青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.20
第3の青木氏の追加
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第3の青木氏は主に明治初期の姓の使用を許されたときにこの方式が青木氏にする場合によく利用された事で、この方式は室町中頃から始まり、江戸期に公然と使われて付けられました。

戦国時代の松平の源氏族に偏纂した事でもわかります。各藩の給帳の青木氏にはこの現象と思われるものが多くあります。室町から江戸までは下克上の戦国でしたから姓や家柄や身分や家紋のない者が台頭し、殆ど伝統ある家柄の者は滅亡してしまいました。その最初の起こりは国を治めるために朝廷から派遣されていた国司や守護を討つと言う平の将門や平の忠常の乱からはじまっています。この現象ははっきりと室町中期から出ています。

したがって上記した者やその配下の者が下克上に成功した場合、どうしても家柄や身分や家紋が当面必要になります。このことが貧困に喘いでいた朝廷や室町幕府や寺社などの収入にもなっていたのです。この者たちが使った主な手は第3の方式であったのです。青木姓だけではなく没落していった国司や守護の殆どの名家系も同じでした。

江戸初期頃に作られた各藩がだしている「給帳」を見るとわかります。これをまとめた「武鑑」や「東鑑」等の氏書での青木氏はルーツ条件5に合致するものは少ないのはこの現象です。矛盾が出て来ることになります。
現に、佐々木流青木氏と言うのは元は上山氏と名乗っていましたが、出世して他の国に移動した折に、佐々木流青木氏と名乗りがえしました。この元の佐々木流青木氏については、次のことがおこつています。

皇族賜姓の近江青木村の青木氏(笹竜胆)は一度この地を出て、再びもどりました。この近江には宇多天皇の第6皇子以降の末裔が地名を採って佐々木氏を名乗っていました。賜姓ではない皇族です。この近江には時代のズレはありますが、皇族系の青木氏と佐々木氏(1200から1221頃まで10ケ国の守護職を勤め、1350年ころ滅)が存在していたことになります。

この青木氏が一度この地を出たのもこの理由の一つと思われる。結局、後に源氏族の佐々木流青木氏が、他の4家の清和源氏との同化した青木氏と同様に生まれたのです。
しかし、この佐々木流青木氏の家紋は「丸に揚羽蝶に木文字」です。他の4家の「笹竜胆」と違っています。
家紋の作りは藤原秀郷流青木氏の「丸に揚羽蝶に..」と似ています。

この氏は城持ちとなつた上山氏は途絶えた家柄の良い佐々木流青木氏を何らかの方法で名乗ったとみられます。
10ケ国の守護でしたので、この内の国で縁者となつたとして理由付けして。
佐々木氏も青木氏も「笹竜胆」ですから分派や分流がなく、名乗れなかったのではないかとおもいます。
分派としての佐々木流青木氏として家紋の理屈を作ったものと予想されます。
(多々良流青木氏も同系です。)
上記したこのようなことがこの時期に多発したのです。
これがルーツ条件5に一致しない第3の青木氏なのです。

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