青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.191
Re: 二つ引き紋の青木について
191編集 追加
>今回の両引き紋についての解説掲載、有難う御座いました。
>我が家の古文書にある二つ引き紋は足利の家紋であり、青木とは何の関係も無い紋だと思い、今まで全く気にも留めていませんでした。
>まあ、せいぜい主家の足利から使ってもいいよと与えられた一時的な紋であり、それ故そのあとで紋を変えてしまったのだろう・・・・と。
>新しい発見であり、非常に役に立つ内容でした。
>甲賀の青木さん お久しぶりです。
古文書に二つ引き両紋の家紋があったと言うことですが、上山氏の青木氏の時代よりまえの古文書からの者であるのなら、この元上山氏の青木氏は足利氏系青木氏であったことが考えられます。
この上山氏の青木氏は元は美濃の足利青木氏の一族であったと言うことになり新しい発見と言う事に成ります。
今までは通説としてこの上山氏のルーツが明確に平安期中期から鎌倉初期の系譜が判っていませんでしたので、興味深いことです。。

つまり、このことからと室町期から桃山期の佐々木系青木氏との戦いは結局は信濃の足利系青木氏と近江の佐々木系青木氏との青木氏同士の戦いであったことに成ります。

系譜を架けた戦いとされていた事が勢力争いが主な戦いの原因と成ります。

先ず、当時の家紋は兄弟でも同じ家紋を継ぐと云うことは珍しい事でした。
必ず、宗家の許しを得て継ぐことになり、殆どは家紋に丸をつけるか、家紋の一部に細工をするか変紋をするかしました。

これは宗家の純血と権威を守る為でした。

家柄と身分なくして官職には就けない社会で氏家制度で保たれていた社会でした。
それ故に其れを象徴するものとして家紋を用いたのです。
通常、普通の者はこの家紋を持つ事ができませんでした。

本妻の子供以外は大抵は丸つき紋に成ります。男系跡目の社会ですから男系が切れれば氏はそのままにして変紋をする事に成ります。

信濃の皇族賜姓青木氏の家紋の笹竜胆紋は足利氏より跡目を受けて家紋を足利氏の家紋に変紋しましたが、兄弟でも許さないのですから使ってよいと言う立場ではなかった筈です。家柄は上位であったので。

そうすると、足利系青木氏がなぜ上山氏になり、その後に青木氏になったかと言う疑問ですが、上山氏から青木氏に代わった経緯ははっきりしていますので、足利系青木氏から上山氏になるまでの時代の検証が必要に成ります。

時代では、鎌倉期前1120年頃から1320年頃の時代の200年の間の変化と成ります。

当時の寿命は40―50年ですから5―6代の変化の中で起こったことに成ります。
戦いも頻発していましたので戦死などで代替わりは多めに成っていたことも含めて、先ず、氏名が変化するのには

第1は男系相続の跡目が何度もできなかった。
第2は子供が何代も出来なかった。
第3は勢力争いで一族は衰退した。
第4は一時子孫が絶えて、途中で遠籍(上山氏)が氏を興した。
第5は本家筋の足利系青木氏は氏を維持していますので宗家から家紋使用を許された本妻子の分家筋が絶えた

結論は次ぎのようになると考えます。
当時の社会情勢から考慮しながら

第5の本妻子の分家筋の一族は、第1から3までの原因で、第4の子孫が絶えたが、この遠縁籍の上山氏の子孫が、この足利氏系本妻子系分家の青木氏(家紋は二つ引き両紋)を1300年代に引き継いだ。(出世したので)

本流、支流、分流ではない上山氏は戦いに勲功を立て勢力を高めてきたので身分と家柄が必要となり、縁戚の青木氏を名乗ったと言うことになリます。
家紋は本流の総宗本家の足利系青木氏が現存する以上は許可がとれないので、引き継ぐ事は出来ない。そこで故に家紋はまったく異なることに成ります。

この上山氏の青木氏は総宗本家の許可がとれないことから、美濃の青木氏の分家筋の跡目(美濃の土岐氏系青木氏一門との婚姻関係もあったかも知れない)を引き継ぎ名実ともに青木氏となろうとしたのではないかと考えます。
そこで大きくなった上山氏の青木氏が小さくなつた美濃の土岐氏系青木氏の本家筋との戦いとなった。

結果として、大きい上山氏の青木氏が美濃土岐氏系青木氏の本家筋にとって代わられると言う「家」を背負った戦いとなつた。だから繰り返しの戦いとなつたと思います。
だから当時の権力者は同じ陣内での戦いを放置したのではないかと思います。

最終、信濃の足利系青木氏の縁戚の上山青木氏が勝利して美濃土岐氏系青木氏の分家筋の跡目に入ったと言う事に成ります。
当時は勢力関係からこの青木氏が土岐氏系青木氏を牛耳っていたことに成ります。
だからその実力と家柄で幾つもの守護が務められたのです。
鎌倉期前当時から室町期初期までは当時は家柄の無い者は守護にはなれませんでした。

現代では末孫が何とか生き付き美濃の土岐氏系青木氏の木瓜紋の青木氏は現存しています。

現に、足利氏の分家が政略結婚の末に戦い、本家を乗っ取って本家となったことと同じ現象であり、当時はこのようなことは茶番事であったのです。
故に本家筋はしっかりした者が嫡子となり跡目を継いだのです。
このように足利氏のように場合に依っては嫡子がいてもその子を廃嫡して他からしっかりした者を跡目に入れるということは当り前の行為であつたのです。

このお家の上山氏の青木氏は上記した様に、実は足利系青木氏の本妻子系青木氏の血筋を一部に持っていたことに成ります。
1150+40年代は足利氏系青木氏であった事になりますね。

古文書には断絶の跡がいくつかあるのではないかと考えます。
この辺のところは世情は下克上と戦国で乱れていて確認は採り難いのですが、私は多分この様な事が起こっていたと考えます。
新しい新事実です。
私もこの上山氏の過去とこの戦いの理由(同じ陣内での戦いに周囲が仲裁に入らない事)に疑問を持っていました。解けた気がします。
又何かわかりましたらお便りください。

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