青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.86
Re: 教えて下さい
86編集 追加
>私の親父の実家は埼玉県比企郡吉見町とういところで、
> 家紋は確か丸に梅鉢のはずなんですけど、先祖はどんなかんじでしょうか?
> お分かりでしたら教えていただけると幸いです。
貴方の御姓が判りませんので推測の域を脱しませんが、このサイトは青木氏であるので青木氏として検証します。

情報は少ないので、より不確定ですが、3つの情報を元に推測します。
1つ目は埼玉県比企郡です。
2つ目は丸付き梅鉢紋の家紋です。
3つ目は仮定青木氏です。
先ず、1つ目は土地ですが、この比企郡は北足立郡と入間郡に隣接する土地ですが、その前に藤原氏のことに付いて前情報を記します。

入間郡は藤原秀郷が「平の将門」を朝廷の命により、打ち滅ぼした功績で与えられた領国です。
下野国(栃木県)と武蔵国(埼玉県)です。
そして、藤原秀郷は貴族にもなりました。この時、2つの領国を持つ領主になりましたので、他国からこの2国を守る為に、自分のみうちから確実な護衛の武士団を持たなくてはなりません。
秀郷はそれまでは、下野国の朝廷より送られた押領氏(警察軍隊)でした。(貴族は武力を使えない掟がある)
そこで、秀郷は次ぎの事を踏襲しました。
大化改新の時に天智天皇は蘇我氏が天皇を凌ぐ勢力を持ち、天皇家を軍事と経済と政治の3権を握っていまにも天皇家に変わろうとして色々と策を巡らしていました。これに気がついた中大兄皇子(天智天皇)は「藤原鎌足」の協力を得て実権と天皇家を守ることに成功しました。
この時、改新の一つとして、軍事面の弱体を反省して、自らの皇子の内の第6番目の皇子(施基皇子)に「氏」を与え、「青木氏」として臣下(皇子の身分より侍にして氏を与える)させて身内の護衛集団を作りました。
5代の天皇がこれを実行しました。一代目の伊勢青木氏を除き、4代は藤原氏の血縁の皇子でした。
秀郷は鎌足から8代目の子孫です。(藤原氏は4家あり最も勢力のあつた北家と言う一族です)嵯峨天皇期から令により皇族以外の者が青木氏を名乗ることを禁止しました。
そこで、秀郷はこの方式を朝廷の承認を得て護衛集団を自分の5人のうち第3子(千国)に青木氏を与えました。これが、秀郷流青木氏なのです。
この青木氏は116氏ありますが、主流は直系直流あわせて5氏で、支流は4氏あります。詳細は研究室を参照してください。

1つ目の土地ですが
秀郷はこの身内の5氏の青木氏に武蔵国の入間郡を中心に配置しました。この内の支流4氏はこの土地より周囲に更に配置したとされています。上記した比企郡は郡堺ですので、支流の青木氏であります。

次に家紋ですが、
この家紋を保持している支流4氏中の一つに当ります。
116家中に1氏あります。直流は主に「揚羽蝶紋」類です。
藤原秀郷の兼光流の支流 青木正胤(1150−1200年頃発祥で、江戸時代の名を記する)なる者がこの末裔にあたります。
この一族が「丸に梅鉢紋」を使用しています。
秀郷より4代目の兼光流から直流と支流の青木氏が出ています。

この家紋は全国の大豪族の名家を表す「家紋200選」のうちの一つです。鎌倉期には藤原氏の一族として働き、室町時代は戦国時代であつたので不詳ですが、江戸時代は、御家人で、代々御台所人で、後に綱吉期には組頭になります。
3つの情報からはこの範囲のルーツが判明します。これが正しいとして、貴方のルーツはこの末裔に当るものと思います。
もっと宗派などの詳しい情報があれば、更に確定します。
何か質問があれば返信してください。

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