青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.47
Re: 皇族賜姓青木氏の背景
47編集 追加
追記と訂正
天武期の王には春日王と信濃の三野王と美濃王と近江王と追加します。
訂正は武富王と記していますが武家王です。
天武期の皇子は継ぎの通りです。先頭数字は誕生順 末尾は皇位順
1高市8、2大津2、3草壁1、4忍壁9、5長4、6弓削5、
7舎人3、8新田部6、9穂積7、10磯城10、11施基6、12川島7
建皇子と大友皇子は死亡
11と12は天智天皇の皇子で、5と6は天智天皇の娘(大江皇女)の子供、7は天智天皇の娘(新田部皇女)の子供で、日本書紀の編者です。
伊勢王と美濃王と信濃の三野王と竹田王と近江王の5家青木氏の守護先の王、
初代の青木氏の元祖の伊勢王は天武期朝廷の仕事が忙しく国司を置く。国司(くにつかさ)は朝廷より派遣された守護代理の役人
本来は天武天皇の葬儀は皇太子が行う慣例でありながら、絶大なる信頼があり、天智天皇の子供でありながら伊勢の王施基皇子が行うほどであた。
王には皇位の高い皇子の王(6,7位)と5世以下の王とがあつた。
当時は令で4世まで皇位継承権ありとして、6世は臣下し、5世は王にあれど王にあらずとされた。天智天武期は改革のために2世6位以下を臣籍にした。嵯峨天皇は弘仁5年に正式に4世6位以下を臣籍に改めた。このことにより、青木氏より変名して源氏が誕生した。途中の桓武天皇だけはある4つの理由でこの2つの氏の賜姓の臣籍をしなかつた。これが後に特に青木氏を含む源氏と藤原氏に大きな難題が降りかかるのです。そして。保元平治の乱などの多くの乱に繋がるのです。次の背景2のレポートに続く。

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