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  [No.237] ルーツ探訪(東京の青木さんの代理投稿)
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 09:59:26

ルーツ探訪(東京の青木さんの代理投稿)
青木研究員 さん 2006/12/28 (木) 11:01
>東京の青木さん 2006/07/24 (月) 10:42
>はじめまして、東京の青木です。

>現在は東京に居りますが、祖母、母は宮城出身です。
>祖母から、おじさんが調べたら、昔は埼玉にいたけど、
>殿様が死んだとき、一緒に死んで、子供を宮城に逃がしたらしい。
>それより前の先祖は調べられなかった。
>と聞かされており、それ以来、自分の先祖に興味を持っていました。
>家紋は半月に九曜、宗派は真言宗です。
>よろしくお願いします。

東京の青木さん 始めまして。
お尋ねの件ですが、次ぎの情報で検証を進めますが、ほかに仔細名事でも結構ですから、有りましたらお便りください。
第1番は昔は埼玉に居た事。
第2番は殿様の死後宮城に移動した事。
第3番は家紋は半月に九曜紋である事。
第4番は真言宗である事。

以上の事から次ぎのことをお調べください。
第3番目の家紋は半月に九曜紋との事ですが、半月に八曜紋では有りませんか。
第4番目の宗派は真言宗の前は浄土宗ではありませんでしたか。又は浄土真宗では有りませんか。

星紋に付いての青木氏に付いては研究室の「青木氏と血縁族」の第7番と家紋掲示板の第6/33番目の紋様の星紋様を参照して下さい。

青木氏に関する星紋には8つありますが半月に九曜紋は含まれて居ません。
この星紋は藤原秀郷流青木氏は、宗家が赴任する地方に護衛役として同行したもので、各地6地方に同行して定住し土地の豪族との血縁を結んだ一門です。

この一族は男系跡目が出来ずに土地の豪族から跡目を入れて青木氏を継承した結果、家紋掟により家紋を下がり藤紋から各地の豪族の家紋に変紋せざるを得なかったものです。

6つの家紋の青木氏とは次ぎの家紋の青木氏です。
第1は九曜紋です。
第2は丸に九曜紋です。 第1番目の分家です。
第3番目は三ツ星紋です。
第4番目は丸に三ツ星紋です。
第5番目はながとみ三ツ星紋です。
第6番目は亀甲に三ツ星紋です。
第7番目は三ツ星に一つ引き両紋です。
第8番目は扇に三ツ星紋です。

兎も角も藤原秀郷流青木氏に関しては「藤原秀郷一族とその生き方」を時間を掛けてお読みください。詳細に記述しています。
又、その他の藤原一門のレポートも一読ください。

青木氏は皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏の二つの流れです。

他に、室町末期か明治初期の2つの時期に「第3の青木氏」が、青木氏姓の使用に付いてので峨期の詔の禁止令に拘らず系譜の偏纂で名乗ったものであります。よってこの場合は鎌倉末期より以前のルーツに付いては検証は出来ません。

藤原秀郷の主要一門は次ぎの5つです。
永嶋氏、青木氏、長沼氏、と進藤氏、長谷川氏です。
この氏のうち青木氏は116氏に分流しています。
武蔵と下野国とその周辺の国を領国とし24の各地に赴任して各地の血縁族を発祥しています。


皇族賜姓青木氏は5家5流24氏です。
近江、伊勢、美濃、信濃、甲斐の5国です。伊勢以外は各地の豪族との血縁族が生まれています。

さて、そこで、お家の青木氏はこの8つの青木氏に有りません。
先ず、上の二つの件についてお調べできる情報が有りませんか。

何かの理由にて半月九曜紋に変紋をしたと考えられる事もあります。

室町末期前のルーツが確認する事が出来ます。
室町末期ごろの系譜や資料は殆どは信用が出来ないのです。その理由は下克上や戦国時代の混乱で青木氏などの高位の家柄を持つ氏はことごとく潰されましたのでまともな資料は有りませんし、よって下克上で伸し上がった者が家紋や系譜や氏などを偏纂し搾取しましたので全く信用が出来ません。徳川氏をはじめとして信用できません。

お家には上記2つの事を何とか調べ出すことが出来ればこの時期の前のルーツにたどり着けます。たどり着けばこの8つのうちのどれかに入るはずです。

上記の仕官先の主が死んだ事に殉死したとの事ですが、この時期は殉死はよほどのことが無ければ禁令になっています。
一族を逃がしたとの事ですが、特別の力のある縁者が無い場合以外は逃がす事は国抜けと成り犯罪で宮城付近では困難と思えます。

もし藤原氏であるのであれば鎌倉期以後に3度か4度の一族が離散する事が起こっています。この内、上記の様なことがあるとすれば鎌倉末期から室町初期の下克上の問題に絡まったと考えられます。
その逃げた時期がこの1300年―1350頃からと見られますので、殉死は何時頃かをお調べください。

ご本家はどこにあるのかを調べられてその宗派と家紋は何なのかも調べられると判るはずです。ご本家と違うはずが有りません。
もし違うとなれば問題で第3の青木氏の可能性もありますが、兎も角ご本家のものをお調べください。

ちょつとしたことでも大きなきっかけに成りますのでお便りをお待ちしています。
もし、お判りに成りますとルーツの検証は確実に成ります。
ではまずは、研究室の藤原秀郷一族の生き方のところをお読みください。
何かヒントがつかめるかも知れません。

ではお待ちしています。
東京の青木さん 2006/07/25 (火) 10:09
ご回答ありがとうございます。

祖母に聞いてみたところ、うちが本家で、
昔から宗派も家紋も変わっていないそうです。
青木家は祖母の曾祖夫母の家だったらしいのですが、
子供がおらず、祖父母が養子に入ったそうで、
家の事については、祖母もあまりよく知らないようで、
詳しい事は火事だか戦争だかに巻き込まれていて、
紛失しており、調べられないそうです。

しかし、宗派も家紋も変わっていないみたいですので、
うちは第3の青木ということになるのでしょうか?
現在の所、私が長年調べた事から見て検証を確定するに必要とする情報は有りません。
ただ、江戸時代の情報のみに限りますのでそれ以前の情報の焼失か錯誤かで家紋と宗派などが変化ししまったことも考えられます。

かなりの数で青木氏は青木氏に関する家の事は次ぎの時期に問題を起しています。
下克上の時期と戦国時代と江戸期の偏纂期と明治初期の混乱期と第2次大戦で全ての情報が関東近辺で多く焼失しているのが現状です。

又、「第3の青木氏」を確定する情報も2つの青木氏に合致する情報が出ないという事だけですので検証を確定するものも有りません。

しかし、第3の青木氏はそれなりに3百年もの歴史を持つ青木氏とすれば充分な意味を持ちます。

私は主君に殉死し、一族を逃がしたと言う情報が気に成ります。
この情報に何らかの真実が隠されていると考えています。

このことに付いての何かが出ましたら又お知らせください。