青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.149
Re: 四国の青木
149編集 追加
>初めまして。岐阜の青木です。自分の青木のルーツを調べています。
>私自身は岐阜生まれ、岐阜育ちですが、曾祖父の代までは四国でした。
>今の香川県、昔の讃岐の国です。
>ここで武士だったそうで、明治維新でその地位を失い、全国を流れているうちに岐阜の地に落ち着いたそうです。
>ピンポイントでの場所は定かではないのですが、讃岐の国の瀬戸内海側だったそうです。
>ちなみに家紋は「五瓜に剣片喰」です。
>どんなささいなことでもいいので教えてください。
>お願いします。
家紋一つからから貴方のお家の青木氏はほぼ間違いなく確定します。
讃岐の国には貴方の青木氏の先祖が居住していた史実は鎌倉期までは有りません。
しかし、隣の香川県の淡路の国には藤原秀郷の九代目の宗政という者とその息子の時宗と云う者が朝廷より守護職として任命されて武蔵の国今の埼玉県から赴任しています。
そして、この時にこの宗政らに護衛として付き従ったのが藤原秀郷流青木氏です。藤原秀郷流青木氏は秀郷の第3番目の千国という者が公家になった秀郷を守る親衛隊として侍になり護衛しました。この時、特別に皇族賜姓族以外に名乗っては成らないとの天皇の詔書が出されていました。
従って、秀郷は朝廷に願い出て日本最高の家柄のこの青木氏を名乗ることを許可を得ました。
許可は藤原氏は朝廷との血縁を公家としてもつていましたので、この皇族賜姓青木氏は伊勢の青木氏を除く4つの青木氏は藤原の血筋の持つ皇子たちでした。ですから、摂関家の藤原氏と秀郷の藤原氏は共に北家という一族でしたので、直ぐに皇族賜姓青木氏と同じ血筋として許可がおりました。
そこで、皇族賜姓青木氏とは5代天皇より第6番目の皇子が天皇を直接守る為に侍となり臣下して親衛隊を作りました。

その天皇は次の通りです。
天智天皇、天武天皇、聖武天皇、文武天皇、光仁天皇の5人の天皇が第6番目の皇子を夫々賜姓(姓を天皇みずから与えて臣下させて侍とし親衛隊としたこと)して青木氏を与えました。
そしてこの青木氏を主要な国の守護として配置させ朝廷の防護圏をつくりました。これが伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐の5つの国です。この地には青木氏が5家5流の青木氏が存在します。

この内、初代の天智天皇の第6皇子の施基皇子を祖とする伊勢の青木氏を除く4つの青木氏はこの藤原氏の血筋を母方に持ちます。
このことから藤原秀郷は同じ方式を採用して、名乗ることの許可を得た青木氏を秀郷の第3子の千国に親衛隊としての侍の役目をあたえました。
下野の押領使としての官職であった秀郷は朝廷の勲功を得てた他の北家の藤原氏と同様に公家となりました。そこで公家は武力を使えませんので自らの子供を侍として自立させて秀郷の親衛隊として独立したのが藤原秀郷流青木氏です。

後にこの青木氏が直系1氏と直流4氏と支流4氏の主要9氏が生まれました。
そしてついには116氏の支流青木氏が生まれました。
この青木氏は当然護衛隊ですので、公家の宗家の藤原氏の赴任先の官職で24の国と土地に赴任しました。
この時、この青木氏が付き従いました。
そして、かならずその土地の豪族の血縁でその国に子孫を戦略上の目的から遺してきました。

これが5家5流を除く各地に存在する藤原秀郷流青木氏です。
貴方のお家もこの中の一つで淡路の国の赴任した上記の藤原宗政と時宗に従った青木氏と土地の片喰の家紋を持つ一族との血縁にてうまれた藤原秀郷流青木氏です。そして。家紋を本家とことなり土地に残してきた青木氏であるので豪族方の家紋として氏を青木氏としたものです。

この青木氏には次の6つの青木氏があります。

片喰紋、丸に片喰紋、丸に剣片喰紋、五瓜に片喰紋、隅入り平角に片喰紋、
子持ち亀甲剣片喰紋の6氏の青木氏があります。

青木氏は121氏ありますが、貴方のお家はこの中の一糸ですし、片喰紋の6氏の青木氏の一つです。この内青木氏の家紋は33紋様あります。
貴方のお家の家紋の紋様は33紋様のうち第7番目に多い藤原秀郷流青木一族です。
宗派は本来ならば浄土宗ですが、移動していると成ると宗派は別の宗派となる可能性があります。その理由は同日にご質問のあつた別の片喰紋の青木さんのお答えに書いていますので読んでください。

讃岐松平氏に仕えたとありますが、多くの藤原氏は鎌倉時代に社会体制が朝廷政治から武家政治に変化しましたので、藤原一門の氏は当然、官職を失い失職しますし土地もうばわれますので生活の糧が全く無くなり家来を抱えて難儀の極まりでした。
この時、藤原氏の一族は各地に離散して縁故や縁を頼りて仕官の口を捜しました。都合良く頼朝の御家人になつて仕官が叶い力を持った藤原の縁者にたよりて其処に仕官したりして生き延びました。

貴方のお家は多分初期にはこの淡路の国に付近に居たか、武蔵の国に戻ったかして後にこの片喰紋の持つ淡路の土地の豪族の縁者を頼ったもので、まだちいさい松平氏の家来の縁者に仕えたものではとおもいます。
そして、いつしか、松平氏が力を付けて大きくなったので主君の移動と共にこの土地讃岐に移動したのではと思います。
つまり、元々は淡路に居たか、ルーツの武蔵の国に帰ったかいずれかですが、多分この紋様からはこの淡路から讃岐に移動したものと考えられます。
というのは、片喰紋と木瓜紋の両方の紋様を持つ氏である青木氏であるからです。木瓜紋も33紋様の青木氏の一つです
同じ藤原秀郷流青木氏の片喰紋の青木氏と木瓜紋の青木氏との結合氏であるからです。淡路にいて十分に縁者を頼った可能性が高いと考えられます。
その上で松平氏の赴任に伴い縁者をたより現地仕官した可能性が高いと考えます。(当時は自分の家来だけではなく現地からも政治状の理由から仕官をもとめました。)
当時は同じ家柄同士の婚姻が普通でしたので、名家の青木氏を残すために木瓜紋の持つ青木氏との婚姻を繰り返したのではと思います。

丁度、貴方のご質問と同日に貴方のお家と縁者の藤原秀郷流青木氏の八王子に住む「丸に剣片喰紋」の方のご質問がありました。

ご先祖は同族です。奇遇ですね。8000というほどの氏のある中で、たつた6氏の同じ血筋の持つ青木氏がご質問とはびっくりしました。
そちらの内容も一読ください。

更に詳しくは研究室のレポートを読んでくださると、完全な理解が仔細に得ることが出来ると思います。特に藤原秀郷一族のレポートを先に呼んでください。

今研究室では青木氏と血縁族(家紋)のレポートを連載しています。
貴方のお家のレポートは第7番目ですので暫くお待ちください。次は第4番目です。詳しく理解する事が出来ます。

出来ましたらお家の家紋を添付していただくとより確実になると思います。
なんでも結構ですから遠慮なくご質問ください。

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