青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.95
Re: 前田家家臣の青木
95編集 追加
貴方の推理はあたっています。
前レポートで記しました様に、貴方のお家は4つの血統を持っている事が判りましたが、この事をもう少し詳しく検証しますと、貴方の推理が当っていることが判ります。(土岐氏系青木氏)
では、先ず、4つの氏のうちの二つの氏の事に付いて解説します。
一つ目の賜姓青木氏ですが、日本最古で最高位の氏で、次の様な家柄です。
645年に大化の改新がありましたが、この時、幾つかの改革を行いました。その内の一つに、蘇我氏は朝廷内での軍事と財政を牛耳り、天皇を凌ぐ勢力を持ち、婚姻関係を持ち今にも天皇の座を奪い取るまでに成っていました。中大兄皇子と藤原の鎌足はこれを防ぎこの反省から改新のを行いました。
この時に、朝廷の財政を天皇家の皇子が34人も居て圧迫していました。そこで、第4位までの皇子には皇位継承権を与え皇子として残し、第6位の皇子には天皇自ら「青木氏」と言う「氏」を与えて臣籍させました。これを「賜姓」と云います。
それ以降の皇子は僧侶になるか各地に配置しました。
そして、この6位の皇子にて、身内に親衛隊を作り天皇家を守り、且つ、財政的な負担を軽減しました。

この「皇族賜姓青木氏」は天智天皇から5代に渡り、賜姓を行いました。(天智、天武、文武、聖武、光仁の5天皇)
この賜姓青木氏は初代の伊勢の青木氏を除く4家の青木氏は全ては母方は藤原氏の血縁者の者です。

その次の天皇の桓武天皇の「賜姓平氏」があり、再び、嵯峨天皇は皇族の皇子を一部方式を変更して、更に、「賜姓の氏」も変更して、「賜姓源氏」としたのです。この源氏は16代続きました。この源氏も全て母方は藤原氏の血縁の者です。

この皇族賜姓青木氏は、軍事的な重要な国であり、経済的な主要な穀倉地にするための理由にて、伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐の5地方の天領地を守る為にも配置しました。
これが、賜姓青木氏の始まりです。

更に、この後、5地方に950年−1000年ころに清和源氏の源の頼光がこの地の青木氏を保護補佐するために守護として朝廷から命じられて入りました。
この時に、美濃には土着の土岐氏が居て、京平家に対抗して、土岐氏と賜姓青木氏との血縁関係を結び、更には清和源氏と土岐氏との跡目の血縁関係を結びました。3つ巴の血縁関係をつくりました。
この時に生まれたのが「土岐氏系青木氏」です。(1050年頃までに)この後は前レポートの浅野家との血縁に繋がります。

次に、菩提寺は新潟にあり、浄土宗ですので、前レポートは確定です。理由は浄土宗は鎌倉時代までは、皇族、貴族、高位侍の身分の高い氏にしか入信する事は出来ませんでした。
当然、「土岐氏系青木氏」は藤原氏以上に高位の皇族系の武門の血筋ですので浄土宗です。
貴方のお家の菩提寺を含めての一族の越後への逃避ですので普通の武士ではありません。又、藤原氏との血縁がその後にある事も有位のある家柄故のことですので、当時の「氏家制度」の中では当然の婚姻が成立する条件です。身分の低い氏との婚姻は普通は行わず、妾として扱われますので家系には残りません。
又、近藤家(北家)との婚姻や山陰氏(北家)との婚姻も何れも藤原氏の同系の一族です。近藤氏は近江に守護として住み着いた藤原氏の一族です。近江は美濃と越前に国堺を持ちますので、越前の土岐氏系青木氏としては下記のことから十分に血縁を持つことが可能です。
当時はどの系列の藤原氏か区別するために苗字の前の字を役職名か赴任地名をつけて区別していました。
(藤原氏は北家、京家、南家、式家の4家に分流した。北家が最大勢力)

貴方の情報から、総合的に、土岐氏系青木氏の時代に、藤原氏の利仁より14-17代目位にこの越前加賀の国の守護として唯一藤原氏の義俊なる者が偶然にも同時期に赴任して住み着いています。
義俊は室町幕府最後の加賀国の守護(1525年―1573年)、その後、前田家になり、北の庄は柴田勝家に、次に1583年に青木紀伊守一矩が入り、前田家の支配下に入ります。(最後1590年まで)
(藤原有国-俊国-俊春-義俊)この者は山陰氏の父の「高房」に繋がります。(先祖は山陰氏と兄弟)

この時にも、身分の合う氏との血縁が行われる習慣により、高位の土岐氏系青木氏との血縁があった筈です。それでなくては当時の守護は土地の豪族の者の土岐氏系青木氏の掌握は不可能でした。
古代より守護になった者は殆ど長い間の慣例的な戦略として土地の者との婚姻を結びました。
参考
(「下克上」で伸し上がった織田氏はこの奪取した土地の豪族の者を次々と「本領安堵」して家臣に登用して土地の安定を図りました。土岐氏系青木氏もその一人でありました。)
参考
(江戸末期までは青木氏の高位の家柄に付いては皆知られていました。ですから、明治のはじめの苗字を持つ事を許されたも一般の者は高額の金品を支払い、お寺に頼み込みして青木氏の姓を獲得すると言う現象が多く各地で起こりました。しかし、この者の系譜や家紋などには矛盾が必然的にでますので直ぐにわかります。)

貴方のお家は母方も含めて3/4は藤原氏北家の血筋を持つすごい一流の一族ですので、婚姻の相手は必然的に藤原氏の者になり、養子も含めて血縁を代々結んで血筋を守ったものと思われます。
この血筋がいざ戦いというときには強い絆で団結でき氏を守ったのです。
ちなみに、青木氏は嵯峨期の令にて皇族系の者と藤原氏(秀郷流)以外は名乗っては成らない氏と定められていて室町中期まで守られてきました。天皇一族の者の系譜を明確にする目的で定められた最高位の氏でした。皇子や王に成れない者や賜姓を受けられなかつた者は比叡山とか門跡寺院に入山しました。その後、還俗する時には青木氏を名乗りました。青木氏は結局、皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏の2流に還俗青木氏と4豪族系青木氏が加わる2流4家となります。
山陰氏は真言宗ですが、藤原氏の貴族は比叡山真言宗でした。
最大武装勢力を持つ藤原氏の秀郷流は貴族ですが、貴方の青木氏とは別系のこの秀郷流青木氏は武門であるので浄土宗です。

貴方のお家のルーツには、普通は家紋が事なつたり、史実と合わなかったり、系譜がでなかつたりして矛盾が多いのですが、ありませんでした。
皇族賜姓青木氏系でありながら、藤原氏の血筋を多く持つという稀に見る非常に良い血筋の家柄ですので、大事に子孫をこれからも残してください。皇族賜姓青木氏の詳細は研究室のレポート参照してください。
他になにかご質問があればお答えします。

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