青木氏のルーツ & 雑学研究室

<-ホーム | 研究室トップ | 管理 | 新規投稿

| ニックネーム登録 ツリー | スレッド | レス順 | 投稿順

スパム投稿がひどいため掲示板のアドレスを変えています。⇒こちらへどうぞ


No.148
Re: 理由あって先祖の事を調べています。
148編集 追加
>かんりにん宛にメールがありました。
>かんりにんによる代理投稿です。
>
>初めてお便りします。理由あって先祖の事を調べています。
>私から数えて6代前は東京の八王子に住み、機織業を営んでおりました。家紋は丸に剣カタバミ、菩提寺は同市にある日蓮宗本立寺です。祖父には爵位が伝わっていた様ですが、残念ながら紛失してしまい、誰が授かったのかは不明です。
>現在6代以前を辿っていますが、手がかりが無く難航しています。
>些細な事でも、情報を頂ければ非常に助かります。
>ちなみに、同じ家紋の方から、丸に剣カタバミは平家紋で、苗字は落ちのびる時に変えている可能性があると聞いた事があります。
>宜しくお願い致します。
回答が遅れました。実はルーツ調査の史実の確認のために伊勢に行ってきましたので、遅れました。
先ず、貴方のお家のルーツですが、次のデーターを基準に検証します。
1 家紋が「丸に剣方片喰」紋です。
2 宗派は日蓮宗です。
3 爵位です。
4 八王子です。
以上のデーターを元に検証します。
この検証結果の詳細は研究室レポートの色々なレポートに記載されていますのでそこを参照して下さい。
出来るだけこのレポートの中で詳しくは記述します。

先ず、結論から記しますと、
貴方の青木氏は藤原秀郷流青木氏です。
つまり、藤原氏の一族です。
先ずこの藤原氏には直系1氏と直流4氏と支流4氏とが主流氏になっています。そして、この9氏の青木氏の一族から分流して116氏の青木氏が生まれています。この詳細は研究室の藤原氏のレポートを一度一読して下さい。

貴方のお家はこの116氏の支流一族の一つです。
8000紋という家紋の中で、上記の藤原秀郷流青木氏の116氏の青木氏には「丸に剣片喰紋」があります。
「剣片喰紋」の青木氏の分家の青木氏に当ります。

そこでまず、次のことを念頭にして下さい。研究室に書いている事ですが、
青木氏には皇族賜姓青木氏(5家5流)と藤原秀郷流青木氏(秀郷の子の千国が青木氏を名乗る。)との2氏があります。しかし、この二つ以外に明治初期に姓を持たない庶民が高い金を払って名誉ある家柄の青木氏を名乗ったもの多くがいた。第3の青木氏です。
(何故名乗ったかは研究室のレポートを参照して下さい。)

しかし、この青木氏には家紋だけは偽ることは出来ないために121氏の家紋の中に無い青木氏であればこの第3の青木氏です。

貴方の青木氏はこの121氏の青木氏の中に確実にあります。
その中の片喰紋の藤原秀郷流青木氏には6つの家紋の持つ氏があります。
次に掲げる青木氏です。
1 片喰紋、2 丸に片喰紋、3 丸に剣片喰紋、4 隅入り平角に片喰紋、
5 五瓜に片喰紋、6 子持ち亀甲剣片喰紋
以上です。
この家紋を持つ青木氏はどこかで血筋がつながっている一族ですが、貴方のお家は3番の家紋ですので、6番の家紋の持つ青木氏とはかなりの縁者関係にあると見られます。
(下に列記しているように「丸に剣片喰紋」を持つ氏は青木氏だけでは有りません )
藤原秀郷流の血筋の持つ貴方のお家と丸に剣片喰紋のお家との婚姻で養子縁組などから生まれたその子供が養子の実家先の家紋をなんらかの理由で引き継いだという事が考えられます。
家紋掟という慣習がありそれに則り家紋の引継ぎをした事が考えられます。
特に丸付き紋は分家か養子縁組で起こる現象です。
つまり、日本は男系子孫を慣習としていますので娘は自分の家の家紋を引き継ぐ事は出来ません。よって家紋が建てられませんので、子供に養子先の家紋を
引き継がせて家紋を作り上げることに成ります。この場合は分家と同じ子とになりますので丸付き紋となるのです。
娘が養子を取り後を継ぐときは姓はそのままにして家紋を養子の実家さきの家紋を継ぎ丸をつけて支流とするのです。
この為に、本来は藤原秀郷の家紋(下がり藤紋、揚羽蝶紋に副紋つき、丸に揚羽蝶紋が基本の家紋です)を引き継ぐのですが、家紋違いの青木氏が多く出て来る事になるのです。
だから、正規の家紋も引継ぎたいので出来るだけ同じ一族からの縁組を好むのです。出来ない場合は止むを得ず養子となるのです。
現在連載で研究室に青木氏と血縁族(家紋)のレポートを行っていますが、今は第3番目のところです。貴方のお家は第7番目ですのでもう少しお待ちください。

次に宗派はですが、日蓮宗ですがこの宗派は通常次ぎの者たちが入信しました。
鎌倉時代には庶民と下級武士が入信しました。
本来は上記した主要九氏の藤原秀郷流の青木氏は浄土宗です。
そこで、貴方のお家の青木氏は「剣片喰紋」は藤原秀郷の支流です。
そして、丸に片喰紋は更にその支流に成ります。従って、支流の支流ですので宗派に付いてのきつい締め付けは余り無かったものと思います。そして、その為に鎌倉時代になって藤原氏は朝廷の守護などの官職を全く失いますので、宗派変えをした(史実)可能性があります。

当時の浄土宗は限られたある程度の家柄を持つ者が入信を許されたもので、信徒は非常に少なく寺もそれに応じて極めて少ない状況でした。
従って、その氏を祀る自らの菩提寺を建立する形式でした。特に上記2つの青木氏は全てこの方式をとりました。なんらかの理由でその土地を移動するときは寺毎移動させました。
下克上の戦国時代に青木氏が攻められて逃げ延びるときもこの寺毎引き連れて逃げたと記録されています。

ですからこの浄土宗の一門であると同時に引き連れていく事が出来ないときには移動先には浄土宗の寺は有りません。あつたとしてもその寺は家柄のある大きな氏の寺となりますので自分の菩提寺とすることは出来なかったわけです。
藤原秀郷流青木氏には上記した様に116氏もの氏が分かれてありますので、簡単には移動先の浄土寺を菩提寺とすることが出来ませんし、自分で立てるとしても莫大な費用が必要です。氏家制度の社会体制の中で、なんらかの苦しい理由で居住地から移動しているわけですから、自らの寺を建立する事など出来ません。

鎌倉時代には朝廷政治から武家政治に変化したのですから藤原一族の全てが一切の職を失ったわけです。事実にはこの状況にあっていたことに成ります。
実際に藤原氏秀郷の一族の特に支流はこの宗派変えをしました。
貴方のお家もこの状況の中で職を失い怒涛に惑わされて止む無く宗派変えをしたと見られます。間違いないと思います。
主要9氏でさえも苦しく、鎌倉幕府に強い立場のもつ縁者を頼って生き延びたと記録されています。

爵位の件ですが、明治時代に爵位を受けるにはある程度の家柄と武士の身分を保持している家柄でなくてはナカナカ難しいことでした。
このことでは藤原秀郷流青木氏である事から納得出来ます。

ご先祖が、八王子とのことですが、藤原秀郷の青木氏一族の9氏の主要居住地は埼玉県、昔は武蔵の国の入間郡を中心に横浜までの円の中に居して秀郷の宗家を守っていました。内側に入るほど本家筋がまもっていました。
藤原秀郷流青木氏は藤原の宗家の秀郷を守る親衛隊として秀郷の第3子がこの役目を最初に担いました。そして、武家として青木氏を朝廷から許可をもらって名乗りました。
上記の伊勢青木氏を除く2氏の青木氏は皇族の中で共に公家と摂関家の藤原氏の血筋を持つ家柄ですので、禁止令がある中で特別に許されたものです。

主には9氏の主要の青木氏以外のこの青木氏は全国に宗家の一門の者が朝廷の官職に応じて守護として赴任しましたが、この時にその護衛団として付き従いました。
多分貴方のお家もこの一団として各地に移動したものと思います。しかし、その役目が大体4―5年で終わりますので又国に戻ることに成ります。
国に戻った一族か或いは普通は藤原氏の場合はその地に根づいて住み着きましたが、貴方のお家は支流の中でも上位にあった為に、どちらかと云うと各地に移動せず、上記の円の中の位置に八王子が有りますので(現実に青木氏がまもつていました。)、藤原秀郷流の青木氏の一族として本来の居住地に残ったものと思います。
その時、この剣片喰紋の紋所の所以は地方の豪族との血縁関係から家紋掟によりこの紋所を用いたものと考えます。
(この紋は多くの地方豪族が用いています。島津氏、堀越氏、本田氏、鳥山氏、太田氏、山田氏、武田氏、早川氏、竹本氏、川村氏、中村氏、仲原氏など)

平家の件ですが、その可能性は非常に少ないと考えます。
その理由は、平家が落ち延びる先が敵側の本拠地に落ち延びることは全く有り得ません。
次に、平家の家紋は「揚羽蝶紋」です片喰紋ではありません。
支流の平家でもこの揚羽蝶の副紋付きです。
この揚羽蝶紋と副紋つきは直流藤原秀郷流青木氏の一つの直流が家紋としています。

平家の国は関東に全くありません。平家は全盛期中は32/66の国を関西より以西と九州全土にありましたのでこの逃げ延びるときはこの地に向けて逃げ延びることに成りますので有りえません。
更に平家の落ち武者は四国と和歌山の奥と中国地方の山口よりと九州の中部の山奥に落ち延びました。つまり、元の平家の国でした。源氏の手の届かない地方です。
平家には青木氏は出ていません。青木氏は皇族賜姓青木氏と藤原秀郷の青木氏は最も家柄の良い一族でこの2流から以外には出ていません。
796年の嵯峨天皇の時に詔書が出て、この二つの一族以外に青木氏を名乗ってはいけないとの禁止令がでていますので、平家がこの青木氏の氏を名乗ることは有りえません。明治のはじめまで(現実には江戸の後期まで)守られていました。
現実に史実として出ていませんし、青木氏を名乗ることは自分の立場を無くすことにもなりますので死に値する損ことをみずからする人はありません。
また、自分が名乗っても他の一族が名乗らなければ何の意味もありません。
また名乗っても、家紋が一致しませんので恥をかくだけです。
現実に一人戦国時代に上山というものが出世して城持ちになります。家柄を造るために名乗りましたが、名乗った相手の青木一族の家の者と戦いになり、結局2度戦いをして負けてしまいました。豊臣秀吉もこの圏に一番かんでいました。

落ち延びるという言葉を使用するとして、それは鎌倉時代になり朝廷の力が全く無くなった時です。この時、藤原秀郷の一族は失業しましたので、各地に離散しました。しかし、6代前とすると江戸中期くらいに成りますので、多分、それより以前からこの地に居住していたことが覗えます。
当時は、「国抜け」として国を離れることは罪として死罪でしたのでここに長く住んでいた事が考えられます。周囲に一族が多く住んでいたので一人移動することでその一族が罰を受けることになりますので出来ません。

上記の条件でも矛盾なく一致していますので、八王子の条件は信頼できます。
一度、八王子の付近に同じ青木氏が存在しないか調べてください。
地名地形データの項目も確認ください。

結論は貴方のお家は藤原秀郷流青木氏の支流の分家です。
家紋の「丸に剣片喰紋」の紋を送れましたら添付していただくと確実に成ります。
何か不明なことがありましたら、遠慮なくご質問ください。
研究室の藤原秀郷のレポートを一読ください。より理解できると思います。
現在連載している青木氏の家紋のところでもお家の片喰紋に付いても連載しますので期待してください。

尚、追記として同日貴方のお家と同門の「五瓜の片喰紋」の青木氏からルーツの調べの依頼がありました。偶然です。藤原秀郷流青木氏の元祖は一族の方です
そちらも参考にお読みください。

← 前のツリー | ツリー一覧に戻る次のツリー →


-理由あって先祖の事を調べています。Re: 理由あって先祖の事を調べています。
  └Re: 理由あって先祖の事を調べています。
   └Re: 理由あって先祖の事を調べています。

<-ホーム | 研究室トップ | 新規投稿 | 管理 | かんりにんにメール
青木氏氏を お知り合いの青木さんに 紹介してください。