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青木今日の青木さん。

今日の青木さん
1日1人青木さんを紹介します。一部 Wikipediaより転載

-- 4月4日の青木さんは --
青木雄二
青木雄二(あおき ゆうじ、1945年6月9日 - 2003年9月5日)は、日本の漫画家、エッセイストである。京都府加佐郡大江町(現・福知山市)出身。岡山県立津山工業高校を卒業後、山陽電気鉄道に入社。以降は町役場職員やパチンコ店店員など多くの職を転々とした。この経験が漫画を描く上で大いに参考になったという。

1970年に『屋台』がビッグコミック新人賞佳作に入選。その後デザイン会社を起業するが倒産。1989年に『50億円の約束手形』でアフタヌーン四季賞に入選、1990年に『彼岸と此岸の間で』で準入選を受賞し、同年に代表作の『ナニワ金融道』(ナニ金)(週刊モーニング)で漫画家として45歳でデビューした、遅咲きの漫画家であった。原作者としては表示はされていないが、同作品には、元担当編集者、『カバチタレ!』原作者、元地上げ業者など数名の影の原作者がいたとされる。1992年度第16回講談社漫画賞、1998年度の第2回手塚治虫文化賞の優秀賞を受賞。50回以上の見合いを経験し、ホステスと結婚、男児あり。

自らマルクス主義者を標榜し、現代社会への批判が常に著作の根底にあった。そのため右翼団体によって攻撃の対象とされていた。日本共産党の演説会に弁士として招かれたことがあったが、あまりに教条的なマルクス主義論を壇上でぶったため、二度とお呼びが掛からなかったという逸話もある(しかし講演会や赤旗紙上には晩年までたびたび出ていた)。新左翼系の都政を革新する会の支持者名簿に名を連ねることもあったが、当人は「『目的のためには手段を選ばず』ではなく、目的達成のためには手段は選ばなくてはならない」と冒険的な武力闘争を否定するなど、過激派的路線とは一線を画していた。

契約書の一字一字や畳の目の一本一本を描きこむなど、緻密な描き込みをポリシーとしていた。『ナニ金』の連載終了ともに漫画家を引退したのはこの事による過労のためとも言われる。緻密な描き込みについては「スクリーントーンを全く使わない」と形容されることがあるが、実際には多少は使用している。

著作の『ナニワ金融道』は金融ネタの漫画がブレイクする嚆矢となった。後発の高利貸しを主人公にした作品『ミナミの帝王』に対しては、同作品の映画で著作権を侵害されたせいか、作中で"パクリの帝王"なる作品を描写するなど敵視していたらしい。また、『ミナミの帝王』主人公の「萬田銀次郎」をパロディにしたトイチの闇金「銭田掏二朗」を敵役として登場させ、灰原たちにへこまされるというエピソードも描いた。 なお、この著作権問題は訴訟となり、『ミナミの帝王』側がモーニングに謝罪広告を出している。 現在、青木雄二監修・原案とクレジットの入った作品がいくつか存在するが、実際には『カバチタレ!』のように、まったく本人がタッチしていない作品から、監修を超えてネームまで手がけていた作品まで様々のようだ。

また岡山県で少年期を過ごした経験から「岡山の人間は薄情だ」と非難していたとされる(但し売れてからも岡山を何度か訪れ、講演や選挙での応援演説などを行なっていた)。

愛煙家であり、2003年9月5日、肺ガンのため死去した。享年58。

作品リスト
漫画作品
ナニワ金融道、カバチタレ!(監修。作画は元アシスタントの東風孝広、原作はナニワ金融道のネタ元といわれる田島隆)、こまねずみ常次朗(監修。作画は吉本浩二、原作は秋月戸市。)、さすらい

小説作品
桃源郷の人々、ナニワ金融道明細
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