青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.66
Re: 賜姓青木氏の弱体-1
66編集 追加
三者連合によって、息を吹き返した。そして渡来系に対抗したが如何ともし難く結局は内部分裂や同族争いがおこり結局は敗退して三者ともに衰退する。特に賜姓青木はその影響を大きく受けた。元々、嵯峨天皇期に青木氏の姓を名乗ることを禁止したこともあり、子孫は大きく遺せないというジレンマに落ち至る。そこえこの始末である。しかし、このままでは三者は済まないのである。今までの結合は勢力の結合であった。そこで、この三者は血縁の連合を反省から実行したのである。分裂や同族争いを無くすために。
5家の賜姓青木氏とは次の様な血縁を清和源氏との間で結んでいる。
甲斐国の賜姓青木氏
源の頼光の守護先になつたこの甲斐の国は今度は血縁で確実に結んだ。
源頼信(頼光の末の弟)の孫の「義光(1055)」から8代目の「源光(げんこう)」が「甲斐青木氏」の跡目に入って居る。
更に、「義光」から15代目の「義虎(時光系)」が「甲斐青木氏」の跡目に入っている。
これは2度も跡目に入ったことは、この跡目に入ったことで5家5流に子孫は分流した一派にもより固めるために一族を跡目に入れたのである。
従って、「甲斐青木氏」は「頼信」の孫たちの関東への進出に同行移動している。横浜神奈川付近にこの甲斐一族の子孫が青木村を形成して残っている。
甲斐の国は元々は「頼光」の守護地であったが、分家を作る弟の為に、この甲斐の国の守護を摂関家に勤める「頼光」は承認を貰い、弟の頼信に渡して、ここを足場にして関東を切り取る拠点にしたのである。
そうすることで清和源氏の勢力範囲を伸ばす事ができるし、同時に「藤原秀郷」らの共同作戦で坂東八平氏を掃討すれば勢力を関西と関東に広げることが出来る。
ここで注目は「清和源氏」と「賜姓青木氏」の血縁一族が、今度は摂関家の「藤原氏」と武蔵の国の「藤原秀郷」との間にも結びつきが出来ている事である。基はといえば全て、「藤原氏」の血縁の結びつきである。
甲斐ではこの様な戦略が実行されて、成功した。
そして、この連合で、第2の拠点を神奈川と鎌倉付近においた。

信濃国の賜姓青木氏
「頼信」の2代目の「義康」が足利氏に跡目に入っている。(足利氏初代である)これが前レポートに云う家紋違いの支流源氏なのです。武田も同じ。
「義康」より3代目の「実国」が「信濃青木氏」に跡目に入っている。再び、「義光」より16代目(不明)が信濃青木氏の跡目に愛っている。結局は末裔は4流に分流して子孫は繁栄している。
この信濃青木氏はもとより家紋は笹竜胆(ささりんどう)であり、皇族系の同族であるので、源氏と同紋。足利氏と違う所である。
(不明部は「義康」であろう)
この国は甲斐の国と違い清和源氏直系の「頼光」系の守護地である。大きい戦略的な移動は無いとみられる。

美濃国の賜姓青木氏
「義光」より8代目「時光」(1195)から11代目(不明)が美濃青木氏を継承し跡目に入っている。
「義光」より19代目が(不明)跡目に入っている。
この末裔も繁栄し5流に分流している。
ここも「頼光」系の守護地であるが、大きい戦略的移動は無い。

伊勢国の賜姓青木氏
「頼光」の4代目子孫「頼政」(以仁王の乱の首謀者)の子の「仲綱」の子の「京綱」が青木氏の跡目には入っている。
この地も「頼光」系の元からの守護地で不可侵の天領地である
戦略的移動は全くない。甲斐と信濃と美濃と伊勢の青木氏は同紋である。理由があり末裔は少ない。
以上の様に、血縁的連合を何重にも行いそして勢力地の幅を関東に広げているし、関西は尚固めている。渡来系の以西32/66に対抗して。  続きは近江佐々木氏と藤原秀郷との血縁関係を記する。

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