青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.92
Re: 前田家家臣の青木
92編集 追加
>先祖を調査中です。出身は新潟県新発田市。うちの先祖は加賀藩の前田利家の家臣と伝えられています。家紋は丸に違い鷹の羽。また、何らかの事情があって落ち武者として新潟に来たのではないか聞いていますが、どこまで本当なのかよくわかりません。ご存じでしたら教えてください。
かなり難しいですが、検証してみますと次の情報を元にしらべました。
難しい理由は時代性です。室町時代から以降は下克上と戦国時代と成りますので、この時代の資料は搾取が多く、矛盾を多く含んでいる資料が多いのです。下克上にて名もない家柄も無い者が力でのしあがり、家柄を作り名家と見せるために系譜や家紋を買収や偏纂や脚色などをして作り上げ、確認もせずにそれをベースに江戸時代に多くの殆どの文献が出来ました。
従って、確証は取れません。
しかし、兎も角も次の情報を元に検証します。
1つは青木氏である事
2つは新潟県新発田市 古くはこの付近に居た事
3つは加賀藩に仕えた事
4つは丸に違え鷹の羽の家紋である事
5つは落ち武者になった事
国は越前国(昔の越前は越中の一部と加賀国含む)として青木氏を調べてその内、関が原の夏冬の陣で豊臣側につき滅びた一族で、「丸に違い鷹の羽」の持つ者を調べると次の様に成ります。

加賀藩には2人の青木氏が居ます。
1人目は八百石取りの青木多膳なる人物が居た。家紋は「抱え鷹の羽」
2人目は青木新兵衛なる人物が居た。「違え鷹の羽」 

2人は関が原で討ち死にしたかは不明だが、加賀藩は禄を減らされたので浪人になった者は居るはずです。しかし、この記録は江戸の記録ですので「落ち武者」には成らなかったはずです。
<
関が原で除封された人物は、2人居ます。
一人目は越前北の庄の住人の青木紀伊守一矩(8万石)利家の配下となり、信長と秀吉の家臣で豊臣に味方した。(美濃の人 別名は青木法印と言う)
家紋は不明 北の庄は柴田勝家の領国であり、その後に入国した者

二人目は越前国坂井郡丸岡の住人の青木伊賀守忠元(4.6万石)豊臣に味方した 家紋は不明 利家の配下 
配下とは直接は家来ではなく、信長や秀吉の家来で、加賀藩の支配下に置かれる者を云う。

家紋は主に浅野家の「違え鷹の羽」に「丸付き紋」は支流紋です。

青木氏のルーツは越前と加賀と美濃の国堺には、次の「氏」が存在していました。
清和源氏と土着豪族(土岐氏)との跡目による血縁関係の支流源氏の土岐氏と、奈良期からこの地に派遣されていた皇族賜姓青木氏との間に生まれた土岐系青木氏が住み着いていた場所であります。

美濃国の国府が置かれていた地域には皇族賜姓青木氏が定住していました。
上記の4氏は、この土岐系青木氏の末裔に当るものと思われる。

家紋は家紋掟の結果から「丸に違い鷹の羽」になつたのではないかと推測される。(家紋掟は研究室の藤原氏の生き方の7レポートに記する)
家紋は家紋200選の一つで名家である。
上の二人は加賀藩は江戸時代にも存在したので、落ち武者の可能性は無くなります。
しかし、この二人の氏は同じ地元の豪族の「土岐系青木氏」の末裔になるのではと考えられる。その理由は鎌倉期前半までは「氏家制度」から「国抜け」はできなかったのでこの土地付近から出た「氏」の青木氏であると考えられるし、一方の藤原秀郷系青木氏のこの地への移動は無いので、土岐氏系青木氏であると見られます。

上二人の家紋が気になるが、「落ち武者」の情報に一致しない可能性が高いです。
しかし、次に答えが出てきます。
そうすると、下の二人のいずれかの氏であるが、家紋は別のところで繋がります。
この二人も大名に成れるほどの豪族であるので、土岐氏系青木氏の末裔と見られます。
下の二人は隣接する国にあり、奈良期から平安初期までは越前の国であつたのです。このことから、同系列の土岐氏系青木氏であると見られます。
下の大名の二人の一人が紀伊守を名乗っていますが、紀伊国には浅野家の領国があります。この浅野家の家紋「違い鷹の羽」の「丸付き紋」ですので支流紋となります。

更に、清和源氏源の頼光の子供の頼国の曾孫の光信が土着豪族の土岐氏の跡目に入り、土岐氏を名乗り、なんと、この光信の4代目の光時が紀州浅野家との跡目縁組をしているのです。
この光時のところで家紋の「丸に違い鷹の羽」とつながり、家紋はこの土岐氏の光信の子孫の浅野光時の「氏」と土岐氏系青木氏との血縁で生まれました。
従って、「丸付きの違い鷹の羽の家紋」が土岐氏系青木氏の家紋になるのです。
この血筋の者(娘)と美濃の土岐氏系青木氏の末裔の者との血縁にて、「家紋掟」の定めから娘方の家紋を使用した可能性が高いでのす。この条件に矛盾は無く、更に、
全青木氏の124氏のなかには「丸に違え鷹の羽」の家紋があり、家紋200選の中にもありますので、貴方の青木氏発祥の起源は土岐氏系青木氏の末裔の美濃の名家(直流か支流は不明であるが)である事は間違いないものと思われます。
つまり、清和源氏の血筋と土岐氏の血筋と賜姓青木氏の血筋と浅野氏の血筋とを持つ超名家の末裔となります。

その後の祖先は、私は紀伊守の青木氏に帰縁し(当時の戦いの掟にてその直流は滅びている筈です)、加賀藩の支配下であったが、秀吉の家来で合った故に、豊臣側につき分家に当る支流の者が関が原の敗戦にて新潟方面に逃げ延びた可能性が高いと見ます。
滅びた二人目の大名も元は同じ一族であると見ます。

直流に関わる一族は戦国の世では敗戦すると完全に抹殺されるのが掟です。よって生き延びたのはこの支流親族の者であると考えられます。

宗派と菩提寺はどこにあるか判ると更に確定はできるのですが。
家紋を調べる必要がありますが、他に何か情報(宗派など昔の事柄)あれば返信ください。

私の研究している一氏の土岐氏系青木氏の現在の存在は確認されました。皇族賜姓青木氏の5氏の一族の末裔の存在は確認できました。(伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐の賜姓青木氏の末裔)

土岐氏系青木氏の詳細は研究室の賜姓青木氏の弱体などのレポートを参照してください。

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