青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.180
Re:
180編集 追加
>お久しぶりです。
>今日久々に実家に行ったので父に住んでいたところの事を聞いてみました。
>それによると、父が小さい頃に住んでいたのは下細江というところだそうです。そこに代々住んでいたかどうかは分からないとの事でした。
>只曾祖父の代までそこで織物工場をしていてそうです。お墓もその近くにあるので、代々住んでいたのではないかと思います。
>
>いろいろと話を聞いてみたのですが、父の子供の頃なので、大分忘れているようであやふやな感じですが、これで参考になりますでしょうか?
>
>宜しくお願い致します。
今日は、お久しぶりです。
藤原秀郷流青木氏の「下がり藤紋」直系の青木さん。貴重な情報を頂き有難うございます。

「下細江」との事ですが、この地は真に越前の国の中心地です。j
そしてこの付近に国府の役所がおかれて政治を行っていました。
その中心の土地で県庁所在地の中心です。

この情報にて藤原秀郷総宗本家のこの地に赴いた人物が絞られてきます。
次ぎの二人です。
この地には藤原為延と伊傳が赴きました。
為延は守護として、伊傳は押領使(軍事と警察)として、この国府に入りました。
他の若狭よりと加賀よりとでは違ってきますので確定できます。
先ずこの二人ですが、青木氏の家の役目は護衛役ですので、この点から考えても伊傳ではとも考えます。
前レポートにも書きましたが、伊傳の子孫も引き継いでこの地の役目を担っていますので定住してこの地に役目として残った事が裏付けられます。
為延の親子孫の3代で務めていますので二人のうちのどちらとも決定せずとも
お家の役目はこの3人の親子孫の3代の護衛役として代々務めたと考えられます。
逆に、この国府の土地の3代も続いた役目から見ても、藤原秀郷流青木氏の直系の青木氏である事が裏付けられる事にも成ります。

後に、越前の国から分離した隣の加賀の国の4代の藤原氏も越前の二人の子孫ですので、当然にその越前の国府のあるところの護衛役は青木氏の本家筋が守っていたことは明らかです。

そう云うことになってきますと、長期間で代々務めていますのでこの付近に菩提寺を造っていた筈です。
それがなんらかの理由で焼失(室町の戦国時代から第2次大戦までの間で)して、又は寺自体が真宗に変宗したこともある筈です。

お家のその菩提寺の歴史をお調べになると何かわかるかもしれません。
インターネットで(例えば「e-寺見物」)のサイトでも調べられるとも思います。

この菩提寺(昔は戸籍簿の役目は寺と神社が果たしていた)で、ルーツのご先祖の名前もつかめますので、どこまでの時代の人の名前を掴むことが出来るかでも判るはずです。つかめたところまでが、子先祖に何かが起こった区切りでもあります。

兎も角も検証は確定しました。為延と伊傳に付き従った藤原秀郷流直系青木氏(青木氏9氏中の千国直系)での分家筋であります。

又、なんらかの情報がつかめましたらご遠慮なくお知らせください。では。

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