青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.131
Re: 日本人の発祥-6
131編集 追加
第2段階の人の類の変化は7つの人の類の進化に大きな影響を与えたステップであつたと云える。
特に、コルボックスのアジア地方の沿岸部での大きく進化を遂げた人の類が、日本列島の進化の契機となつた。そして、列等の全ての沿岸部を中心として生活環境が確立して行き、それぞれの7つの集団が国を作り民族の形態が出来上がった世紀でもあつた。しかし、その実態はまだ確実なものではなく、小国の連合体でもあつた。故に脆い体質でもあつた。其処に融合を旨としていた7つの集団がその国境の利害の争いから戦いの幕が開かれて行った。(倭国の大乱)
そして3世紀には国化した邪馬台国も狗奴国と対峙した後に、南国の2つの融合の民族から攻められて崩壊した。この結果、九州を中心として、民族の拡散が起こり、融合が更に進む結果となつた。
其れまでは、国の境界部の付近の融合であったが本格的融合と発展したのである。
そして、4世紀頃には中国地方に強力な国の体制を整えつつある高い弥生文化を持つ第3集団の民族に依って成し遂げられていった。(出雲国)
また、関西地方にも第2と第3集団の融合体が小国を作り、この小国の連合体が国を治めていたのである。(大和国)
邪馬台国には多説があり確定できないが、日本列島を代表するものではなく、この一族の者らが朝鮮半島と北九州の沿岸部に住み着いて貿易などを営み、この集団(倭人)が、中国との貿易の過程で第3と第4集団の連合体の故郷の情報を伝えることにより、魏や漢や後漢国等が代表国の様に扱ったものであろうと考える。(倭人は朝鮮半島の最南端に彼等の集合体の貿易の拠点を作り、これが任那となる)
現に、邪馬台国の滅亡により、2つの国(出雲と大和の国)の存在が大きくなつていた。
そこに、第3段階の民族の移動が起こるのである。
そして、その移動の行き先は関西の摂津や堺の港であつたのである。

第3集団を従えた出雲国に対して、第2と第3の集団の融合体の大和国は5つの小国の連合体で出来ていた。そしてこの二つの国は覇権を狙って戦いを続け互いに対峙する状況と成っていたのである。

其処に、漢の国が滅びてこの民族は西へと追いやられて、又一部は朝鮮半島へと逃れて朝鮮半島の北部に定着したが、この地域にすんでいた中国系朝鮮民族の民(主は高句麗族)は追いやられて朝鮮半島の南まで到達し、更に船の集団で瀬戸内海を経て堺付近の港へと進出してきたのである。

西に移動した漢民族はその土地(ネパールやベトナム)の族を追いやった。
追いやられた2つの民族は海岸を経て海に逃亡し、一部は黒潮に乗って九州長崎付近に上陸したのである。そこは狗奴国と邪馬台国の滅亡した真空地帯であつたので、まったく第4集団の民とも争いも無く定住した。

これが第3段階の移動であり、弥生人の子孫の朝鮮の民族の関西地方への入国と、一部上記の2つの民族の北九州長崎への上陸であつた。

この朝鮮の一団は上陸して、先ずこの付近で連合していた5つの族(紀、巨勢、葛城、平群、物部)と戦いが始まり、当初はこの5つの族の抵抗を受けて苦戦となったが、各個攻撃へと戦術転換で葛城、平群、巨勢、紀族の制覇を果たしたが、政治の中心と成っていた奈良飛鳥を落とす事は出来なかった。
そこで、最後に和歌山の紀族と巨勢族(こせ)を落として、紀伊半島を進み、南から奈良の飛鳥盆地に進入したのである。

当時は、飛鳥の盆地は現代のように低地にはなく、かなり高い山岳部までのところまで湖であり、その湖の麓に国の中心を置き、上記の連合体による交代制の王制をとっていたのである。
(後に地殻変動にて湖は引き現代の盆地となつた)

この戦いは激戦となり、そこで滅亡を恐れたこの第3の移住民団を率いる応仁王はこの5つの連合体との和睦を図り、その5つの族との血縁関係を構築して初代の固定の王(初めは大王と呼称し、次に天皇と変名した 天皇の呼称は2-3代後につけたものであるとの説もある)となったのである。これが大和朝廷の始まりである。
連合体の国から初代は応仁大王となったのである。

この結果、朝鮮半島からは次から次ぎと上陸が起こり、100万の民がこの関西地方に上陸してきたと云われているのである。
そしてこの民との融合が行われて、第2、3の集団の族とこの朝鮮半島からの移動民との大融合が起こったのである。
安定した大和の国は列島制覇を果たすために、先ず、出雲の国との和睦を図ったとされている。しかし、他説があり、これはだまし討ちであつたと言う説が有力である。
これで、中国と関西地方の領域が制圧されたことになり、ここに大勢力の本格的な大和という国の誕生が起こるのである。

そして、邪馬台国の後の中空と成っていた九州地方北部の制圧に次の天皇の仁徳天皇が向かい解決することになる。本格的な大和朝廷の誕生である。
これが第3段階の移動である。

次は第4段階の移動へと移り、この時、皇族賜姓青木氏への誕生の時期となるのである。つまり、本研究室のレポートの時代へと突入するのである。続く

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