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青木今日の青木さん。

今日の青木さん
1日1人青木さんを紹介します。一部 Wikipediaより転載

-- 3月31日の青木さんは --
青木重兼
青木重兼(あおき しげかね、慶長11年12月29日(1607年1月27日) - 天和2年9月14日(1682年10月14日))は、摂津麻田藩の第2代藩主。父は初代藩主・青木一重の四弟で旗本であった青木可直。母は関氏。正室は酒井忠利の養女(酒井忠季の娘)。子に娘(青木重正室)。官位は従五位下、甲斐守。
慶長11年(1606年)、播磨姫路藩にて生まれる。初代藩主の一重には嗣子がなく、しかもそのために最初に養嗣子として迎えていた青木正重は病弱だったため、元和5年(1619年)に一重が隠居したとき、その養嗣子となって後を継いだ。
藩主としては有能で、藩政においては文武を奨励し、民政においても善政を第一とすることに尽力したため、藩政の基礎が固められた。また、徳川家光の上洛に随行し、さらに摂津多田院や京都仁和寺の奉行を務め、功績を挙げている。しかし隠元という禅師に出会ってから、彼の人生は大きく変わった。重兼は次第に仏門に傾倒し、遂には出家して入門することを決めてしまったのである。このため、麻田藩の家督を放り投げてさっさと出家してしまったのだ。重兼には女児しかなかったため、養嗣子の青木重正に寛文12年(1672年)12月9日、家督を譲って後のことをすべて任せ、自分は仏門の道を歩んだ。
その後は大覚山方広寺を開き、七堂伽藍を建立し、自らはその2代目禅師となって仏門にひたすら尽くした。天和2年(1682年)9月14日、77歳で死去した。墓所:三田市末吉の方広寺。
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