青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.171
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171編集 追加
>詳細にご説明いただきありがとうございます。さらに調べていきたいと思います。ただ現在菩提寺はありませんので(水戸は光圀の時から共同墓地になってます)おっしゃられる通り武蔵か下総国(いつの時代からか分かりませんが古河市に別邸がありましたので)の浄土宗のお寺を調べてみたいと思います。
水戸の青木さん 今日は。
非常によいところに気づかれました。
古河氏の別邸の件は更にお家のルーツを確定する資料です。

実はこのことで次ぎのことが判ります。
先ずこの古河市は茨城県の西部地域の端の埼玉つまり、武蔵の国の東の端ですから、この地域には藤原秀郷流青木氏の支流4氏のうちの「丸に揚羽蝶紋」の青木氏の2氏がこの地域の護衛に当り、北埼玉郡付近の東はずれに2つに分かれて定住していました。
南埼玉郡に分かれて2氏が護りに付いています。
この北埼玉郡がお家の先祖の護りの土地です。

そして、この古河市付近と北隣の結城市付近には、お家と同じルーツの兼光系の藤原秀郷の五代目の孫に当る朝光という者が初代として一族の領国でした。
この一族は「結城氏」であります。
この結城氏の由来は次の通りです。

この結城氏はこの土地は950年頃から1130頃まで領国としていました。しかし、平家との戦いに負けてこの土地付近を奪われました。
止む無く、藤原の朝光は一時武蔵の国の西の群馬付近(上野介の役で)の護りに着いていました。しかし、鎌倉幕府の樹立に貢献した事で、源頼朝から本領安堵策にて結城の土地を与えられてを奪い返す事ができました。
そして、鎌倉幕府樹立にて離散した多くの藤原秀郷一族の子孫とは別に、この(藤原鎌足より8代目の藤原秀郷の)兼光系の結城一族は辛くも鎌倉幕府の御家人となり、再び、55年ぶりに結城市の東隣の水戸付近までの守護を命じられました。

古河市に関係があるとするとお家の護衛役の担当する総宗家の一族はこの結城氏であつた事が濃厚です。

この付近には藤原一族は結城氏のみが領国としていましたので整合性が取れます。

このお家の青木氏が発祥したのは「丸に揚羽蝶紋」ですので、青木氏の元祖の千国より妾妻の実家先(嶋崎氏)の家紋を引き継いだのは2代目頃からですので秀郷より4代目頃からと成ります。(北埼玉郡の護りに着き始めた時期)

お家も藤原秀郷流の兼光系(4代目)の青木氏ですから、支流4氏のうちの北埼玉郡付近を守護するようになつたのは秀郷からこの4代目の兼光より2、3代目の所の「丸に揚羽蝶紋」の支流青木氏でありますので、同族ですし、結城氏は同時代の一族と考えられます。
此れで水戸家との関係も頷けます。
よって土地と時代と同系族の一族と水戸松平氏から考察すると検証結果が頷けます。

次ぎにこの地(北埼玉郡と結城氏付近)には浄土宗の寺は6つ程度ありますのでこの寺の絞りこみをされてはと思いますが。
(インターネットで浄土宗をキーワードに地域限定で絞込み方式で)
青木姓の多く出て来る寺が多分お家のルーツと思います。

この様にちょっとした事がルーツ探しに結び付きますので、頑張って探してください。いつでも御質問いただければお力になりたいと思います。ではまた。

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