青木氏のルーツ & 雑学研究室

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◆-家紋が気になりますRe: 家紋が気になります

No.160
家紋が気になります
160編集 追加
家紋を調べたところよくあるっぽい
「丸に立沢瀉」
だったのですがこの家紋青木と関係あるのでしょうか?
家紋掲示板みたのですがのってなくってよろしくお願いします!
No.161
Re: 家紋が気になります
161編集 追加
>家紋を調べたところよくあるっぽい
>「丸に立沢瀉」
>だったのですがこの家紋青木と関係あるのでしょうか?
>家紋掲示板みたのですがのってなくってよろしくお願いします!

>青木さん 始めまして。
先ず、家紋掲示板は33紋様の第9番目のところのレポートをしていますので、沢瀉
紋は25番目くらいに成ります。
そこで、沢瀉紋のことですが、青木氏の家紋の中にあります。青木氏の家紋は前記し
ましたように33紋様あります。
全体で8000もの紋様がある中で青木氏に関する紋様は33紋様ということです。
この33紋様の中で沢瀉紋は82もあります。この82の紋様の中で青木氏は3つの紋に成ります。
この3つの紋のうちその一つがお家の家紋の「丸に立ち沢瀉紋」です。
他の青木氏の家紋は「立ち沢瀉紋」です。
つまり、お家の本家筋に当ります。
もう一つは「抱き沢瀉紋」です。

ではここで、青木氏に付いて説明します。
青木氏は大きく分けて2つに成ります。
この2つ以外に、明治初期に苗字と家紋の持たない庶民が持つ事になり、大金をはたきお寺や神社に頼み込んで苗字と家紋と偽系譜を作ってもらうことをしました。(江戸以前はこの戸籍上の役目を寺と神社が担っていました。)
青木氏このなかでも最高の付け値で、下記に述べますが、皇位の家柄のために高値がついたのです。
この明治初期の青木氏が第3の青木氏と成ります。

青木氏には121もの家紋以外の家紋はこの第3の青木氏となります。
ではこの青木氏の発祥に付いて概略を述べます。詳しくは研究室のレポートをお読みください。

先ず、第1の青木氏です。
この青木氏は天智天皇から5代に渡り、名付けられました。
この青木氏皇族賜姓青木氏と言います。
つまり、最初の青木氏は天智天皇の12人の男子の皇子が居た中で第6番目の皇子を天皇を守護するために臣下させて侍とし、主要な国の守護して都の朝廷と天皇自らの身内からだして守護させました。これは蘇我氏を倒した大化の改新の反省から来た事からです。

この青木氏は次ぎの天皇から発祥しました。
天智天皇、天武天皇、聖武天皇、文武天皇、光仁天皇の5人の天皇の第6位の皇子を臣下させて、天皇自ら氏姓を与えて青木氏としました。
これが賜姓といいます。
そして、この光仁天皇の2代後の嵯峨天皇はこの青木氏を皇族以外の者が使用することを禁止しました。

つまり、第6位以下の皇族の者が還俗する時に使用する氏姓としました。
そのかわり、第6位の皇子の臣下するときには青木氏から源氏としました。
青木氏から源氏に変名したのです。
この源氏は16代の天皇に引き継がれていきました。賜姓族は合わせて21氏に成ります。
これが皇族賜姓青木氏です。
この青木氏は伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐の国に守護として赴任しました。

この青木氏とは別に、関東の武蔵の国と下野の国の守護を務めた藤原秀郷からでた青木氏があります。
この青木氏も天皇家の方式を真似て第3番目の男子にこの青木氏を与えて藤原家の護衛隊として役目を与えました。
藤原の秀郷は藤原の鎌足から第8代目で藤原四家のうち最も栄えた北家の者です。(北家、南家、式家、京家)
本来では禁止ですが、この藤原秀郷は反乱を鎮めた恩賞にて公家となり、武蔵の国を与えられました。そして、朝廷は青木氏を使用することを許可しました。

公家となった秀郷は武力を使うことは出来ませんので、そこで自分の子供の第3番目の千国にこの役目を与えて青木氏を名乗らせました。
この青木氏が直系1氏と直流4氏と支流4氏の9氏から116氏にも拡大しました。
そこで、お家はこの一族ですが、お家は宗本家の藤原秀忠なる者が美濃国と尾張の国に朝廷の命にて赴任しました。(
藤原秀郷の一族は慌て24の土地の守護を務めましたが、その度毎に護衛役の青木氏が付き従いました。そして、戦略としてこの役目をはたすには多くの子孫が必要です。そこで必ず付き従った土地に婚姻を重ねて子孫を遺して来ました。これが116氏にもなる藤原秀郷流兼光系青木氏が生まれたのです。
そして、武蔵国と下野の国には本家筋が残り総本家の宗家を護るために周囲を固めました。

この時、尾張と美濃国一体に残り護衛役として付き従ったのが青木氏です。
これがお家の始まりです。
本来は家紋は上記した様に9つの家紋から始まるのですが、後継ぎ問題から残った青木氏の土地の豪族との婚姻関係から家紋が変化したものです。

お家のこの青木氏は土地の豪族との婚姻関係を持ち土地に定着しました。
この土地には立ち沢瀉紋を使用する土井氏、水谷氏、幡野氏、山田氏の4氏が居ましたが、この内の何れかの氏との婚姻関係を持ちました。
この時に家系問題で男系を維持することが出来ず、この4氏の何れかから跡目を取りましたが、「家紋掟」から元の家紋を維持することが出来ず跡目先の4氏の家紋を用いて細工し「丸付き立沢瀉紋」としました。(この場合は分流ですので丸をつけます。)

これが新たなお家の始まりです。
そもそもこの家紋は尾張や美濃国に自生する沢瀉の草花を紋様化したものです。(詳細は後のレポートを参照)
この紋様をこの土地の豪族が使用したのです。
そして、この豪族との婚姻が起こったのです。
その時期は室町中期から後期に起こりました。
その時、鎌倉幕府樹立により藤原一族は怒涛に振り回されて離散しました。
その仕官先がお家の場合はこの付近に勢力を張り始めていた松平氏の配下に多くが入り、後には御家人となりました。
この松平氏の一族も当然にこの沢瀉紋を使用しています。

美濃と尾張から出た藤原秀郷流の青木氏の「丸に立沢瀉紋」は以上の最名家の家柄です。

詳細は研究室の「藤原一族の生き方」などのレポートを参照して下さい。
ほかにも研究室には青木氏の内容を沢山レポートしてありますのでお家のルーツを理解する上で大変に役に立つと思います。
時間がありましたら少しづつでも読んで見てください。必ずや納得できる事が出来ます。
又、青木氏の発祥には青木村の存在がありますので、「青木氏の地名データー」も合わせてご覧下さい。
お家のルーツとなった尾張と美濃国にも青木村がありました。ここがお家のルーツが住んでいた所ですのでここも読んでください。

以上のことに付いてご質問があればご遠慮なくお尋ねください。
次ぎの紋がお家の「丸に立沢瀉紋」です。
左隅をクリックすると拡大します。

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