氏一族かに分け与えて勢力を盛り返す策に出たのです。
ですから、功を立ててもこの一族に連座していなければ所領は認めてくれません。そこで、この上山氏は土地に奈良期から居た佐々木氏系青木氏の一部の子孫の絶えた家系を買い取りか、奪い取る方法をしてその功績に見合う家柄をつくったのがこの経緯です。
(なんらかの方法で奪い取るが、下克上が妥当でその理由は下記)
この当時、13〇〇年ころまで「本領安堵策」のために土地を認めてもらうためにこの現象が各地で起こりました。(下克上の始まりです)
貴方のお家の本家は氷上郡にいて、友政城という城がありますが、この一族(久政)の居城と云われています。
1230年頃に務めた美濃国に子孫を遺してきました。

この土地は佐々木氏の家来に成っていた貴方のお家の本家の家頼の孫(安頼)が信長配下の青木左京進(後に秀吉の配下)等に敗れて正福寺の所領を貴方のお家の本家と分家筋の貴方のお家は無くすことに成ります。(墓は浅井郡甲賀村にあり)
この時、1338―1341の3つの乱にて美濃の国に逃げ延びて移動すると成っています。(1400年初め前です)ここに上記した子孫が居ました。
(美濃国安八郡には幕府の国府があり、守護地頭の時代のときに現地の国府近くに1230年頃に子孫を残してきていますから、この安八郡付近には賜姓青木氏と貴方のお家の上山氏変名の青木氏が南よりに住み分け居住)

このことから、元は上山氏は最初は丹波の青木左京進を倒して、この土地を奪って家系も奪いとる事になったのではと推測します。しかし、青木左京進は勢力を盛り返し、上記の乱で再び元上山氏の青木氏は敗退し、更に元上山氏の青木氏が今度はこの青木左京進を再び本家の安頼の息子(不明)が近江勢田で討ち取ると言う事件があり、元上山氏の青木氏は家系と土地を再び保つ事が出来て、本領安堵となり、後に本家筋は徳川秀忠の家臣に成ります。
上山氏の青木氏への変名はこの史実から起こったものと思います。
(一時敗退したときに分家の上山氏の一部が上山氏を名乗り続けたと見られます)
(この敗退した青木左京進の一族は丹波から近江の佐々木氏を頼り戻ったと史実はなっています。)

以上ですが、これでご質問は答えているかと思います。
もとから居た佐々木系氏青木氏とは以上の理由で血族的繋がりは有りません。

皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏を調べるには全ての青木氏の把握が必要でどの位置に青木氏が歴史的に存在したかは判りません。
ルーツを知る事は同時に先祖の苦労の跡の歴史を知ることだと私は思っていることです。

当然に、佐々木系青木氏が近江で上山氏と戦い丹波に移動した青木氏がどの様な理由で敗北したかも知る事は目的の一つです。
これは、何故に佐々木氏から離れて青木氏が二つに分かれて移動したかの疑問を解明する事も楽しい一つです。ですから上山氏の青木氏の貴方のお家の解明も大変な作業なのです。

摂津に移動した青木氏は兵庫の大木(おうき 古代呼称)に現存します。貴方のお家の青木氏(上山氏)は資料からは5地方程度に居していたことが確認出来、江戸期には城持ちなど大変活躍しています。

調べていると疑問が出てきてどんどんと引き込まれていきますね。
又、調べられて判らないことがありましたら、またサイトにメールください。楽しみにして待っています。

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