青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.76
Re: 藤原秀郷一族の生き方-4
76編集 追加
寄進系荘園制に依って藤原氏のよこの関係がより大きく広がりを見せて、その結果361氏もの支流の裾野の広がりを作り上げた。
その中で、藤原秀郷流の青木氏と各氏の関係の内容を調べてみると面白い結果が見えてくる。

先ず、次のことに注目すると、
第1 直流青木氏の4氏の家紋が揚羽蝶紋か、丸に揚羽蝶に副紋がつく。
揚羽蝶紋は京平氏の共通紋つまり、綜紋である。
藤原氏の北家秀郷の青木氏が何で平氏の支流紋なのか。

第2 藤原秀郷(958)の子孫の14代目の行長(1210-1230年頃)が永嶋氏を名乗っている。
佐野氏族の永嶋氏と、結城氏族の永嶋氏の2流がある。(兼光系)

京平氏と同族の永嶋氏は、次のところから発祥している。
後漢の末裔の渡来系阿多倍は敏達天皇の曾孫芽淳王の娘を娶。その3人の子供は、天皇からその功績に対して賜姓を賜り坂上氏、大蔵氏、内蔵氏を名乗る。(研究室参照)
この大蔵氏の子孫(10代目種材)が九州の大宰大監となり、「遠の朝廷」として九州全体を統治していた。
(帰化後、九州を制圧しそこを元祖の阿多倍の基盤としていたのであった)
この子孫の初代大蔵氏より17代目の種秀(1200-1225年頃)が永嶋氏を名乗っている。
殆ど同時期に両者が永嶋氏を何故名乗っているのか。

第3 更に、調べると、次のことが判る
藤原秀郷一族の支流の青木氏の主流4氏のうちの一つに元は平氏であり、嶋崎氏を名乗り、後に、岡田氏最後には藤原青木氏を名乗っている。家紋は矢張り、丸に揚羽蝶と副紋である。
この一族は361氏の中でかなり多くの支流を増やしている。

第4 藤原秀郷より7代目の成行が足利氏(1100年頃)を名乗っている。(兼光系)
信濃国の足利氏である。
そして、この成行より7代目の広安が永嶋氏(1220-1240年頃)を名乗っている。(兼光系)

361もの氏族を持つ藤原秀郷の子孫一族は源平籐橘と云われるほどに大氏族であるが、他の大豪族との血縁も結んでいる。それも敵に相当する氏族とである。
天皇家はもとより、16源氏とはもとより藤原血筋縁である。
京平氏とは第3での血縁で結んでいるし、超大万能集団の渡来系阿多倍族となんらかの繋がりを以っている事は見逃せない。
ましてや、家紋までが藤原族の青木氏と同じである。
これらの事は寄進系荘園策の影響からなのか、何からなのか検証して見る必要はある。 続く

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